うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

ツイッターにトリセツはないけれど

ここにやってきた人って、もともと他人としゃべるのはちょっと得意じゃないけど別に人間が嫌いというわけじゃなくて、むしろもっと人と話をしてみたくて、なにより自分の中に話してみたいことがたくさんある人たちだと思うのですが、どうでしょうか?
ゆるいつながりとはいってもある程度つづけていればそれなりの関係は生まれてくるもので、たくさんの人間がいてたくさんのコミュニティがあれば、どこかに属し誰かとつながる喜びと悩みはいつも背中合わせ。
はじめのうちは気がねなく、ゆるく楽にいられたはずなのに…。

この人とはつながりも絡みもなかったはずなのに、ふと気づいたら先んじて拒絶されていた。
それなりにやりとりがつづいていたのに、いつの間にか関係が一方通行になっていた。
前にお別れしてしまった人にもう一度ちゃんと謝りたいけど自己満足もはなはだしいから踏み出せない、でもいつまでもモヤモヤと後悔が消えない。
もしかしてただ気づいてないだけで、自分は不特定多数の人に嫌な思いをさせてるんじゃないだろうか。

やりとりを重ねて親しくなった人とオフで対面してみたもののオンのときのようにうまくいかなくて、ツイッターと違っておとなしいんですねあんまり喋らないんですね、とがっかりさせてしまったかもしれない。
オンラインではついつい違う自分を演じてしまう。

いい作品、いい人、いい言葉と出会ったとき、自分にはないものを羨んで、自分には何もないことを思い知らされる。
本質は同じようなことを言っているはずなのに他の人のほうがうんと注目されて評価されるのはどうしてなんだろう、自分の伝えかたはそんなにだめなのかな…
などなど。

言葉や作品は、表に出した瞬間その人からはいったん離れて、受けとる相手に全部ゆだねられます。
たとえば『会いたい馬や人には会えるうちに会っておこう、行きたい場所には行けるうちに行っておこう、後悔しないように』という前向きで素敵な言葉も、家庭や仕事や身体の事情でそうすることが難しい人にとってはつらい言葉となってしまうかもしれない。
人の心とは多面体で、いいものをいい、そうでないものとそうでないなぁと客観的にジャッジする反面、今の自分の想いや境遇にあてはめて本音では共感したり、勇気づけられたり、あるいは反発したり、憤ったり、拒絶したり…
本当に、受けとる人によって見える聞こえるかたちが変わってくるものです。
絶対的な善悪はさておき、あれが好きとかそうでないとか、あなたはわたしはこう思う、というような個人の想いに正解不正解をつけられるわけがなく。

万人が巧い、素晴らしいと口をそろえる作品があるかたわらで、一部の熱狂的なファンを虜にしている作品もあります。
他の人には数ある競馬写真の一枚にすぎなかったとしても、もしも被写体が自分の好きな馬や人だったら『撮ってくれた人にお礼を言いたいくらい嬉しい!わたしにとってはこの一枚が最高!』という思いがけない出会いもあるはず。
そして、どこかの誰かにとってのそういう一枚を、もしかしたら自分が撮っているかもしれない。
もちろんこれはほんのたとえばなしで、写真でなくても絵や文かも、もしくはハンドクラフトかもしれないし、なにげない気持ちで投稿したツイートかもしれない…

ツイッターではいいね・リツイートの数で評価が可視化されてしまうぶん絶対的な指標ととらえられがちです。
数の評価というのは目に見える確かなもので、それを欲するのは作ったり表現するうえでのあたりまえの欲求なので無理もありません。
が、大多数のみんなが一番欲しいものは、評価ではなく共感なんじゃないでしょうか。
わたしの好きなものを知ってほしい、見てほしい。
自分はこのことについてこう考えてるんだけど、みなさんはどうですか。
リプライがつくと嬉しい。
いいねがつくともっと嬉しい。
リツイートされると同意してもらえたような心強い気持ちになる…
原点はそこにあると思うのです。

いわゆる“バズってる”ツイートって、大多数の人の胸のうちにあるであろう『そうそう、あるある』を簡潔明瞭かつ巧みに言いあらわした140字だったり、パッと見ただけでわかる日常の中の『あっ』という風景を切りとった画像だったり、共感を呼ぶものが多いです。
共感が共感を呼んであれよあれよという間に…というやつです。
逆にあんまり奇をてらったものは見ないような。
評価を狙って作られたものって、案外みんな無意識のうちに見抜いてるということかも(そうして狙った評価をきっちり得られる人はその道のプロです)。

いいものを作ろう、いいことを言おう、いい人でいたい。
面白いこと役立つことを言わなきゃ価値がない、飽きられる、離れられるんじゃないかしら。
ありのままをすべてさらけだす必要はないけど、こうありたい自分を演じるのは、、、
もしかしたら、人によっては楽しいのかも。
でも、ちょっと頑張ってそうしてると、いずれしんどくなってくるかも。
タイムライン上の饒舌な自分も現実世界での人見知りな自分もどっちもわたしなんだから別にいいじゃないですか。ちょっとくらい失敗しても。

物事には始まりと終わりがあります。
同様に、人には出会いと別れがあります。私はどちらも卒業ととらえてるのですが。
ツイッターそのものだったり、つながっていたあの人だったり、ずっと取り組んでいた趣味だったり、愛でつづけた作品だったり。
人間は前へ進んだり後ろを振り返ったりしながら考え方や感じ方が変わっていくものです。
ずっと同じ人が神様じゃなくていい。
自分の中に実在する神様を据えると、なにかあったとき、気持ちが揺らいだときにしんどいです。
ずっと同じものを同じ熱量で好きでいるのはとても難しい。
どんな生き物もずっと全速力で走りつづけることはできません。
そうして愛していたものや考えかたが今までとはちょっと変わってしまったなと自覚したとき、『嫌いじゃないけど、いったんさようなら』と誰か何かから距離を置くことは、決して拒絶や嫌悪からくる後ろ向きな別れではないはずです。
自分もいつかどこかでしているし、されているかもしれない。
最初から価値観を大きくたがえた相手とならなおさらのこと。
いつかどこかでタイミングが合ったときに、情熱がよみがえったときに、想いが通じたときに、縁があればまた結びなおせばいいじゃないですか。
幸運にも相手が同じ気持ちでいてくれたなら。
でなくでも思い出は確かに心の中にあり続けるのですから。

私事ではありますが、ツイッターに流れ着いてはや7年がすぎました。
趣味である競馬に紐づけて言いたいことを言うために軽い気持ちでアカウントをとったのが、時を経て今ではそれ以上の意味合いを担う場となっています。
人との関係や好きなものと向き合う姿勢について考えたり、なんだかとてもいろいろあった気がするのですが、この空間の中での悩みって数年前も今も老いも若きもだいたい共通してるんじゃないかなぁと感じています。
ゆるいつながりのSNSとはいえ根本は人と人とのかかわりなのだから、コミュニケーションツールとして以上の取扱説明書なんてないのです。
でも、人は人の気持ちを察して思いやることができます。
他者とのかかわりを通して自分を大切にすることもできます。
この頃はさすがにそのへんのやりかた、割り切りかたがちょっと分かってきた気がするので、ツイッターはじめたてであれこれ悩んでいた自分がどこかの誰かに言って欲しかったであろうことを暫定のベストアンサーとして挙げてみました。備忘録として。

いつのときも勇敢な挑戦者。アップトゥデイト、二度目の中山グランドジャンプへ

勝つことしか考えていなかった。
アップトゥデイトオジュウチョウサンを打ち破るには自分の競馬、セーフティーリードをとって持久力勝負に持ち込むよりほかないと、当日までに何度も何十度も、想い描いていた。
レコードを叩き出したしたおととしの再現、道中でオジュウチョウサンにマークをさせずに三角でどれだけ後続を突き放しているか、いかに持ち味のロングスパートを成功させるかが鍵だったのだ。
陣営はこの日のために乗り込みを増やし、スタミナ強化に努めてきた。
まさにメイチの出来にあった。しかし。
逃げるメイショウヒデタダを追走し、仕掛けのタイミングで前をとらえにかかるも後ろとの間隔を大きく広げるにはいたらず、とうとう自身も捕まってしまった。
直線を向いて勝ち馬との差は広がるばかりで、末脚に懸けたサンレイデュークの後塵をも拝した。
主戦の林満明騎手いわく、本番では気合が乗りすぎて跳びがよくなかったという。
賢い馬なので雪辱を果たしたいという周囲の期待を敏感に察していたのだろう。
持ったままで並びかけてきたとき、オジュウチョウサンの手応えは唸っていたという。
完敗だった。

私は彼をちゃんと理解していなかったのかも知れないな、と思った。
なんというか、私の想い描くアップトゥデイトと、アップトゥデイトそのものは違うのだ。当然のことながら。
着差以上の強大な力に愛する馬が打ち据えられて、それはもう悔しいのだけど、ひとりでに涙が出てくるくらい悔しかったのだけど、当然それって自分の気持ちのための悔しさなのだ。
どうして、っていっても、頑張って走って結果が出た以上、どうしてもだし、現実がこうなのだ。

アップトゥデイトそのものを一番よく知っているのが厩舎陣営であり主戦騎手だ。
どうして逃げなかった、どうして離さなかったというのは、それはもう結果でしかない。
逃げられなかったのだろうし、逃げないほうがいいと判断したのだろう。
行ったけど離せなかった、離さないほうがいいという判断だったのだろう。
初めての大障害コースに挑み、自分たちの競馬に徹したメイショウヒデタダが最下位に沈んでいるように、深追いをするのは危険だと察したのだろう。
果敢に挑んで散りゆくさまは美しい。挑戦者の美学だ。
一理あるが、そうして無理をおして大敗し、リズムを崩した馬をこの十年のあいだに何頭も見てきた。
ファンは自らの理想と願望とを人馬に当てはめて夢を見たり馬券を買ったりできるものの、願い祈るだけで彼らを応援する以外に何もしてやれないし、ましてや一緒に責任を負ってやることもできない。
たしかに競走馬は戦うために、勝つために生まれてきている。血を繋ぎより強い力をと生産されている。
だからといって、命を賭して闘った人馬を、心身ともにすり減らして帰ってきた彼らを、勝負に敗れたからといって、力が及ばなかったからといって、展開に翻弄されて力を発揮できなかったからといって、下手だった、弱かった、だらしがなかったなどと切り捨てることはできないししたくはない。
ときに事実としてそういうこともあるのかもしれないが、私はそれを判断するだけの知識も経験も立場も持ち合わせていない。
あったとしてもできないし、しないだろう。
ファンはいつだって見るだけ。言うだけ。思うだけ。感じるだけ。
だから信じて受け入れる。
アップトゥデイトは最善を尽くして絶対王者に、なにより自分自身の限界に挑んだのだから。

無事に闘いを終えて帰ってきてくれたからこそ、次のこと、これからのことが考えられる。
今日もこれまでもいつのときも、いちファンとして『絶対に勝てる』という一心で、彼の力に見合うだけの期待をかけて応援してきたが、今回の勝負づけを見て、いよいよ来るべきときが来たのかもしれないと一抹の覚悟が胸をよぎった。
しかし私は決して夢を諦めない。彼らが挑みつづける限り。
蓋を開けてみなければ中身のわからない宝箱のように、競馬というものは必ずしも一番強い馬が勝利を手にするわけではない。
勝った馬こそが強いのだと讃えられ、歴史に名を刻む。
しかし讃えられ記録と記憶に残るのは、必ずしも勝者だけではない。
敗者もまた勇敢な挑戦者なのだ。

アップトゥデイトはもはや私にとっては競馬の歴史そのものとなった。
その名が示す通り、常に新しく、進化を遂げ、自身を塗り替えていく。
生まれた時代が悪かったという声も散見されるが、彼自身もまた記録と記憶に残る輝かしい一時代を築いたのだ。
願わくばふたたびの栄光を。いつのときも最善と最良を。
私の夢と彼らの挑戦はこれからも続いていく。

 

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食わず嫌いの作法

いよいよ桜花賞だ。
今年もクラシックの季節が到来した。
ひとあし先にプロ野球ペナントレースも開幕した。
競馬も野球もどちらも大好きだ。
スポーツが好きだ。
馬も人も、勝利や達成を目指して闘うアスリートはかっこいい。

実は、少し前までは野球のどこが面白いのかがわからなかった。
投げて打って走るだけの競技になにを何時間もかけているのかが理解できなかった。
あの選手たちは大人数でいったい何をしていて、ファンがどこに面白さを見いだしているのかが単純に疑問だったのだ。
そんなナイター中継に子どものころはアニメやバラエティ番組、大人になってからは毎週欠かさず観ていたドラマをつぶされたり延長で押し出されるたびに「ああ、またか」と苦々しく感じていた。
あるとき本当に腹に据えかねて、つぶやきに洩らしてしまったことがある。
ほぼ延長することになるんだから住み分けしたらいいのにと。
諭されて冷静になって大人げなかったとすぐに猛省したが、「でも、私は間違ったことは言ってないよ…」という、モヤモヤとした気持ちはずっと晴れなかった。
人間、よくわからないものに対しては恐れを抱くものなのかもしれない。
怒りや不安を感じるものなのかもしれない。
だからとりあえず拒絶する。
自分はこれが嫌いだと心に決めておく。
すべては子どものころからの積み重ねだったのだ。

しかし私は、長らく嫌いだと信じて疑わなかった競馬を大好きになった。
この成功体験をもってすればどんなことも克服できるという自信が今はあった。
なぜ好きになれたのだろう?とふり返ってみたとき、競馬の魅力はさることながら、競馬というものを具体的に“知ること”ができたからだと思い至った。
知る前までは、知らないままにこれが嫌いなのだと頑なに思い込んでいた。
知ろうとしなかった。食わず嫌いだった。
物事を知るというのは自分の気持ちを紐解くこと、感情の正体をつきとめることでもある。
どうして嫌いだと思うんだろう?どうして腹が立つんだろう?
なにがわからないんだろう?ルールなのか、システムなのか、その周辺なのか?
なぜ野球の試合は長引くのか?9回表裏の中でいったいなにが起こっているのか?
ギャンブルって本当に悪いことなのか?競馬は賭博でしかないのか?
etc.etc.

知りたいという私の疑問に快く応えてくれたひとが身近にいてくれた。
これも大きな幸運だった。
競馬のときのようにナイターも一緒に観てくれた。
どちらも、もともと観ていたところに私が参加するようになっただけなのだが。
球種の見分け方がイマイチわからないとか今でも他愛もない質問を投げかけるが、無知を笑ったり責めたりもしてこないし、はじめてのときのように喜んで答えてくれる。
自分の好きなものを知ろうとしてくれるのが嬉しいのだそうだ。
その感覚は、競馬をおよそ十年見てきた私の中にもある。
自分の好きなものをひとと共有できるのはとても嬉しい。
たとえ細かいことはよくわからないうちでも、真剣に見ていると伝わってくるものはあるからだ。
これができるけどあれは苦手だというひとを、あれが得意だというひとがカバーする。
なんでも一人で全部できる人間なんていない。完璧な人間なんてどこにもいない。だから高めあってサポートしあう。
野球選手ってかっこいい、プロの職人集団なんだと初めてわかったとき、形は違えど一頭の競走馬とともに勝ち星を目指す競馬と同じだと自分なりに理解できたのだった。

とはいえ、不安定に延長するから腹立つというひとの気持ちも、ギャンブルなんて嫌いだというひとの言い分もわかる。
好く権利も、嫌う権利も、誰にだってある。
好きと嫌いのどちらも経験した私にはどちらの気持ちも理解できるというだけだ。
「ドラマ録り逃した!延長なんなの!」と怒ったときに「まあまあ」と諭してくれたひとの気持ちも今ならわかる。
この心の移り変わりは我ながら大きい。
だからといって他人に対してとやかくいう権利はないし、なにかを押しつけるつもりもない。
ちょっとだけ知ってみればもしかしたら嫌な気持ちが解消されるかもしれないよ…と、自らの経験を踏まえて独り言をつぶやくだけだ。

ちょっと一口つまみ食いしてみて、おいしかったらもうけもの。
やっぱりおいしくなかったら、口に合わなかったでいい。
ただ、つまみ食いにもマナーがある。
それを料理したひとも、おいしいというひともいる。
口に合わなかったからといってバンと席を立ち「これ嫌い!」と言い放ってしまうと、せっかくの宴席が気まずくなって、みんなおいしくなくなってしまうかも。
あと、食わないうちから嫌いだと罵っていると、いつか自分の言葉に追いつめられる日がやってくるかもしれない。

というわけで、ごめんなさい、競馬も野球も面白かったです。

わたしは拡散しません

拡散するのはアイスの新発売情報と好きな馬の近況と面白い読み物くらいでいい。

数の協力をあおいだり信を問うたり罪を告発する旨のリツイートを毎日のように目にするが、そういうやり方だったり肝心の内容だったりは、ほとんどはすすんで拡散したいと思うような内容じゃない。
信頼できる人間のあいだでやればいいのにと思う。
ネットで不特定多数へ向けて晒すというのが問題なのだ。
私怨だともっと問題。
要らないところまで飛び火する。
悪意を持った人間、面白がるだけの人間をも引き寄せるからだ。
そして悪意を持たない人間の強い善意と正義感が誰か何かを傷つけることもある。

切実ならば手段を選ばなくてもいいのか?
自分が正しければ間違いをおかした人間を攻撃してもいいのか?
罪をおかした人間ならば晒しものにしてもいいのか?
それはただの私刑で公開処刑だ。
そんな権利、いったいどこの誰にあるというのだろう。
めざましい発達に法が追いついていないというだけで、ネットはけっして無法地帯ではない。
無法地帯にしてはならない。
ありとあらゆる夢や可能性をちりばめた素晴らしい世界なのだから。

ネットは世界であると同時にツールだ。
そして言葉は力だ。画像もそう。
力も道具も使う人間の心持ち次第で善し悪しが決まる。
だからこそ、嫌いなものにはわざわざ関わらない、むやみに拡散しない、感情にまかせて無責任な発言はしない。
生半可に関わりを持ってしまえば、誰もがいとも簡単に被害者にも加害者にもなりうる。
何が真実かなんてどうせ人によってそれぞれ違うのだから、自らが培ってきた眼と良心に基づいて判断するしかないのだ。
自分の言葉で覚悟をもって語れないのならばそっと聞き流す。
関わらない勇気、受け流す胆力を持つこと。
わたしは拡散しません。

騎手が馬から降りるとき。春に残した未練の話

クラシックの季節がやってくるたびに思い出すことがある。
春に残したふたつの未練だ。
2010年、ショウリュウムーン桜花賞
チューリップ賞を快勝し有力馬の一角として、のちの三冠牝馬に挑んだ華の舞台。
最内枠からの位置取りに苦慮しながらも、抜け出したゴール前で確かな末脚を見せて4着に食い込んだ。
2011年、デボネア皐月賞
弥生賞で優先出走権を手にして挑み、前走をフロック視する低評価を覆しての4着入線。ダービーへの切符を掴みとった。
そして迎えた次走。
オークス、ダービーという夢の舞台へとパートナーを導いた佐藤哲三騎手は、その鞍上にはいなかった。

やむにやまれぬ事情があった。
どちらもオーナーの強い意向が働いたとのことだ。
レース結果を不服とし騎手の乗り替わりを指示、これに反対した厩舎サイドに転厩を示唆してまで意見を通した、というのがショウリュウムーンのオーナー。
ダービーに臨むにあたってはぜひうちの主戦騎手を乗せたい、と手を挙げたのがデボネアのオーナー。こちらはいわずと知れたシェイク・モハメド殿下である。
結果、オークスでは内田博幸騎手が、ダービーではこの一鞍のために招聘されたL.デットーリ騎手がそれぞれ手綱をとることとなった。

陣営とて断腸の想いだった。苦渋の決断だったのだろう。
ほかにどうしようもなかったのだ。
ショウリュウムーンの佐々木師も、デボネアの中竹師も、これまで信頼し共に携わってきた主戦騎手を降ろしたくて降ろしたわけではなかったはずだ。
あれが大きく取沙汰されて責められるような騎乗ミスでは決してなかったこと、あるいは好騎乗であったことは誰の目にも明らかだ。
しかし、たとえ最善を尽くしたとしても叶わない、届かないことはある。
誰も何も悪くない、でもどうにもならないこと、さまざまな感情や利害関係のうねりの中で物事の流れが急激に変わっていくことは、勝負の世界ならばままあることだ。
競馬がみんなのものであるように、競走馬はファンのものでも、調教師のものでも、騎手のものでもない。
頭では、理屈では分かっている。誰だって。
それでも、悔しい、悔しい、悔しい、納得がいかない、こんなことがまかり通る競馬なんてと、かのひとのひたむきさを見つづけてきた私は涙をこらえられなかった。
涙をのむこともまた競馬と向き合うことだと思い知らされた春だった。

オークスもダービーも、馬券は買えなかった。
結果、どちらも大敗を喫した。
タラレバを言うつもりはなかったし思う隙間もなかった。
思い入れを抱き応援した馬が思いがけず敗れていくさまが、その背にいるはずのひとがいなかったことが、ただただ悲しかった。
哲三騎手がふたたび彼らの鞍上に迎えられることはなかった。
ショウリュウムーンはオーナーサイドの意向が働きつづけていたのだろうし、デボネアはダービーを最後にひっそりと競走生活を終えた。
2010年、2011年の春は重いしこりとして、いちファンの心に残りつづけた。
季節がめぐるたびに癒えない古傷のように鈍く疼きつづけた。

傷を忘れさせたのはやはり人馬の活躍だった。
プロヴィナージュとは彼女がターフを後にするまで、アーネストリーエスポワールシチーとはジョッキーそのひとが引退するまでのあいだ苦楽を共にした。
そして、キズナとはわずかに二戦。
翌年への希望が大きく芽吹いたまさにその直後、袂を分かつこととなった。
彼の活躍をもはや手と意識の届かぬ遠いところから見つめつづけることは嬉しくもまぶしくもあり、つらくもあった。
ダービーという栄光を掴んだときに流れた涙には、ありとあらゆる感情が複雑に入り混じっていた。
かつてあの背にいたひとを想わずにはいられなかった。

騎手が馬から降りるとき。
それは馬が引退するとき。騎手が引退するとき。騎手が馬から降ろされるとき。
昨今の馬の育成と教育には大一番での乗り役のスライドが大前提となり、よくいえばフレキシブル、しかし効率性と利便性を追求した人選はどことなくビジネスライクでもあり、競馬歴わずか十年足らずの私でさえ戸惑いを覚えている状態だ。
同じ馬に同じ主戦騎手がずっと乗りつづける、乗せつづけることのほうがもはや稀有な例で、だからこそ酒井学騎手が駆りつづけたニホンピロアワーズジャパンカップダートには感銘を受けたし、あるいはメイショウマンボから武幸四郎騎手が降りたことは晴天の霹靂だった。
昔は調教師が身を挺して弟子の面倒を見たとか、名馬が名手を育てたとか、今となっては終わってしまった憧れや美談として語られる古きよき時代を実際に私は知っているわけではないのだが、それでもほんの十年前はもうちょっと馬も人も今より深く関わりあっていたように感じる。
だから厩舎陣営が一丸となって飛べる馬を作っていく、馬と騎手が長い時間をかけて信頼関係を築いていく、いわば昔の香りのようなものが色濃く残っている障害競走に惹かれたのもあるかも知れない。

デボネアのダービーから約ひと月後、アーネストリーとともに春のグランプリを制した哲三騎手は勝利ジョッキーインタビューの席で当時の悔しさを口にした。あいつには負けないと息巻いた。
喧嘩を売ったのでも、恨みごとを吐いたのでも、過激なマイクパフォーマンスを披露したのでもない。自らを鼓舞したのだ。
それくらいのことは分かる。ずっと見てきたのだから。
今度は歓喜の涙が止まらなかった。
あんなにもひとりのひとを想って熱い涙を流すことは、おそらくもうあるまい。
今思い返せばあの瞬間こそが、我が青春の終わりのはじまりだったのだろう。

私がこの世で最も敬愛した騎手は、馬と人に深く携わるジョッキーだった。
限りある自身のフィールドではそれが許されていたし、そうすることができる環境と関係を自らの流儀と実績によって切り開き、確かなものとして築き上げてきたのだ。
そのさまに憧れ、強く惹かれた。
だからこそあのふたつの春だけが苦い未練として残り続けていた。
桜花賞を目前に今が2017年ということにあらためて気づき、あれから実に6年と7年もの歳月が流れたことを実感した。
傷は時間が癒す。記憶はその過程でやさしく形を変える。
ショウリュウムーンデボネアの記憶をおそるおそる紐解いたとき、もう以前のように悲しみや悔しさに駆られることはなかった。
あるのはただただ懐かしさといとおしさだけだ。
まだ記憶に新しいキズナのことも、産駒が出てくるころにはまばゆい思い出して思い起こしていることだろう。

彼らの背にいたひとはもう馬から降りて久しくなってしまったが、彼の、彼らの、そして私の競馬はきっとどこかで繋がっていて、これからも、どこまでもつづいていく。