うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

彼に見た夢

花束と、唯一残していた写真を手向けに阪神競馬場へ行ってきた。
道中も、献花台を前にしても、記帳を終えた後も、帰りの電車の中でも、まだ何の実感も湧かないのに目頭ばかりが熱くなった。

エスポワールシチーに騎乗してくれた。
ひとつ、またひとつ勝たせてくれた。
応援できることが嬉しかった。
そのたびに後ろめたさも感じていた。
夢のつづきを見たいばかりに、かつての面影を追うばかりに、私は一番したくなかったことを彼にしてしまったのではないか。
献花台を前にいよいよ区切りなのだと思うと、彼に自分の夢を押しつけてしまった後悔ばかりが押し寄せてきたのだった。

敬愛するジョッキーの落馬負傷という半ば避けては通れぬ体験を経て、私の応援はただ信じて見守るのみとなった。
何も足さず引かず、心で想って、あるがままを受け入れる。
誰かを想うあまりの言動が、対象や同じ境遇にいる誰か、あるいは自分と同じ側の誰かを傷つけ追いつめることもあるのではないか。
そう思うと怖かったのだ。

応援とは何か。
夢とは、競馬とは。
馬とは、騎手とは。
答えは人それぞれ違うところにあるんだろう。

私の後悔はきっと思いあがりだ。
もとより馬は人と夢を、騎手は責任を負って、ともに命をかけてレースに臨む。
その勇姿にわたしたちファンは憧れ、何かを思い、感じ、想いを託し、儚くも確かな夢を見る。
競馬はずっとそうして続いてきたのだから。

ほんの一時、彼らに夢を見た。
見せてもらった。見ることができた。
その時の甘美な想いがこれから競馬と関わっていくうえでの支えになる。
夢は負わせるものでも押しつけるものでもない。
懺悔ではなく感謝を。