うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

これまで食べ歩いたパンケーキを並べてみたら壮観だった。

 「なんか最近流行ってるみたいやし、そこに店できたみたいやし食べてみいひん?」

きっかけは些細なことから、はじまりは唐突に。
数年前に巻き起こった空前のパンケーキブームにチョイ乗りする感じで友人と入ったのが天王寺のとある店。
パンケーキといえば私たち世代の認識ではちょっとおしゃれホットケーキにすぎなかったし、ホットケーキといえば初めての調理実習で焼くような軽くて手軽なおやつ。
が、ブームに乗じてやってきたヤツらはどっしりと重たかった。
ひとくちにパンケーキといっても店やタイプにより千差万別で、重いの(アイス生クリームソースフルーツその他盛り盛り系)から軽いの(スフレタイプとか本来のホットケーキ系)までとりどりに存在するのだが、私のファーストコンタクトはどうやら前者だったよう。
ちなみにbutterの窯出しクレームブリュレパンケーキだった。
パンケーキの中にプリンが詰まっていてしっとり重い。
重いぞ重いぞケーキのくせに、と衝撃を受けながら完食した際の妙な達成感だったり甘いもので腹十二分目に満たされる多幸感とで、予期せぬ新しい扉が開いてしまったのだった。

一枚平らげるとさらにもう一枚。
しかも当時は空前のブームのさなかであったから競うように話題の店、話題の商品が出続けた。
次はあの店のあのパンケーキを食べたい、本当においしいのかどうか確かめたい、そして写真に収めてコレクションしたい…
行ったことのない場所へ出向いて、新メニューというレアアイテムとこういう味だったという情報を経て、経験値をあげていく。
店によっては分かりにくい立地にあったり、人気店なら並ぶというミッションが発生する。
あの感覚はいま振り返ればロールプレイングゲームに酷似していた。(筆者は元ゲーム好き)
だから約二、三年ものあいだ飽食の旅人として流浪し続けられたのだろう。
納得がゆくまでハマり、こだわり、極めることができたのだろう。
もちろん食べている最中は幸せそのものだった。
私は生来、甘いものが大好きなのだから。

が、物事にはいつか終わりが訪れる。
食べているさなか、そして完食した際に、

「重いぞ、辛いぞ…、いまとても、おもつらい…!」

という想いが達成感と多幸感を上回りはじめたのである。
食が修行となってはいけない。
パンケーキは女子にとってのラーメン二郎なる名言がいつかだれかどこからか広まったと記憶しているが、そういうことなのだ。
三十路過ぎにパンケーキは重すぎた。
最終的に「やっぱりシンプルなホットケーキが一番おいしいね」という結論に達したところで、私はいまアイスクリームを食べている。

 

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せっかくなので(タイトルどおり)並べてみた。

おおむね五十音順。
可能な限りリンクを張ったので、何かのお役に立てば幸いです。
 ブームからわずかの間にリンクが死んでたり閉業した店もちらほら見受けられ、ものすごく凝縮された栄枯盛衰の理を感じる。
ちなみに今でも通っているのは梅田の雪ノ下くらい。
あそこはかき氷とお茶もおいしい。
いまや全国にフランチャイズ展開している(が、本店にしか行ったことがない)。

これだけ食べに食べて分かったのは、

本当にもう一度行きたい店食べたい料理というのは実はほんの一握りなんだ!

ということ。
あ、でも中山への遠征中に寄り道した柏の三日月氷菓店にはぜひもう一度行きたいです。忘れられない味。
かの店もかき氷がおいしいらしい。

 

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あめりかん(平野)
ホットケーキセット(500)

CRITTERS BURGER(四ツ橋)
クラシックバターミルクパンケーキ(700)

甘党茶屋 京 梅園 CAFE&GALLERY(烏丸)
抹茶のホットケーキ(900)

Eggs'n Things(心斎橋)
ストロベリーホイップクリームマカダミアナッツ(1100)

  

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絵本カフェholoholo(難波)
大きな大きな手作りパンケーキ(700)

mg.(心斎橋)
ブルーベリーとクリームチーズのパンケーキ(1180)

elk(心斎橋)
プレーンパンケーキ (680)

松之助 平野顕子のパイとケーキの店(烏丸御池)
リッチチョコレートパンケーキ(840) 

 

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[大阪] cafe & books biblioteque|カフェ&ブックス ビブリオテーク(梅田)
ベリーとクリームチーズのパンケーキ(1100)

CAFE DI ESPRESSO 珈琲館(平野)
キャラメルナッツホットケーキ(390)

BLUE FIR TREE Cafe(祇園四条)
幻のホットケーキ(400)

Veganバーガーが食べられるカフェ! "cafe MATSUONTO"京都四条河原町(河原町)
パンケーキ(780)

 

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喫茶アカリマチ(中崎町)
自家製ホットケーキ(550)

京都西院の町家カフェ・喫茶と焼き菓子ダバダバ・パンケーキ(西大路三条)
ホイップパンケーキ(750)

木村屋(※閉店)(天王寺)
プレーンスフレパンケーキ(1150※ドリンクつき)

KUA`AINA クア・アイナ(難波)
パンケーキブリュレ(単品655、ドリンクセット745)

  

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gram 天王寺店|株式会社gram(天王寺)
焼きリンゴと紅茶のパンケーキ(1050)

香月(仁川)
特製ホットケーキ(750)

KOQUA(※閉店)(心斎橋)
パンケーキ(600)

ココノハ | ヘルシーな和ぱすたやパンケーキが楽しめるナチュラルカフェ(難波)
メープルシロップ発酵バターのパンケーキ(500)

  

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Sarabeth's「ニューヨークの朝食の女王」- サラベス(新宿)
レモンリコッタパンケーキ(1400)

サンシャイン(梅田)
ホットケーキセット(780)

J.S. PANCAKE CAFE | J.S パンケーキカフェ オフィシャルサイト(天王寺)
j.s.pancake(780)

juen(天神橋筋六丁目)
パンケーキ(季節のフルーツと生クリーム)

  

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juenベリーとチョコがけパンケーキ(1200)

純喫茶アメリカン(難波)
特製ホットケーキ(550)

SHIN-SETSU(公式) (@teramachi.shinsetsu) • Instagram photos and videos(河原町)
プレーンパンケーキ&アイスクリーム(600)

なんば 深夜のケーキ&スイーツバル - 夜遅くまで営業しているスイーツ&カフェとバル アンジュジュメール(日本橋)
アンジュジュパンケーキ(680)

 

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sweets & cafe Juicy Trump(※閉店)(梅田)
メープルハートパンケーキ(800)

スイーツ・オ・レ(※閉店)(四ツ橋)
日本一分厚い半熟パンケーキ(680)

3 octave(※閉店)(梅田)
こだわりたまごのパンケーキ(600)

天満橋・シティモールのカフェ TABLES LOUNGE(タブレス ラウンジ)(天満橋)
ブルーベリーコンポート & AOPバター(950)

 

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Taste the Difference | TULLY'S COFFEE(阿倍野)
T'sパンケーキ チーズハニー(530)
T'sパンケーキ キャラメルチョコ(560)

CIAO PRESSO あべのハルカス店(天王寺)
あべのべあパンケーキセット(780)

De Niro(三宮)
スタンダードパンケーキ(735)

 

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紀州備長炭自家焙煎炭火珈琲-なかおか珈琲(難波)
プレーンホットケーキ(単品430、セット価格で280)

NORTH ROUNGE 北欧館(梅田)
とろける3種のベリーソース リコッタパンケーキ(750)

ばさら梅々庵(大阪)
和風パンケーキ(680)

カフェ&パンケーキ【Butter(バター)】江坂・茶屋町・梅田・阿倍野・神戸・甲子園・豊洲・横浜 ::: 高級発酵バターを使用した焼きたてパンケーキ :::(阿倍野)
バターミルクパンケーキ 純生クリーム添え(3枚880) 

 

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butter窯出しフレンチパンケーキ 純生クリーム添え(780)

butterランと紅あずまのキャラメリゼパンケーキ 純生クリーム添え(1380)
butterカスタードブリュレパンケーキ(1000)

Babeurre(四ツ橋)
鉄板メルトチョコとナッツのパンケーキ(1080) 

 

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PANCAKE DAYs・パンケーキデイズ(阿倍野)
シンプルパンケーキ(500)

ハンズカフェ - 『SHAKE HANDS』(梅田)
パンケーキ クラシック(700)

bills(明治神宮前)
リコッタパンケーキ w/フレッシュバナナ、ハニーコームバター(1400)

BROTHERS Cafe(難波、梅田)
ブラザーズパンケーキ(850) 

 

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BROTHERS Cafeふわふわたまごとスパムのパンケーキ(1000)
BROTHERS Cafeたっぷり苺のパンケーキ(990)

fulfill(天神橋筋六丁目)
プレーン(380+生クリーム100)
berryベリー(580) 

 

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ドーナツのフロレスタ(四天王寺前夕陽ヶ丘)
プレーンパンケーキ(600)

Bechamel Cafe(梅田)
バーグ&エッグディッシュミールパンケーキ 80's(682)

VERY FANCY | PANCAKES, TEA, COFFEE, and HAPPY!(なんば大国町)
プレーン(850)

ぱんのいえ|焼きたて食パン・菓子パン・ホームベーカリー(志紀)
パンケーキ(530※モーニング) 

 

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HOKUHOKU(※閉店)(心斎橋)
バターとソフトクリームのパンケーキ(780)

星乃珈琲店 オフィシャルサイト(梅田)
スフレパンケーキ(シングル530、ダブル680)

『ほそつじいへえ TEA HOUSE supported by MLESNA』オープン | 伊兵衛日記(祇園四条)
究極のパンケーキ(1470)

pollo(松屋町)
オリジナルパンケーキ(トッピング3種600) 

 

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polloバレンタインパンケーキ(850)

HONOLULU COFFEE(大阪)
コナコーヒークリームパンケーキ(900)

ポルコ|なんばパークス -NAMBA PARKS-(難波)
PORCO プレーンパンケーキ(680)

Matilda|マチルダ|西宮(西宮北口)
バナナショコラパンケーキ(1080) 

 

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【丸福珈琲店】公式ホームページ(阿倍野、梅田)
特製ホットケーキ(588)

MARUFUJI CAFE(天王寺)
米粉と豆乳の抹茶パンケーキ(930)

Micasadeco&Cafe(難波)
リコッタチーズパンケーキ(900)
ココナッツカスタードのパンケーキ(1050)

 

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三日月氷菓店(柏)
練乳で食べるパンケーキ(700)

味季屋本店(※閉店)(平野)
和菓子屋さんのパンケーキ

モエナカフェ MOENACAFE(※河原町店は閉店)
シナモンロールパンケーキ(1100)

mog(京橋、難波)
クラシック・バターミルクパンケーキ(650) 

 

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mogスペシャルパンケーキ(950)

パンケーキとかき氷だけじゃない「雪ノ下」(梅田)

ココアチョコの黒いパンケーキ(700)

国産レモンのパンケーキ(700)

四つ葉のクリームチーズ使用 チーズのパンケーキ(800) 

 

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雪ノ下練乳生地の白いパンケーキ(700)

雪ノ下森半抹茶使用のパンケーキ(700)
雪ノ下蜜柑蜂蜜とバターのパンケーキ(600)
雪ノ下林檎コンポート 発酵バターと(800) 

 

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雪ノ下鹿児島産安納芋のモンブラン仕立て(800)
雪ノ下静岡産紅ほっぺ(900)
雪ノ下岩手産かぼちゃ(900)

パンケーキが人気の名古屋 名駅4丁目のカフェ | Light Cafe スパイラルタワーズ店(名古屋)
アップルティーのパンケーキセット(1500)

“好きだから言えなかった”を言うために。

障害競走を愛好するようになって、より強くなったこだわりがある。
放馬落馬空馬を笑ったりネタにするひととは、私は分かり合えない。
馬や騎手や関係者を訳知り顔に否定批判したり、罵倒するひととも。
ギャンブルであり娯楽である競馬にそういう見かたがあり関わりかたがあるのもまた現実で、温度差のある相容れないひととは、棲み分けをすればいいだけのお話。

とはいえ、いつも何かに対して怒っている人間にはなりたくない。
相容れぬものにわざわざ目くじらを立てる人間にも、いつも正論しか言わない面白みのない人間にもなりたくはない。
私にだって、なぜなにどうしてと感情で言いたくなることはあるし、あーあとため息をついたり、ヘタうったなぁと笑い飛ばしたいことだってある。
と思っているのに、大好きな競馬に真面目になればなるほど、どこか狭量になっていく自分がいる。
好きなことや嬉しいことと正比例して、嫌だなと感じることや許せないと思うこともそれなりにできてくる。
そのとき、ふと心が頑なになる瞬間がある。

何かを好きになる、真剣に取り組むということは、ときに対象を神聖化・聖域化することなのかも知れない。
好きなものを信じようとするあまり、疑念が生じたときに何も言えなくなってしまったりすることがあるのだ。
対象のファンである前に競馬ファンであるというフラットな立場で語りたいのに、肯定しかできない信者になってしまったりすることが。
自分で思っている以上に、他ならぬ自分の信念に、自分の言動が縛られる場面に出くわすようになってきた。
疑念を打ち消して肯定するためにポジティブな材料探しをしたりする。
外側にいる自分たちは内側から知らされたことを受け入れ、見えることから紐解くしかないのだから、そのうえで思ったこと感じたことを忌憚なく言えばいいだけのことなのに。
それくらいの権利は与えられているとも思うのに。

たとえば今年の新潟ジャンプステークス
アップトゥデイトはなぜわざわざ夏の新潟へ行くんだろう」
「厩舎のメモリアル達成のためもあるのかな」
「だとしたら、ちょっと心配だな」
とは、どうしても言えなかった。
信じているものを信じつづけるために、それ以上の意味と意義を結果から見出したかった。
しかし杞憂は現実のものとなり、結果は伴わず、自分の想いを偽ったことに後ろめたさを覚えた。
まずは愛すべき馬と陣営に。
そして、いつも私の話を聞くとはなしに聞いてくれる、誰ともつかぬひとたちに謝りたい気持ちになった。
本音を言えば心配で不安で、私はこの遠征には心から賛同できなかったのです。
後出しでごめんなさい、と。

好きとはなんだろうか。
信じるとはどういうことだろうか。
愛ゆえに自分の気持ちをごまかしたり、口をつぐんですべてを肯定するというのはただの盲信ではないだろうか。
自分の想う対象にだって間違うことや失敗することはある。
たとえ最善、最良の選択をしたからといって、必ずしも努力や健闘が報われるわけではない。
だからこそ目が離せないのだ。
明確な正解のない世界で、勝つために、目的のために邁進する彼らを応援している。
応援とは決して、ただただ肯定しつづけることではない。
間違いや失敗そのものがいけないことなのではなく、大切なのはそうした時にどんな姿勢で見守っていくのか。
思い感じるままに受け入れること。
心を偽らないこと。
想いを吐露するときは感情的にならないこと。
自分は分かっているんだと過信しないこと。
ただの価値観の押しつけになってしまうから。
先ほど述べた“狭量な厄介さん”になってしまわないために。
自分自身の心には正直に、他者には寛大に、言動には責任を持つこと。

自分を不自由たらしめるのは自分。
強すぎるこだわりはときに自分を縛り、頑なにし、他を排する。
趣味とは、競馬とは、もっと自由で楽しいものだ。
なぜなにどうしてと喜怒哀楽を語ることもまた、ファンの楽しみであり、競馬の醍醐味のひとつなのだから。

アップトゥデイト、真価を問われた二戦目。阪神ジャンプステークス

新潟ジャンプステークスから予定外の連戦。
アップトゥデイトは大外枠から単騎逃げて自らレースを引っ張ったが、道中じりじりと差を詰めてきたニホンピロバロンに捕まり、最後の直線における叩き合いで惜しくも競り落とされた。
わずかに半馬身及ばなかった。

なぜ新潟を使ったのか。
どうしてあんなにも、何もできずに負けてしまったのか。
競馬においてはタラレバも否定批判もしないというのが信条ではあるが、内心では疑問と不安とを覚えずにはいられなかった。
コースが不得手だったからという以前の負け方だと感じたし、パドック気配からしてすでにこれまでとは様子が違っていた。
それが体調や調整等の問題だったかどうかは知る由もないが、あの不可解な敗戦があったからこそ急遽阪神ジャンプステークスを使うこととなったのだろう。
とはいえ叩き二戦目で軌道修正をかけようという陣営の判断を信じて見守るのみ。
襷を含む阪神の障害コースは決して不得手ではない。
実績もある。
むしろ前走よりもぐっと有利になるはずだ。
相手は強いけれど…

細かいことを挙げていけばきりがない。
まずスタートで一瞬つまづきを見せる。
不安こそ感じさせはしないが、全盛期に比べるとやや精細を欠いた飛越。
大きくリードをとるも早い段階で距離を縮められる。
ところどころちぐはぐとしたレース運びで、並みの馬ならばリズムを欠き著しく消耗して、最後の直線にさしかかるかというところで馬群に飲み込まれていたに違いない。
しかし、彼はやはり、障害王だったのだ。
自ら先陣を切り、途中後続に詰め寄られながらも凌ぎ、内に秘めた闘争心を剥き出しにしてニホンピロバロンに食らいつくアップトゥデイトに新たな一面を見た。
初めて見る顔だった。
勝負根性というよりも本能、執念と言い表したい。
この馬本来の競馬をさせねば、この馬にふさわしい結果を出さねばというジョッキーの矜持もあったのだろう。
鞍上の意図を汲み叱咤に応える障害王者の気迫を見せつけられたのだった。
わずかに半馬身及ばなかったのは、相手がニホンピロバロン高田潤騎手だったからだ。
彼らでなければ押し切っていたに違いない。
斤量差も味方しただろうが、あれで七分の出来だったというのだからとんでもなく強い。
文字通り、勝った人馬に敗れたのだ。
高田騎手はこのレースをもって同一重賞7年連続連対および4連覇という大記録をうち立てた。

ライバルのレース運びは終始スムーズで完璧だった。
まさにはかったように差し切られてしまったわけだが、敗因は明確なのでこの半馬身の差をつめることは充分に可能だ。
中山大障害はさらにタフな戦いとなるのだから。
敗因という意味では、“この馬はこういうときにこうして負ける”という敗戦パターンが目に見えてはっきりと分かった新潟参戦にも収穫はあったと思っている。
何より、前走との違いは一目瞭然。
良い意味でそわそわと物見をし、パドックめいっぱい外側を元気いっぱいに周回する様子を見て「ああ、今日は大丈夫」とようやく胸をなでおろせたのだった。
マイペースな天才肌というイメージをずっと抱いていたが、アップトゥデイトは我々が思っている以上に、気持ちで走る馬なのかも知れない。


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佐藤哲三元騎手の引退表明から二年。

月日の流れとはおそろしく早いものだ。
「ご本人が諦めるまでは、諦めない」
「語られるまで、進退について推し量らない」
信じて待つだけ。
心の奥底では薄々分かっていたけれど考えたくはなかったことを、
「どんな結末になっても受け入れる」
という覚悟をもって過ごしていた日々に、ついに終止符が打たれた一日だった。
夢の終わりはつらく悲しく淋しいものだった。
いつかは必ずおとずれる日が思っていたより早くきてしまったことに、ただただ涙がこみあげるばかりだった。
あれほど強く激しくひたむきに競馬を愛したジョッキーが志半ばで夢を諦めなければならない。
ダービーを勝ちたい。
有馬記念を勝ちたい。
ドバイへ行きたい。
もう一度凱旋門賞へ行きたい…
それらすべてはファンの夢でもあった。
無念としかいいようがなかった。

当人は思いのほか前向きで、競馬評論家、大山ヒルズの騎乗技術アドバイザー職を筆頭に、イベントに予想に配信活動にと寝る間もないほどで、勝負師時代には知り得なかった優しく明るい顔を見せるようになったことはもう言わずもがな。
(もちろん未練や悔しさを滲ませるシーンも時にはあり、それらを見聞きしたくて目耳を傾けていた向きもある)
ツイッターのアカウントもとり競馬ファンとの交流も楽しまれている様子。
実は私もオンオフで数回やりとりをさせていただいたことがあり、これまで競馬場で見ていたのはあくまで“騎手佐藤哲三”であり、競馬から離れた生身の“佐藤哲三さん”はこうして今も昔からも実在していたのだと実感するに至ったのだった。

これからも変わらず、ずっと応援しつづける。
同じ競馬ファンという立場で見て感じて考えて、理解しようとしていたい。
分かりうることを分かっていたい。
その想いのもと、彼の信念に添おうとしていたのが、夢を失って一年目の心境だった。
我ながら“イレ込んでいた”のだと思う。
忘れるまい、変わるまいと必死だった。
行き場のなくなった想いは執着として残った。

あるとき哲三さんはそんな私に「まだまだ。もっと勉強しなさい」とおっしゃった(※要約)。
拘泥と執着から離れて視野を広げ、客観的に物事を見るように。
もっと競馬そのものを自由に楽しむようにと諭してくださったのだろう。
憧れと敬愛の対象を神にしてはいけないし、神をあがめる崇拝者になってもいけないよと。
具体的な真意は語られなかったが私はそのように受けとっている。
いや、解釈しなおした。
思えばそれまでは彼の視点と感性を共有したいと気負うあまり、できもしないことを成し遂げようと無我夢中だった。
思いあがりといわずしてなんと云おう。
私は私自身の目で見て、耳で聴いて、心で考え感じることしかできないというのに。

始まりは憧れだった。
憧れが敬愛となり、敬愛がやがて執着となり、その執着の先には何が残るのか。
二度目の季節はそのことを考え感じるための期間だった。
ひとつの夢と青春が終わり、流れゆく月日の中で、忘れるまい変わるまいと頑なにあらがいつづけた。
途方もなくゆるやかで長い二年間だった。
憧れと敬愛、執着の果てにたどりついたのは自由と解放だった。
そして数え切れないほどの思い出が残った。
すべての始まり、あの秋華賞からじつに八年の月日が流れようとしている。
あのプロヴィナージュが仔を産んで母となり、アーネストリーエスポワールシチー種牡馬となった。
時代が変わり、世代が変わり、世界が変わり、そうして自分自身が変わる。
変化とは人生における必然だ。
執着の薄らぎは依存からの自立であり、変わることは成長と前進だとようやく気づけたのだった。

変わらない想いは今も心の中にある。
過去に抱いた想いそのものは決して変わらない。
それらを思い出として取り出してきたとき、懐かしみ回顧し、考え感じることもまた同様。
その思い出さえも幾度もの脳内補正をうけてかたちを変えてゆくものではあるが、思い出をかたち作る事実は決して変わらない。
佐藤哲三元騎手”と“佐藤哲三さん”を想うとき、私の心の根幹にあるのは今もやはり憧れと敬愛の念なのだ。
ゆえに今後のさらなるご活躍を願ってやまない。

新潟ジャンプS まさかの大敗。アップトゥデイトに見た変化

障害競走にグレード制が導入されて以降、J・G1馬の新潟重賞への参戦は史上初。
今年度の初動をまさかの敗戦で迎え、続く中山グランドジャンプを骨瘤により回避。
そんなアップトゥデイト陣営が満を持して復帰戦に選んだのが新潟ジャンプステークスだった。
あえて挑戦するからには新潟の地に積ませたい経験とつかみたい手応えがあったのだろう。連覇のかかる中山大障害へ向けて。
そう信じている。疑いはない。
平地力はあるが平坦コースが決して得意なわけではない。
障害はオール竹柵。
襷もバンケットもない。
すべてが芝。
今思えばそうだったのだ。
もちろん新潟という可能性が現実味を帯びたときから考えていないわけではなかった。
しかし次走を思い描いていた時点では、細かい条件を問うような馬ではないというゆるぎない信頼と確信があった。
盲信といっていいかも知れない。

結果は大敗。
レースは終始3番手からスムーズにすすめたタイセイドリームが押し切って大金星。
後方から終盤追い込んだアロヒラニが2着。
3着には前年度の覇者ティリアンパープルが入線。
アップトゥデイト掲示板をも外した。
中団以降から内々を追走するもエンジンがかからず、ついに見せ場もなく8着に終わった。

スタートが決まらなかった瞬間から予感はあった。
それでも、どこかで必ずと見守っていても、位置取りはいっこうに変わらない。
決してまずいわけではない。しかし跨ぐような飛越。
以前のように体全体を使って弾むような躍動感を見いだせなかった。
どうひいき目に見ても重そうに走っていたのだ。
絶頂にあった頃と見比べているからだろうか。
それもあるかも知れない。
別段まずくはないのに、どうしてこんなにも、小さくまとまってしまっているのだろう…
ただ言えることは、これは新潟うんぬんの問題ではない。 
わからないのだ。主戦の林騎手がコメントしている以上のことは。

「出負けはしたが、この馬がこんなにハミを取らないのも珍しい」
「ケガではないと思うけど、こんなに負けた原因がわからない」

障害競走はいかに自分たちのかたちで競馬できるかが勝敗を分ける鍵となる。
鞍上から出負けという言葉が出ているということは不本意に控えざるをえなかった、出していけなかった、ということだろう。 
いつにない位置取りに戸惑い、リズムを欠き、気分を損ねてしまったのだろうか。
アップトゥデイトはジョッキーの懸命なステッキにも反応せず、ようやく馬体を外へ持ち出せた最後の直線でも伸びあぐねた。

競馬が勝ち負けを競うレースである以上、勝者にも敗者にも等しく、その着順に到達した何かしらの理由がある。
しかし部外者、私のようなただ見ているだけの人間が何かに敗因を求めて羅列したところでただただ言い訳がましくなるだけだ。
負けたことを何かにこじつけて肯定はしたくはない。否定もしたくない。
だからここからはただただ主観で感じたことをいう。
誤解を恐れずにいうならば、
「彼は大人になったのかも知れない」と私は感じた。 
パドックでの様子を思い起こす。
あんなにも物見が激しく、慎重でせわしなかった彼が終始落ち着いて周回していたことを。
別馬を見ているかのようにおとなしく曳き手に従って歩いていたのだ。
まるで剥き出しの警戒心、あるいは闘争心、あるいは好奇心の一角が削れてとれたような。
尖っていたものが磨かれて丸くおさまったような。
ひとはそれを成長、成熟と呼ぶのではないだろうか。
春から不本意な流れが続いた。
思いがけない乗り替わり、敗戦、故障、長期にわたる休養。
不運と我慢の続いた月日が無邪気だった少年をやがて大人の男に変えたのではないだろうかと。

もちろんこれは勝手な想像でしかない。
個人が見えている部分だけを見聞きして感じたことでしかない。
加齢と成熟を敗因にあげるような意図もない。
精神的に成長してなお強さを増した馬だってごまんといるからだ。
ただパドックで再会したアップトゥデイトの静かな瞳を目の当たりにして、どうやら彼は変わった、とだけ強く感じた。
今までの彼とは違うと感じたとき、よぎったのは期待ではなく不安だった。
それでも信じて託した。馬券を買った。
盲信であり過信だったのだろう。
でもそんなことは当たり前なのだ。ずっと思い入れて応援してきたのだから。

アップトゥデイトは故障を克服し、厳しい調教に耐え、レースを終えて無事に帰ってきた。本当はそれだけでいいのだ。
しかし時として期待が過ぎて、ふと初心を置き去りにしてしまう瞬間がある。
期待に舞い上がっていたそんなとき、メインレースより数時間前、パドックすぐ隣の馬頭観音に手を合わせる佐々木師の姿を偶然見かけた。
長いあいだ拝んでいたらしい様子に、馬に携わる人間がまず一番に祈ることは無事にほかならないのだと実感するとともに、私もまた初心を取り戻すことができた。
勝ちを観にきたのではない。
ただ好きだから応援しに、好きな馬の無事を見届けにきたのだと。
回ってくればそれでいいだなんて、最優秀障害馬にかける言葉としてはふさわしくないのかも知れない。
しかし出走するすべての馬に勝利をつかむ権利とチャンスが与えられているように、これが競馬でレースである以上、敗者となる可能性と失敗をおかすリスクも平等にもたらされる。
今回思いもよらぬかたちで敗戦を喫したことで想いはより深まった。
ただ信じて見送って、結果を受け入れよう。
負けを嘆くよりも無事を喜ぼう、これからもずっと見守っていこう。
あのとき何が起きてなぜ負けてしまったのか。
本当に歯車が噛み合わなくなってしまったのか、一時的な低迷なのか、それとも成長と復活を遂げてさらなる新天地へとたどり着けるのか。
すべての疑問に対する答えはこれからの競走生活の中で明かされてゆくはずだ。
障害馬は比較的高齢でも活躍できるとはいえ、体質のことなど鑑みるに、残された時間はおそらくそれほど長くはない。
最後のときまでファンとして彼の成長と戦いの年月に添っていようと思う。


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