ジャンプレース春の祭典『中山グランドジャンプ』。春秋王者アポロマーベリック、レッドキングダムの両雄を完封し、2着馬ソンブレロに大差をつけたアップトゥデイトのレコード圧勝劇で幕を閉じた。
落馬、競走中止の相次ぐタフなレースとなったが、勝ち馬の最終4コーナー手前からの抜け出しロングスパートはまさに圧巻。
私はこの馬を応援しにはるばる上京していた。
トレーナーの言葉を借りるならば、わたしこそ足の震えが止まらず、腰が抜けそうになった。
アップトゥデイトは平地競走でデビューし2勝をあげるも、その後伸び悩み入障。
以降、林満明騎手とのコンビで順調に勝ち星を挙げ、障害競走キャリア6戦目にして見事J・G1タイトル獲得となった。
デビューから3戦目まで手綱をとったのは、佐藤哲三元騎手だった。
新馬戦を勝利で飾り、現役引退を余儀なくされた落馬事故の直前にはヤマボウシ賞で2勝目をあげており、事故数日後に行われた兵庫ジュニアグランプリにも騎乗予定だった(下原理騎手とのコンビで2着)。
佐々木晶三厩舎の管理馬。
主戦は佐藤哲三騎手。
道半ばでの交代劇。
応援せずにはいられなかった。
私の競馬歴の中心には、哲三騎手とともに常に佐々木調教師がいる。
佐々木晶三という人物を紐解いてみるとなかなかに波乱万丈の半生を歩んできた人物とみえて、敬愛するジョッキーと無二の信頼関係にあるこのトレーナーは長らく私の応援対象であった。
そんな師がなぜか障害馬を手がけないことを知っていたから、この馬が入障したときには我が目を疑ったものだ。
予感めいたものを想い、何かが始まるのだと胸を躍らせた。
すべてを知ったのは大願が果たされた後だった。
佐々木師が障害馬を手がけるのを辞めたきっかけは、1998年オーバーザガルチでの落馬事故。
— さとえ (@satoe1981) 2015年4月20日
このとき同馬に騎乗していた北村卓士騎手は外傷性脳挫傷などの重傷を負い、後に引退を余儀なくされた。
福永祐一騎手の母方の叔父にあたる方で、JRA賞最多勝利障害騎手を三度も受けた名手。
障害馬を手がけるのは実に16年ぶりのことだという。
かつて自身の管理馬がひとりの名手の騎手人生を左右させた。
そしてその十数年後、信念を分かち合った主戦騎手をも失う。
勝ち星は遠のく。
厩舎を支えてきた馬も引退していく。
後進はなかなか育たない。
キズナも休養中…
そんな中で活路を見出すための新たな試みだったのかも知れない。
管理馬への愛情だったのかも知れない。
あるいは野心、あるいは執念、あるいは好奇心だったのかも知れない。
一度自らが閉ざした扉を再び開く決意をするには想像を絶する勇気が要ったことだろう。
しかし師はおそらく、見抜いた素質を、閃きを、活かさずにはいられなかった。
16年分の過去をアップトゥデイトが克服させたのだ。
「哲ちゃん引退してさっぱりですわ」と口にしては寂しさを隠さなかった佐々木先生が、若駒の頃を哲三騎手と手がけた馬で新天地のG1を勝てたというのは、大きな喜びと力になると思うのです。
— さとえ (@satoe1981) 2015年4月18日
アップトゥデイトと林騎手。
先生を中山へ連れてきてくれてありがとう。
そして、おめでとうございます。
アップトゥデイトはキズナを擁するノースヒルズの生産馬である。
いち競馬ファンである私はそのことに繋がりを感じずにはいられない。
ささやかな願望といっていい。
こうして推しはかって書くことさえおこがましい気がするが、いつの日か師の口からあの独特の“晶ちゃん先生節”で真相が語られる時が来るまで夢想していようと思う。
厩舎の活躍と、きたる冬の祭典へ向けて、人馬の無事と成功を願いながら。
補則。
— さとえ (@satoe1981) 2015年4月21日
北村卓士騎手の落馬事故があったのは1998年だが、実務上障害馬を管理していたのは2000年まで>佐々木厩舎
ニュアンスとしては伝わるが“14年越し”とするのが正しい。
記事によって表記がまちまちで、最初に読んだ記事を前提に書きすすめてしまった。猛省。
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