うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

いつのときも勇敢な挑戦者。アップトゥデイト、二度目の中山グランドジャンプへ

勝つことしか考えていなかった。
アップトゥデイトオジュウチョウサンを打ち破るには自分の競馬、セーフティーリードをとって持久力勝負に持ち込むよりほかないと、当日までに何度も何十度も、想い描いていた。
レコードを叩き出したしたおととしの再現、道中でオジュウチョウサンにマークをさせずに三角でどれだけ後続を突き放しているか、いかに持ち味のロングスパートを成功させるかが鍵だったのだ。
陣営はこの日のために乗り込みを増やし、スタミナ強化に努めてきた。
まさにメイチの出来にあった。しかし。
逃げるメイショウヒデタダを追走し、仕掛けのタイミングで前をとらえにかかるも後ろとの間隔を大きく広げるにはいたらず、とうとう自身も捕まってしまった。
直線を向いて勝ち馬との差は広がるばかりで、末脚に懸けたサンレイデュークの後塵をも拝した。
主戦の林満明騎手いわく、本番では気合が乗りすぎて跳びがよくなかったという。
賢い馬なので雪辱を果たしたいという周囲の期待を敏感に察していたのだろう。
持ったままで並びかけてきたとき、オジュウチョウサンの手応えは唸っていたという。
完敗だった。

私は彼をちゃんと理解していなかったのかも知れないな、と思った。
なんというか、私の想い描くアップトゥデイトと、アップトゥデイトそのものは違うのだ。当然のことながら。
着差以上の強大な力に愛する馬が打ち据えられて、それはもう悔しいのだけど、ひとりでに涙が出てくるくらい悔しかったのだけど、当然それって自分の気持ちのための悔しさなのだ。
どうして、っていっても、頑張って走って結果が出た以上、どうしてもだし、現実がこうなのだ。

アップトゥデイトそのものを一番よく知っているのが厩舎陣営であり主戦騎手だ。
どうして逃げなかった、どうして離さなかったというのは、それはもう結果でしかない。
逃げられなかったのだろうし、逃げないほうがいいと判断したのだろう。
行ったけど離せなかった、離さないほうがいいという判断だったのだろう。
初めての大障害コースに挑み、自分たちの競馬に徹したメイショウヒデタダが最下位に沈んでいるように、深追いをするのは危険だと察したのだろう。
果敢に挑んで散りゆくさまは美しい。挑戦者の美学だ。
一理あるが、そうして無理をおして大敗し、リズムを崩した馬をこの十年のあいだに何頭も見てきた。
ファンは自らの理想と願望とを人馬に当てはめて夢を見たり馬券を買ったりできるものの、願い祈るだけで彼らを応援する以外に何もしてやれないし、ましてや一緒に責任を負ってやることもできない。
たしかに競走馬は戦うために、勝つために生まれてきている。血を繋ぎより強い力をと生産されている。
だからといって、命を賭して闘った人馬を、心身ともにすり減らして帰ってきた彼らを、勝負に敗れたからといって、力が及ばなかったからといって、展開に翻弄されて力を発揮できなかったからといって、下手だった、弱かった、だらしがなかったなどと切り捨てることはできないししたくはない。
ときに事実としてそういうこともあるのかもしれないが、私はそれを判断するだけの知識も経験も立場も持ち合わせていない。
あったとしてもできないし、しないだろう。
ファンはいつだって見るだけ。言うだけ。思うだけ。感じるだけ。
だから信じて受け入れる。
アップトゥデイトは最善を尽くして絶対王者に、なにより自分自身の限界に挑んだのだから。

無事に闘いを終えて帰ってきてくれたからこそ、次のこと、これからのことが考えられる。
今日もこれまでもいつのときも、いちファンとして『絶対に勝てる』という一心で、彼の力に見合うだけの期待をかけて応援してきたが、今回の勝負づけを見て、いよいよ来るべきときが来たのかもしれないと一抹の覚悟が胸をよぎった。
しかし私は決して夢を諦めない。彼らが挑みつづける限り。
蓋を開けてみなければ中身のわからない宝箱のように、競馬というものは必ずしも一番強い馬が勝利を手にするわけではない。
勝った馬こそが強いのだと讃えられ、歴史に名を刻む。
しかし讃えられ記録と記憶に残るのは、必ずしも勝者だけではない。
敗者もまた勇敢な挑戦者なのだ。

アップトゥデイトはもはや私にとっては競馬の歴史そのものとなった。
その名が示す通り、常に新しく、進化を遂げ、自身を塗り替えていく。
生まれた時代が悪かったという声も散見されるが、彼自身もまた記録と記憶に残る輝かしい一時代を築いたのだ。
願わくばふたたびの栄光を。いつのときも最善と最良を。
私の夢と彼らの挑戦はこれからも続いていく。

 

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