うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

勇気ある投票

オジュウチョウサンに何票入るかな。
中山大障害を観戦し終えてからずっとこの日を心待ちにしていた。
彼がこの賞にノミネートされてしかるべき名馬で、推される資格に値する活躍を見せたことは競馬ファンならば誰もが知るところだろう。
結果、290票中287票を獲得し、年度代表馬キタサンブラックとなった。
オジュウチョウサンには残る3票すべてが投じられていた。

報せを聞いたとき、ひとりでに胸に熱いものがこみあげてくるのを感じた。
もっと入っていてもよかったなぁ、当然だよ、すごい馬なんだから!と自分の馬でも携わっているわけでもないのに勝手に誇らしくもなり、ところ構わず大きな声で叫びたい気持ちになった。
これは進歩だ。
一頭の障害馬が無敗の王道を突き進み、2017年度の競馬界を牽引するとともに多くの記録と記憶を残したことを正当に評価した、勇気ある3票。
短距離と中長距離。芝とダート。そして、平地と障害。
レースは必要に応じて細かな区別がなされていて、各路線にて覇権があらそわれている。
しかし、名馬を名馬と讃えるのに垣根は必要ない。
その垣根を取り払おうという声が、今年ついにあがった。
オジュウチョウサンという稀代の名馬がそうさせた。
満場一致で最優秀障害馬に選出されてから一年の時を経て、彼はそうさせるにふさわしい名馬へとさらなる進化を遂げた。
障害界に、いや競馬界にとっての勇気ある発言。大きな意味と意義のある投票。
わたしたちは今まさに、新たな歴史がつくられる瞬間を目の当たりにしているのだ。

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一方で、最優秀障害馬の部門は昨年のように満票での選出にはいたらなかった。
アップトゥデイトが同年J・G1ふたつを快勝した年のことを思い出した。
あのときも文句のつけようもない戦績と実績だったにもかかわらず1票だけ該当馬なしに、もう1票は同年に活躍した他の障害馬に投じられていたのだった。
競馬は多面体なのでいろいろな見解があってもいいと思う。
投じる人間にも主義主張や立場があるのだと思う。
異なる意見を持つ者を糾弾するつもりもないし、結果を受ける側のファンが投票権を持つ記者いち個人の事情を慮る義務だって別にない。
各々が率直に思い感じたことが真実だ。

“該当馬なしに入れた人”がどこの誰だったかというのには私は全く関心がない。
ただ、2017年という月日の競馬の中で“あの中山大障害”を観戦したことを大前提とするのならば、あのレースを観て何を感じ、何を思ってその答えにたどり着いたのかはぜひ聞いてみたい。
と同時に聞くのは怖い気もする。
私が心つき動かされ涙を流した名勝負が、他の人にとっては全く関心がない番組のひとつにすぎないのかもしれない。
自分が好きなものを他人に好きじゃないと言われるのは淋しいが、そんなことは生きていれば往々にしてあることだし、なにより個人としての価値観をみだりに批判すべきではない。
しかし投票権をもった公人としては、やはり私はいち競馬ファンとして「どうしてそう思ったんですか」と聞いてみたいし、票を投じる人間には投票の意図を説明する義務が与えられていてほしいと思う、というのが本音だ。
そもそもJRA賞を新聞記者が選出するというシステムからして不思議ではあるのだが、まあそれは置いておくとして。
2年前から私の考え方はなにひとつ変わっていない。

私は障害競走が好きだ。障害馬が好きだ。オジュウチョウサンが好きだ。
競馬が好きだ。競走馬と、彼らに携わる人が好きだ。
すべての名馬が分け隔てなく讃えられる世界に近づいたこの日を、ずっと待ち望んでいた。