うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

私の最愛の馬、プロヴィナージュについて

2017年5月28日。
最愛の馬の子どもが未勝利戦を勝ち上がった。
産駒初勝利。
初仔はついに勝ち上がれずターフを去っていただけに喜びと安堵はひとしおだった。
彼の名はメンターモード。
母馬は、私を最愛の騎手と出会わせてくれた“時の馬”にして最愛の彼女だった。

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1098万馬券が飛び出した伝説の2008年秋華賞、といえばピンとくるのではないだろうか。
良血馬ポルトフィーノの出走と権利馬の回避をめぐって大論争が巻き起こった一連の騒動。
陣営サイドの意向とファン心理とのすれ違いがついには厩舎ブログを炎上にまで追い込み、コメント欄には「そんな勝負にならないダート馬よりも良血馬の出走を競馬ファンは望んでいる」「だから空気を読んで回避しろ」といった心ない言葉であふれかえった。
(一読の価値あり。騒動の経緯とその後について丁寧につづられているのでぜひ読んでいただきたい)
馬へのありあまる思い入れや熱意が一部のファンにそうした言葉を吐かせてしまったのだろう。
愛情は時に偏愛となり、人を狂おしく変えてしまうこともある。
しかし渦中の馬を管理していた陣営といえば終始実に毅然とした態度で応対し、ついに念願の華舞台への出走を決断した。
決戦前のブログ記事には、いわくつきの注目馬に急きょ騎乗することとなったジョッキーと新進気鋭のトレーナーとのやりとりが記されている。
「今回は悪役だぞ!大丈夫か?」
「あー慣れてます」

事実は小説より奇なりとはよくいったものだが、我々はまるでドラマのような結末をみた。
内枠から好位追走したブラックエンブレムが堂々の戴冠。
最前線でレースを引っ張った寮馬、“渦中の馬”プロヴィナージュは粘り込んで3着。
襲い来る後続にハナ差交わさせなかった。
理不尽なバッシングを一身に受けつづけた小島茂之厩舎の二騎が最高の競馬をし、愛馬らが大舞台を踏むに値する実力馬であることを証明する結果となった。
ことの全貌を知ったのは何もかもすべてが終わった後だった。
私はそんな裏事情など知るよしもなく、このわずか2分足らずのあいだ、わけもわからず、ただ彼女の雄姿に魅せられていた。

果敢に逃げて、後続を消耗させ、翻弄して、自らは逃げ残る。
肉を切らせて骨を断つ。
この世界には、こんなにも激しい競馬があったのか。
この馬と騎手、すごい。
今まで見てきたどんなレースとも違う。
今まで見てきた競馬は何だったんだろう。
全然人気がなかったはずだけど、この馬は何者なんだろう。
この馬に乗っていた騎手は、いったい誰なんだろう。
何ひとつ知らないけれど、この馬と騎手がとてつもなくすごいことだけはわかる。
文字通りわずか2分足らずのあいだに目と心を奪われていた。
全身が総毛立ち、気がつけば彼女と彼の競馬の虜となっていた。
こうしてプロヴィナージュと佐藤哲三騎手は、私の最愛の人馬となった。

それからというもの、私の競馬は彼女と彼が中心となった。
ひとつひとつ勝ち上がっていく喜びと安堵。
何をおしても観に行くべきだったヴィクトリアマイル
一線級の牡馬たちと互角に渡り合った重賞戦線。
直前で挫石により泣く泣く出走回避したエリザベス女王杯
震災の影響で調整に苦慮した2011年春季の競馬。
長いトンネルの中をゆく人馬を、ただ遠くから見ていることしかできなかった。
にもかかわらず立ち合うことがかなわなかった、TCK女王盃競走。
そして2012年1月18日のこの日が、彼女のラストランとなった。

二度目のG1挑戦が決まった時、彼女を追って東京へ行くと決意できなかったことをずっと悔いていた。
そのころの私はまだ競馬に無知で楽観的で、能天気にも「次がある」と信じて疑わなかった。
自分の地元で行われるエリザベス女王杯でこそ全力で応援しようとのんきに構えていたのだ。
しかし、ままならなかった。その後の競走生活においても。

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あとに残されたのは、最後に会えずに終わった後悔と、これから生まれてくるであろう産駒への夢と希望だった。
あのとき会えなかった彼女にもう一度会いたかった。
彼女はもう競馬場にはいない。
そのかわり、子どもはやってくる。それが救いであり、楽しみでもあった。
初仔のコンゴウノカガヤキはあまり母親似ではなかったように思う。
でも可愛くてたまらなかった。可能な限り競馬場へ足を運んだ。
その下のメンターモードにようやく会えたのは初勝利をあげた直後、実に4戦目のことだった。
パドックであっと息をのんだ。
歩様がそっくりだったのだ。
少し力みながら、気合たっぷりに、力強く歩いている。
彼女は彼女で子どもは子ども、個々の違う存在だ。
しかし私は彼に、彼女の面影をみた。
貴女はもうここにはいないけれど、ここにいた証を残してくれたんだねと、ひとりでに目頭が熱くなった。
かなわなかった後悔の念から解放された瞬間だった。

次があるかどうかは誰にもわからない。
強いから必ず勝てるとは限らない。
競走馬は難しい。競馬はままならない。
あれだけの活躍馬が重賞タイトルにたった一馬身、二馬身及ばず、じんわりと目に見えて衰えながらターフを去らなければならなかったのだ。
競馬の激しさ、面白さ、奥深さ、愛することを教えてくれたのが彼女ならば、すべてのままならなさと後悔の念を教えてくれたのもまた彼女だった。
だからこそいとおしい。
たとえこの先どんな名勝負に出会ったとしても、私はきっとあの秋華賞競馬ファン人生におけるベストレースに挙げつづけるだろう。
私の記憶のいちばん深く熱く静かな場所で、プロヴィナージュは佐藤哲三騎手を背に今も駆けている。
そして私は、過ぎ去った時を慈しみながら、まだ見ぬ未来へと想いを馳せる。

二度目の小倉。アップトゥデイトが見せた“顔”

おととしの覇者がこの地へと戻ってきた。
春の大一番、中山グランドジャンプで健闘も悲願ならなかったアップトゥデイトと陣営が次走に選んだのはやはり小倉サマージャンプだった。
J・G1初制覇した勢いそのままに快勝したこのレースで完勝の糸口をつかみたい考えもあったのだろう。

あとひといき。
あとは勝負に勝つだけ。
ライバルたちの猛追をふり切ることが難しくなったかつての障害王者に、いつしか多くのひとは衰えを意識するようになっていったが、そうした声があがるたびに
「違う、違う、それは絶対に違う!」
と私は心の中で反論をしつづけていた。
1着が獲れなくなった途端に好きな馬が侮られるのは悔しかった。
そうでないことが証明される瞬間を待ち、信じ、願い続けてきた。
それがこの日、強い確信になった。

パドックに姿を現したアップトゥデイトは物見をしていた。
首を振り、ぐいぐいと引っ張るように周回し、大人の落ち着きを見せていたここ数戦とはまるで違う、いい意味でのチャカつきが戻っていたように感じた。
彼の表情は“かわいく”見える時と“けわしく”見える時があり、この日は後者だった。
激しいほうのスイッチが入った、瞳に力のこもった、ちょっと怖い顔。
“かわいい”顔をして周回していた新潟ジャンプステークスを大敗したのち急きょ参戦した阪神ジャンプステークス、これまで見たこともないような闘争心と必死の形相で勝ち馬に食らいついていったあの時とまったく同じ顔をしていた。

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レースは逃げるメイショウヒデタダを終始ぴったりとマークする形。
いよいよ単独で抜け出すかというときにはもう、勝ち馬が持ち前の平地力をもって進出を開始していた。
マッチレースとなった最後の直線。
叩き合いを制したのは、まるではかったかのような末脚を繰り出したソロル
わずかにハナ差かわされたところがゴールだった。
もちろん決め手もだが、斤量の差も響いたのだろう。完敗だった。
3着にはおととしと同じくマイネルフィエスタが入線し、くしくも7歳馬同士の同期決着となった。

惜敗こそしたものの、これは衰えての敗戦では決してない。
未だありあまる力を見せつけた、秋冬の復権を予見させる結果といっても過言ではないだろう。
パドックを見て「若返った!」と感じたが、そもそも若返ったというほど衰えても老け込んでもいない。
復活でもない。沈んでなど一度もいないのだから。
そしてこれは勝てなかったアップトゥデイトを甘やかすために、都合のいいことを自らに言い聞かせるために書いているわけでもない。
そうすることは彼の周りにいる素晴らしいライバルたちをも侮ることとなる。
サナシオン、タイセイドリーム、ニホンピロバロンオジュウチョウサン、そしてソロル
彼らもまた自らが障害王者となるために着々と力をつけてきたのだから。
最高の障害馬たちが切磋琢磨しあいながら最高の舞台でしのぎを削る。最高じゃないか。

アップトゥデイトとはかれこれ新馬のころからの付き合いだ。
いいときもそうでないときも、勝ちきれないときも、思いどおりにいかなくても、それでも“最強”を背負って戦いつづける。
私はその姿勢に惹かれつづけている。“戦う男”アップトゥデイトに惚れている。
陣営はこれまでの敗戦を教訓に“早く仕上がってしまう、本番を前にしてピークを迎えてしまう”ことを踏まえて、今回の入厩をひと月前から約二週間前へと遅らせて短期間での調教に尽力したようだ。
そんな陣営のことも私は信頼している。
彼らと私の旅路にはまだまだ果てが見えない。
そのことが、今は何より嬉しい。

ドレスアップして競馬場へ。馬主席に招待していただきました。

目的地が一致した競馬友だちが幸運にも権利を射止めたので、ご厚意に甘えて同行させていただきました。
(自分はこういう類の抽選に当たったためしがないのでその強運がうらやましい)
なんだかすっかり気圧されてしまったのであんまり写真はありませんが、ご報告までに。

というわけで憧れの馬主席へ。
受付を済ませて5階へ上がります。
席章とハンドスタンプが再入場チェックの対象になります。

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いい眺め!
障害コースも一望できます。
もっと本物の雲の上の方々はさらに上層部の6階にいらっしゃるようですよ。
席にはモニターが、フロア内には化粧室と券売機があるので一日中ここで競馬に興じることも可能。
しかしせっかく現地に来たので、パドックにも行ってみない手はありません。

 

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パドック全体を見渡すことができ、向かって歩いてくる馬の顔がよく見えます。
簡易扉を隔てたすぐ隣が騎手・調教師控室。
本物の馬主の方はわりとここを自由に行き来しながら任意の先生方と談笑されてました。逆に先生方がこちらへ足を運んだり。
一般人は意味もなく小さくなりながらドキドキしてしまいます。


そんなこんなで満喫してきました。正装で。
夏はクールビズ実施中とのことですが男性は革靴とシャツ、女性は男性に準ずる服装でお越しくださいとのこと。
(夏の正装って難しいぞ… 馬主さんと調教師の先生方と職員さん方はこの暑いなか毎週ほんとうにえらい…)(あと、昨今は厩舎スタッフもきちんとシャツ革靴で周回される方が増えてきた印象が。ほんとうにおつかれさまです…)
とりあえずワンピースとパンプスと、かなり悩んだ末、二の腕が気になったのでカーディガンではなくジャケットを着ていきました。
席は空調が効いていて涼しかったのでこれが正解だった!
ただ衣装を紺と黒で固めてしまったので、もうちょっと夏らしい装いにすればよかったなぁと(バッグとアクセサリー類は白)。

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「このワンピいくらしたと思う?ユニなんとかかんとかでなんぼなんぼで買うてん」(大阪人)
張った応援幕をうっかり撮り忘れていたので最終後に。
わかったからとりあえず脚を閉じたまえ。


競走馬に出資をして口取りという目的でも発生しない限りドレスアップして競馬場へおもむくことなんてきっとないだろうなぁ、ましてや馬主席なんて一生涯縁のない場所だろうなぁ…
と思っていただけに、貴重な体験を提供してくださった主催者さまと、競馬が縁でつながったお友だちには感謝してもしきれない気持ちでいっぱい。
機会があればぜひまた。
今度は私が当てて招待したいものです。
本物の馬主になれたら一番いいのだろうけれど、それはいちばん遠くにある夢ということで!

熱が落ち着いたかもしれない時に思うのは

競馬のことをつぶやいてない自分は無価値なんでは。
ふとそんなことを考えていた。
このところよく考えていた。
後ろ向きになってきてどうにもいけない。
考えれば考えるほど今の自分に対して否定的になってきて、普通にしてても萎縮してしまいそう。
とっても自意識過剰な考え方ですね。
でも、弱ってるときや自信のないときって、意味も根拠もなくそんな感じになりませんか。
私はなってました。意味も根拠もなく。

競馬への熱が落ち着いてきて、前みたいに予想と馬券で真剣勝負をすることも減ってきた。
そういうつぶやきも減ってきた。
好きな人馬を淡々と見守る感じになってきた。
自己完結的になってきて、興味のあることにしか関心がない、という状態。
タイムラインに流れてくるのでレース結果や有力どころの動向、競馬界の出来事なんかはだいたい把握しているものの、ちょっと遠い世界のお話のように感じている。
応援馬に未勝利・条件馬や障害馬が多いからというのもあるかもしれない。
楽しみ方が変わったのだ。

今競馬が楽しい!というひとはもちろん、今は別のことの方が楽しい!というひと。
そういう競馬が縁で親しくなったひとにもなんとなく引け目を感じるようになって、もともと競馬のことばっかりつぶやいてたアカウントだしなぁと、気にするくらいには気にしていた。
正直なはなし、競馬そのものへの執着は薄まってきている。
熱い濃い強い執着から、薄味の水や空気みたいな存在に変わってきている。
たぶんこの調子で私は“好きなものを好きなだけ”のマイペースで競馬を、競馬のなかの好きなものを愛でていく。
でも、今まで競馬への熱く強く濃い気持ちを声に出してきた自分からそういう競馬成分が薄まってしまったら、他にいったい何があるっていうんだろう。
そうしたら冒頭。
競馬のことをつぶやいてない自分は、無価値なんではと。

せめて一日にひとつは競馬のことをつぶやこう。
そんな日がつづいていくうちに、私のしていることは単なる“誰か”へのアピールなんじゃないかと思い至った。
“誰か”に認められるためにつぶやくのか?
違う違う。
「あのひとがこれ読んでくれてたらいいな」という気持ちで何かをつぶやくことも時にはあるけど、それはいわゆる空中リプライなんかじゃなく、自分自身も好きだったり感銘を受けたりしてたくさんのひとに伝えたいことだからだ。
私がアピールしつづけていた“誰か”はきっと、変わっていく自分をうまく受け入れられずに戸惑っていた私自身だ。
そうすることでエネルギッシュに打ち込む過去の自分自身に依存していたのだ。
人間が年齢や経験を経て変わっていくのは当たり前のことだというのに。
自分自身が変わっていく過程で、競馬は水や空気のようにそばにあって当然の、大切なものへと変わっていっているのだ。
いったいどうして、何を嘆くことがあったのだろう…

それにしても冒頭の言葉、そっくりひっくり返してみればまるで「競馬のことをつぶやいてる自分には価値がある」とでも言いたげでちょっと、いやかなり傲慢で恥ずかしい。
とても思いあがった未熟な言葉だけど、だからこそ自戒のためにこうして残しておく。
これまでどおり、価値のためでなく好きのために私はつぶやく。
素直な気持ちと正直な言葉にこそ力は宿る。

わたしなりの「馬が好き、競馬が好き」

馬とふれあう機会があった。
すぐそばまで近寄ったとき、どう接するべきなのかわからなくて戸惑った。
馬が服の袖を食んできた。
すっかり体がこわばってしまって、私は何もできなかった。
競馬ファンたるもの、本来ならもっと「なんてかわいいんだろう!」と感激しスキンシップを惜しまないシーンだったのだろうと思う。
でも私は、馬をどう愛でたらいいのかを知らなかった。
どんな声や動作で「かわいいよ、好きだよ」と気持ちを伝えればいいのかがわからなかった。
かろうじて撫でることのできた鼻先があたたかくて、嬉しくて切なくて、もどかしくて申し訳なかった。
こんなにも好きなはずなのに、私は本当になんにも知らないんだなぁと。

「馬が好きなの?競馬が好きなの?」
と問われて、「どっちも好きです」と私は答えた。
もともと動物が好きだから馬もかわいい。
競走馬として応援している馬がいる。応援幕を作って出している。
馬に携わるひとを尊敬し、応援している。
競馬場へ行けば応援のみならず予想と馬券にも取り組む。競馬のために遠征もする。
下手だけど写真も撮る。そのためにカメラを買った。コンデジだけれども。
今までもこれからも競馬の中で楽しめることなら何でも挑戦したい、と。
偽らざる本音で真実だ。その姿勢は今も変わらない。
これ以外の答えはないと納得しながらも、「~~号のダービーを観たのがきっかけで馬が好きになったんです」と迷いなく答えた、自分よりもずっと若くひたむきな同行者のキラキラした様子がまぶしかった。

私の競馬との出会いは、家族とともに興じる予想と馬券とレースだった。
まずはそこからはじまって、ギャンブルとしてゲームとしてスポーツとしての競馬を面白いと感じているうちに、敬愛するジョッキーとめぐりあった。
一度目の変化。世界は彼を中心にまわるようになった。
そして二度目の変化。
最愛の騎手が現役を退き、これまで世界の中心となっていたものをなくし、信仰を失い、自分の競馬を見る目と向きあいかたは変わらざるを得なくなった。
今も変化の途上だ。
ひとだけでなく馬そのものを見るようになった。
騎手だけでなく厩舎やオーナー、馬の周りにいるひとたちも見るようになった。
これまであまり興味のなかったこと、別に知らなくても楽しめると後回しにしていたこと、手つかずだったことも少しずつ理解していこうと心がけるようになった。
不思議なことに、好きで好きでたまらなかったひとを熱心に見つめていたあのころよりも競馬というものの全貌に対する理解は深まってきたように感じる。
今にして思えば、特定のひとりへの愛が広いはずの世界をひと一人とその周りのわずかな範囲にまで狭めていたのだった。
それはとても甘美な日々ではあったけれど、あの愛ゆえに私は今もどうにもしがたい淋しさと闘っている。
もうじき3年の時が経つが、この淋しさとはきっとこれからもずっとつきあっていくのに違いない。
しかしあの年月があったからこそ今があるのだ。
当時の自分を若く拙かったとふり返りこそすれ、愚かだったと笑うつもりも、もっとこうすべきだったと後悔する気持ちもない。
そのときその瞬間を全力で生きたことの積み重ねの上に今日があるのだから。

おそらく私は、そういう全部をひっくるめた競馬の世界が好きなのだと思う。
あのとき問われて答えたことがすべてだ。
ところが、わずかながら馬とふれあったとき、これまで自分にとってはレースというなかば2.5次元の世界を走っていた彼らの生身の肉体に対面したとき、大きく未知なるものへの恐怖にも勝る欲求が静かにわいてくるのを感じた。
もっと知りたい、ちゃんと愛でたい、向きあいたい。
でもそうしてしまったら、きっと自分は彼らを愛さずにはいられなくなるだろう。
乗馬も、一口馬主も、馬の仕事の現実も、もっと踏み込んだ応援も、それとなく避けてきたのは覚悟が持てないでいるからだ。
本当に何もない、知識も財力も若さも覚悟もなんにもない無力で薄っぺらな自分が、分不相応に馬を愛してしまったら…と思うと怖いのだ。
なんにもない私は、彼らを愛しても、なんにもしてあげられない。
覚悟が持てないのなら浅瀬のままでいいと、広く浅く楽しむ競馬ファンとしてこれまでを謳歌してきた。
たとえばあと十年若ければ、彼らとかかわることを生涯の仕事にと一念発起して、まだ見ぬ世界へと単身飛び込んでいけただろうか。
できたかも知れないし、今とさして結論は変わらないような気もする。
仕事にまでせずともアプローチの方法はほかにもたくさんある。
かかわりと理解を深めるのなんて、ひとそれぞれ独自の世界の中でひそやかに興していくことだ。

私はあのとき、「馬が好きです」と答えたかったのだと思う。
答えられなかったのは、彼らをあまりにも知らなかった自分自身が恥ずかしかったから、そしてその葛藤を対峙した馬にもひとにも見透かされていることを悟ってしまったからだ。

趣味でいいのだと思う。
生涯いちファンでいいのだと思う。
趣味をたしなむ競馬ファンでかまわないと思いながらもなおこんなにも考えることが止まらないのは、本当はもっと深く知りたいからなんだろう。
ちゃんと愛してみたいからなんだろう。
「まだまだだから、もっと馬のことを勉強しよう」と憧れてやまないひとから不意に贈られた言葉が、ずっと私の心とともにある。
この言葉を受けとったときは「レースや血統とかじゃなくって、馬のことなんだ」と意外に感じたものだけれど、今ならわかる気がする。
ようやくわかりかけてきた。
かのひとにも見透かされていた。気持ちや姿勢はおのずと伝わるものなのだ。
過去は忘れずに今を見て応援してほしいと願うひとは、これまでもこれからも馬がいるんだから少しも淋しくないじゃないかと言っている。
そういうふうに、今は解釈している。

私には好きな馬がいる。
この先も競馬ファンとして、できるところから彼らとのかかわりかたを模索していくだろう。
今はまだ悩みの最中、三度目の変化を迎えるかどうかという分岐地点に立っている。
どこへ向かうのか、どっちへ行きたいのか、何がしたいのか。
このごろ何とはなしにモチベーションが下がってきたといいつつも変わらずのつきあいがつづいているので、このまま凪いだ状態がつづくのか、現状を変えるべく新しい何かをはじめるのか、それとも。
実をいうと、もうこの先は競馬でなくてもいいのかもしれないな、と胸をよぎった時期もほんのわずかながらあった。
競馬との出会いは偶然だったけれど、それから後は必然で、競馬でなくてはならなかった。
でもこの先はわからないかもね、と揺らぎかけていたのだ。
しかし離れることはやっぱりできないようだ。一週間あいただけでもう競馬場が、馬が恋しい。
それに、競馬に命を救われたこの身はまだ誰にも何も恩返しができていない。
もっと自分には何かできること、すべきことがあるんじゃないかと思っている。思いたい。
たとえ何もなかったとしても、これから探していきたいのだ。生きがいとして。
私は馬が、競馬が好きだから。