読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

アップトゥデイト、中山GJを回避。馬とはままならない夢。

第一報は3月27日にあった。
ツイッターのタイムラインに流れてきたのは、負傷した白浜雄造騎手に代わるアップトゥデイトの鞍上が高田潤騎手となったことと、エイコーンパス屈腱炎による引退を示唆するリツイートだった。
ソースはスポーツ報知と記されていたものの、紙面やアドレスは添付されていない。
いわゆる又聞きの状態だ。
(おそらくオンラインでなくその日の朝刊に記載されていたものと思われるので確かめる術がないことはなかったのだが)
まさかまるっきりの嘘ではないだろうとはいえ、信ずるにはまだ心もとなく、
「メディアから明確な記事が出て、この目で確かめないことには…」とやきもきする数日間を過ごした。

そして3月末日。

前年のハードル王の近況報告は、春の大一番を前に一転して悲報となってしまった。
まことしやかに流れてきた新たな鞍上決定の報ではなく、故障回避と今後の予定について。

たった数日のうちに、こうも事情が変わってきてしまうものなんだな。
競馬とはままならないものだな…
そんなことをぼんやりと思いつつ、驚きこそあったが、自分でも不思議なくらいに動揺は薄かった。

思い出されるのは昨年秋のこと。
小倉サマージャンプ快勝後に出走を予定していた東京ハイジャンプを回避し、実に4ヶ月もの休養から中山大障害へ直行したことを。
あのときも気を揉んだ。
思いがけない知らせだったから。
小倉でのレースで負担がかかったのかな。
故障の程度はどんなものだろう。
東京ハイジャンプを回避すればあとは適当な前哨戦がオープン特別となってしまう。
斤量を背負わされてまでそこを使うのを良しとするとは思えない。
ならば大事をとって中山大障害は回避するのかな…
結果としてそれらはすべて杞憂に終わった。
その後の道筋はアップトゥデイトの強さの賜物であり、またバックヤードを含む陣営の尽力あってのものだった。

こうしたもの思いは人馬を問わずこれまでに何度も何十度もあった。
“馬ありてこそ”の競馬に、馬への一喜一憂はつきものだからだ。
そこには当然のように私情が加味される。
気を揉みながら、なにより無事にと願いながらも、
「暮れの中山で彼を見たい」「中山へ行きたい、連れていって欲しい」「行って彼が勝つ瞬間に立ち合いたい」
と熱望している自分自身がいる。
まぎれもない私情。
私情であり自分の都合。
自分が想うにまかせた夢物語。
そうした自分を“勝手な競馬ファン”と後々になって恥ずかしくふり返ったりもするのだが、なかなかどうして競馬に抱く夢というのはそうそう自制できるものでもないらしい。
心の奥底から湧きあがってくるものだから。

冒頭で触れたリツイートを目にしたとき、
「マスコミでもないのに」と内心いぶかしんでしまった。
障害競走とアップトゥデイトという私の信ずるものがあるからこそ、余計に不鮮明さと不信感を覚えてしまったのだろう。
しかし競馬は馬ありてこそとかえりみるとき、件のツイートをしたひとにもきっと見えるもの信ずるものがあるのだろうと想像できた。ツイートを通して私の前にひとりの競馬ファンが立っている姿が見えたのだ。そのひとも件の悲報を伝え聞いたとき、私と同じように、競馬のままならなさを痛感したのではないか。

想いを同じくするひとと共有したいと考えたのではないかと。
フォロワーでもないひとをこのように勝手に推し量ったことは、どうか許されたい。
 
アップトゥデイトの鞍上がほんの一瞬だけ高田潤騎手となったこと。
骨瘤のため中山グランドジャンプを回避すること。
休養をはさんで新潟ジャンプSから始動し中山大障害を目指すこと。
エイコーンパスが登録抹消されたこと。
これらが公となったいまも、もの思いは消えない。
この数日の間、あまりに目まぐるしすぎた。
複雑であり、残念であり、ざわざわとして、しかし受け入れるしかない。
なぜなら競馬は馬ありてこそ、しかしどうあってもままならないのが競馬なのだから。
ままならないものに翻弄されながらも次に希望を繋いで夢を見ることを許されたのだと、いまは胸をなでおろすばかりだ。
新潟で再会できるかも知れない。
そうすれば、そこから先の眺めもおのずとみえてくる。
信じているのだ。あの馬と彼に関わるひとたちを。
 
多くのファンが期待をふくらませていた三強対決でこそなくなったが、いずれの馬もこの大舞台へたどりつくべくしてたどりついた名馬という事実に何ら変わりはない。
暮れの同じ舞台で現チャンピオンと頂点を競い合うのはどの馬か。
より公平な視点で観られるこのうえない機会、刮目して見てきたい。