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うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

新潟ジャンプS まさかの大敗。アップトゥデイトに見た変化

競馬

障害競走にグレード制が導入されて以降、J・G1馬の新潟重賞への参戦は史上初。
今年度の初動をまさかの敗戦で迎え、続く中山グランドジャンプを骨瘤により回避。
そんなアップトゥデイト陣営が満を持して復帰戦に選んだのが新潟ジャンプステークスだった。
あえて挑戦するからには新潟の地に積ませたい経験とつかみたい手応えがあったのだろう。連覇のかかる中山大障害へ向けて。
そう信じている。疑いはない。
平地力はあるが平坦コースが決して得意なわけではない。
障害はオール竹柵。
襷もバンケットもない。
すべてが芝。
今思えばそうだったのだ。
もちろん新潟という可能性が現実味を帯びたときから考えていないわけではなかった。
しかし次走を思い描いていた時点では、細かい条件を問うような馬ではないというゆるぎない信頼と確信があった。
盲信といっていいかも知れない。

結果は大敗。
レースは終始3番手からスムーズにすすめたタイセイドリームが押し切って大金星。
後方から終盤追い込んだアロヒラニが2着。
3着には前年度の覇者ティリアンパープルが入線。
アップトゥデイトは掲示板をも外した。
中団以降から内々を追走するもエンジンがかからず、ついに見せ場もなく8着に終わった。

スタートが決まらなかった瞬間から予感はあった。
それでも、どこかで必ずと見守っていても、位置取りはいっこうに変わらない。
決してまずいわけではない。しかし跨ぐような飛越。
以前のように体全体を使って弾むような躍動感を見いだせなかった。
どうひいき目に見ても重そうに走っていたのだ。
絶頂にあった頃と見比べているからだろうか。
それもあるかも知れない。
別段まずくはないのに、どうしてこんなにも、小さくまとまってしまっているのだろう…
ただ言えることは、これは新潟うんぬんの問題ではない。 
わからないのだ。主戦の林騎手がコメントしている以上のことは。

「出負けはしたが、この馬がこんなにハミを取らないのも珍しい」
「ケガではないと思うけど、こんなに負けた原因がわからない」

障害競走はいかに自分たちのかたちで競馬できるかが勝敗を分ける鍵となる。
鞍上から出負けという言葉が出ているということは不本意に控えざるをえなかった、出していけなかった、ということだろう。 
いつにない位置取りに戸惑い、リズムを欠き、気分を損ねてしまったのだろうか。
アップトゥデイトはジョッキーの懸命なステッキにも反応せず、ようやく馬体を外へ持ち出せた最後の直線でも伸びあぐねた。

競馬が勝ち負けを競うレースである以上、勝者にも敗者にも等しく、その着順に到達した何かしらの理由がある。
しかし部外者、私のようなただ見ているだけの人間が何かに敗因を求めて羅列したところでただただ言い訳がましくなるだけだ。
負けたことを何かにこじつけて肯定はしたくはない。否定もしたくない。
だからここからはただただ主観で感じたことをいう。
誤解を恐れずにいうならば、
「彼は大人になったのかも知れない」と私は感じた。 
パドックでの様子を思い起こす。
あんなにも物見が激しく、慎重でせわしなかった彼が終始落ち着いて周回していたことを。
別馬を見ているかのようにおとなしく曳き手に従って歩いていたのだ。
まるで剥き出しの警戒心、あるいは闘争心、あるいは好奇心の一角が削れてとれたような。
尖っていたものが磨かれて丸くおさまったような。
ひとはそれを成長、成熟と呼ぶのではないだろうか。
春から不本意な流れが続いた。
思いがけない乗り替わり、敗戦、故障、長期にわたる休養。
不運と我慢の続いた月日が無邪気だった少年をやがて大人の男に変えたのではないだろうかと。

もちろんこれは勝手な想像でしかない。
個人が見えている部分だけを見聞きして感じたことでしかない。
加齢と成熟を敗因にあげるような意図もない。
精神的に成長してなお強さを増した馬だってごまんといるからだ。
ただパドックで再会したアップトゥデイトの静かな瞳を目の当たりにして、どうやら彼は変わった、とだけ強く感じた。
今までの彼とは違うと感じたとき、よぎったのは期待ではなく不安だった。
それでも信じて託した。馬券を買った。
盲信であり過信だったのだろう。
でもそんなことは当たり前なのだ。ずっと思い入れて応援してきたのだから。

アップトゥデイトは故障を克服し、厳しい調教に耐え、レースを終えて無事に帰ってきた。本当はそれだけでいいのだ。
しかし時として期待が過ぎて、ふと初心を置き去りにしてしまう瞬間がある。
期待に舞い上がっていたそんなとき、メインレースより数時間前、パドックすぐ隣の馬頭観音に手を合わせる佐々木師の姿を偶然見かけた。
長いあいだ拝んでいたらしい様子に、馬に携わる人間がまず一番に祈ることは無事にほかならないのだと実感するとともに、私もまた初心を取り戻すことができた。
勝ちを観にきたのではない。
ただ好きだから応援しに、好きな馬の無事を見届けにきたのだと。
回ってくればそれでいいだなんて、最優秀障害馬にかける言葉としてはふさわしくないのかも知れない。
しかし出走するすべての馬に勝利をつかむ権利とチャンスが与えられているように、これが競馬でレースである以上、敗者となる可能性と失敗をおかすリスクも平等にもたらされる。
今回思いもよらぬかたちで敗戦を喫したことで想いはより深まった。
ただ信じて見送って、結果を受け入れよう。
負けを嘆くよりも無事を喜ぼう、これからもずっと見守っていこう。
あのとき何が起きてなぜ負けてしまったのか。
本当に歯車が噛み合わなくなってしまったのか、一時的な低迷なのか、それとも成長と復活を遂げてさらなる新天地へとたどり着けるのか。
すべての疑問に対する答えはこれからの競走生活の中で明かされてゆくはずだ。
障害馬は比較的高齢でも活躍できるとはいえ、体質のことなど鑑みるに、残された時間はおそらくそれほど長くはない。
最後のときまでファンとして彼の成長と戦いの年月に添っていようと思う。


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