うまいこといえない。

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アップトゥデイト優勝! 縁と絆の結晶

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装い新たに、悩める前障害王者がパドックに姿をあらわした。
鮮やかな水色地に赤いラインのバンテージ。
ある日突然オーナーの名義が変わって驚きと動揺を覚えたが、馬もひともなんら変わらずリラックスして周回する様子にホッと胸をなでおろした。
きっと何か浅からぬ事情があったのに違いないのだろうが、外にいるファンが詮索し言葉にすべきことではない。
だから応援幕は何度も迷ったすえ作り替えはせず、黄色と黒の勝負服と芦毛をイメージした従来のものを張り出した。
人馬の様子に、そのことを許された気がした。
いつでもどこでも彼は彼、年齢を重ねても若々しくて変わらない。
この日はむしろ以前よりもはつらつとして見えた。
勝手知ったる阪神の庭がそうさせるのかもしれない。

630日。
アップトゥデイトが勝利から遠ざかっていた日数である。
並みいるライバルたちをねじ伏せ最優秀障害馬の称号をほしいままにした中山大障害から実に1年と9か月。
大きな不調や故障こそなかったものの、自身の細かな脚部不安や鞍上の負傷にともなう乗り替わり、現王者オジュウチョウサンを筆頭とした好敵手たちとの激戦…
アップトゥデイトは常に厳しい闘いとともにあった。
彼自身に衰えはない。
ただ、二年連続で誕生した強すぎる障害王たちの存在が間違いなくハードル界のレベルを底上げしていた。

いつのときも、どんな存在でも、勝負に完勝することは一番難しい。
出走すればオッズは1倍台、いわゆる銀行レースという言いまわしがあるが、勝って当たり前の馬なんて本当はどこにもいないのだ。
どの陣営も薄氷を踏むような綿密にして繊細な過程を経て日々の鍛錬を積み重ね、レースに臨む。
みんな頑張っている。きっと我々の想像をはるかに超えるほどに。
鍛錬と勝利を繰り返すことでいつしかアップトゥデイトは2着、3着では許されない馬となった。
高みへと昇っていったことの証に、今度は追われるようになったのだ。

私は信じていた。
アップは衰えた、ピークを過ぎた、勝ちきれない。
そんな声を聴くたびに、
違う、悔しい、アップ見返してやれ! と拳を握りしめ奥歯をかみしめた。
彼に勝利の感覚を思い出してほしかった。
しかし、悔しいのは私で、馬自身が悔しさや勝利への執念を糧に走るわけではないということも理解していた。
私が抱く想いは擬人化であり、ファンとしてのエゴでもあった。
そういう語り口は好きだ。でも決して押しつけたくはなかった。
真に願うのは無事と最善。過程の先の結果を受け入れるだけ。
ひとが勝ちたいと願い、馬はひとと夢を乗せて本能で走り、ひとが最後の一押しを手助けする。
ひとが馬を信じ、馬がひとの信頼に応える。
すべてがかみ合ったその先にあるのが勝利の栄光だ。
結果が欲しかった。彼らならもう一度掴めると信じて疑わなかった。

未明から断続的に降る雨でほどよく荒れた馬場を味方につけた。
ハナに立つと集中力を欠く恐れがあるので番手が理想。
指揮官のコメントとは裏腹に、彼らは打って出た。
行く馬がいないと見るや先頭に立ち、危なげない飛越と地力とで6頭の精鋭たちをリードした。
レースも終盤、3角でミヤジタイガの奇襲にあっても彼らの呼吸に乱れはなかった。
互いに信頼しあい、全身全霊で駆け抜けたその先に待ち望んだ栄光があった。

勝者を迎え入れたウイナーズ・サークルが笑顔であふれかえっていた。
かつて見た、懐かしい、しかしこれまでで一番嬉しい光景だった。
長い長いトンネルを抜けた先にある光。
たくさんの人々から雨とともに祝福を受けたアップトゥデイトは、まるで人々と一緒に喜んでいるかのように見えた。
彼にはきっとわかっているのだ。
喜びを分かち合う彼らは、確かに心が通じ合っていた。

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厳密にいえば、これは復活劇ではない。
彼らは一度も沈んでなどいなかったのだから。
ただそれでも、勝つことだけは難しい。
馬もひとも、レースでさえも生き物なのだから。
当たり前ではない。届きそうで遠くて、厳しくて難しい。だからこそ欲する。
研鑽を積んで何度でも挑む。そのさまが美しいのだ。

アップトゥデイトを管理する佐々木晶三調教師は、渇望してやまなかった阪神障害タイトルで節目の500勝を飾った。
くしくも400勝目を贈ったのもアップトゥデイトだった。
そのとき新馬戦の鞍上にいたのは、かつて厩舎の主戦をつとめた佐藤哲三騎手。
2017年阪神ジャンプステークスが行われた9月16日は、さかのぼること三年前、同ジョッキーが長い闘病生活を経て引退を表明した日でもあった。
この勝利は馬とひと、ひととひとの縁と絆が結ばれあった先に成就した奇跡でもあったのだ。