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うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

悩んで考えて買って賭けて。馬券のお話を少し。

競馬

はじめて馬券を買ったときのことを、覚えていますか?
それとも馬券は買わない?
応援はするけれど賭け事はしない?
それはそれは、ちょっともったいない、かも。

もともと大のギャンブル嫌いのあたまでっかち女が何の縁か家族のすすめで馬券からこの世界に足を踏み入れ、予想の面白さレースの迫力そしてサラブレッドの美しさに魅せられ、大好きな競走馬やジョッキーとの出会い別れを経て。
まごうことなき競馬ファンができあがってしまった。
かれこれ9年近く競馬を、6年以上ツイッターをやっている。
その間じつにさまざまな“競馬ファンのかたち”をまのあたりにしてきた。

 

これは私の普遍的なポリシー。
もちろん好きな馬や彼らに携わるひとたちの無事や健闘を願う気持ちが一番。
しかし競馬の中には、賭けてこそ見えてくるもの、味わえる想いもある。
競う人馬に賭ける。
予想して馬券を買う。
勝つために負けないために、ありとあらゆる知恵と記憶を駆使する。
このめちゃくちゃ楽しいプロセスをはじめから手放している層はやはり存在していて、いわゆる“推し”を熱心に応援していたり、「ギャンブルでなく競馬が(馬が)好き」と公言しているような層。
バリバリのガチガチの馬券派ではない私もどちらかといえばこっち寄りではあるものの、決定的な違いは“ギャンブルとしての競馬”もそれとして楽しんでいるところ。
競馬場に行けば馬券を買っているし、行けない日も重賞はほぼIPATから投票している。
その程度といわれればその程度で、額もせいぜい一口100円からカフェでセットメニューが食べられるくらいまで。
なんとなくの上限つきではあるけれど、勝ちたくて考えてやっているという点では博打たりえる。
そう、私は大の負けず嫌いなのだ。
戦わなければ負けることはないが、勝つこともできない。

冒頭でも述べたとおり、過去の私は大のギャンブル嫌いだった。
競馬に興じる家族を冷ややかな目で見ていたし、馬券を買って負けた金でおいしいものがたらふく食えるのに…などと本気で思っていたし、実際に口に出して非難していた。
単に他者の価値観を許容できないひどいやつだ。
家族はよく笑って許してくれていたと思う。
私、いや私が見ている世界にとって賭け事は悪だったし、悪への否定はこれすなわち正義。
手前勝手な正義感をふりかざして、自分はまともな人間だとただただ安心していたかった。
間違えることが怖かった。
若さゆえに頑なだったのだ。今にして思えば。

そんな自分がはじめて馬券を買った。
文句は一度やってみてから言え、というような流れでそうなったのだと思う。
とはいえ険悪なムードは一切なく「お前みたいなのが一番ハマるタイプ」「そんなばかな」「たぶんお前が性格的にこの中で一番の博打うち」「いやいや、ギャンブルがしたいんじゃなくて、いっぺん体験してみるだけだから」というようなやりとりの中、まずは券種から予想の仕方をざっくりと教えてもらいつつマークシートを塗った。
数時間後にこれが金に換わるかも知れないと思うと、ちょっとした高揚感があった。
そんな自分が怖くもあり、不思議と面白くもあった。
忘れもしない、2007年秋の天皇賞
メイショウサムソンの2着にアグネスアークが突っ込んできて小波乱になったあのレース。
大事な金をドブに捨てたくない、負けたくないと考えに考えて選んだ枠連が的中した。
絵に描いたようなビギナーズラックだった。
その次のG1、ウオッカが右寛ハ行で回避しダイワスカーレットフサイチパンドラで決まったエリザベス女王杯も的中した。
絵に描いたようなビギナーズラックふたたび。

勝ち得る喜びを味わいながら、競馬っていうのはなんて簡単なんだ、と笑いがこみあげた。
予想をして馬券を当てることが、という意味ではない。
あんなに嫌っていたギャンブルに興じ、馬券を買うことなんて、なんてこともないたやすいことだという実感だった。
悪でも堕落でも間違いでもなかった。
ささやかなスパイスとでもいおうか。
競馬を楽しむ大多数のひとたちは、日常の中のちょっとした非日常を、自分の持てる範囲内で勝った負けたあの馬が好きこの騎手に賭けたい…と思い思いに楽しんでいるだけ。
自分の最も身近にいる家族がまさにそうだったのだ。
そんな諸々の想いも込めてこの世界を勧めてくれたのかも知れない。今にして思えば。

競馬との出会いは、これまで許せなかったものを受け入れ、知る由もなかった想いに触れ、他者の価値観を許容し、頑なに閉じていた世界が大きく開けていくきっかけにもなった。
自身を抑圧していたタブーがなくなったことで、私の遅れてきた最後の青春の幕が開けたのである。
もちろん二度あることは三度なく、あの秋天エリ女ビギナーズラック以来、長い探求の旅をいまだに続けている。
こんなにも勝負にこだわるのは、敬愛してやまない佐藤哲三元騎手が「ファンのために馬券に絡む騎乗を、ひとつでも上の着順を」と公言し常に実行していたからというのも大いにある。
まず賭ける楽しさを知り、その縁で好きな馬やひとと出会い、どんどん世界が広がり。
それからの人生、今に至るまで本当に楽しい。

話は横道に逸れてしまったが、自身の経験上、ギャンブルへの忌避というのは後ろめたさや罪悪感からくる感情と思われる。
博打は悪いことだという先入観、金は形なき不確かなものに浪費すべきではないという正義感、人間は快楽に溺れてはならないという自尊心もあったりなかったり。
私の場合はやはり実際にやってみて、興奮の中にあっても自分自身を律することができ、自分には自身を律するだけの理性が備わっているのだと分かった瞬間に、馬券を買うことへの後ろめたさや罪悪感は露と消えた。
一番の理由は競馬が、競馬というスポーツが大好きで、馬と馬に携わるひとたちを敬愛してやまないからなのだけれど。

結局何が言いたいのかというと、馬やジョッキーが好きで応援馬券を買うようなひとは、精神的にとても強いひとです。
(というのが、これまでに恵まれたご縁の中で最も実感したこと)
そういうひとが、ただただ賭けることのみに溺れるわけがない。 
ので、個人的には、そういう競馬を愛してやまないひとにこそ、競馬の楽しさをより味わってもらえたらいいのに…なんて思ってしまうのです。余計なお世話ながら。
賭けることは競馬ファンに与えられた喜びだから。

ただ、本当にギャンブル苦手なひとに馬券買わないの?と訊くことは、焼肉好きだけどホルモン食べられないひとにモツも食べなよ!と食い下がるような感覚に近いものがある(気がする。人間、だめなものはだめ)ので、あくまで心の中でぼんやりと思っているだけです。
本当に楽しみ方関わり方はひとそれぞれなので。
長年心の中で思っていたことがようやくポリシーとして固まってきたので文にしてみただけで、特定の誰かに向けた怪文でもなければ、価値観を否定批判するためのものでも、自身の考えを押しつける目的でもないです。
前述のツイートにしてみて、もしかしたら受けとるひとにとってはそう受けとれてしまうのかな…と猛省しつつ、いよいよ書くべきときがきたと思いながら纏めた次第。
ぜんぜん纏まってなくて、本当にうまいこといえてなくて、拙さの極み。

ちなみに、私の渾身の馬券はたいてい1着馬が抜けるか2着馬にブチ割られる。
実に悩ましい。
そしてホルモンは食べられなかったけれど美味い店に当たってこのごろは克服できつつある。
余談も余談でした。