うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

さらば、レジェンド

彼はいつのときも勇敢だった。
外で見ているだけのわたしの目にその感情は見えなかった。
しかし終わりを目前にして、彼は率直な言葉で自身の胸の内を語ってくれた。
「乗るのが怖くなった」と。
これまでのインタビューの中でもしんどかった、つらかったことも包み隠さずに語りつづけてきた林満明騎手はカウントダウンのさなか、自らの胸中に芽生えた感情をうち明けた。

障害騎手は毎レースごとに恐れを克服しなければならない。
飛びに行くのが、怖くないわけがないのだ。
もちろん、誰であれ戦場がどこであれ、馬に乗ることに恐れはつきものだろう。
しかし恐れに支配されていてはいけないのだろう。
馬に携わるひとが異口同音に語る楽しさや充実感とはきっと、恐れを克服したさきにある世界のものなのだ。
彼もまた強靭な精神力で毎レースごとに闘い、己にうち克ち、幾つもの喜びと栄光を手にしてきた。
その最たるものがアップトゥデイトとの日々だ。
引退を周囲にほのめかしすらしていたとき、縁につぐ縁によってめぐり合い、人馬一体となった彼らはついに春秋中山J・G1連覇を成し遂げた。
乗り手の勇敢な攻めの騎乗が馬の無尽蔵のスタミナを引き出し、名馬と名手のコンビがここに誕生したのだ。
障害騎手林満明なくして、最優秀障害馬アップトゥデイトはなかった。
その彼が、これからも走りつづけるであろう相棒の鞍からも降りるという。
競馬へ行くには、馬に乗るには、恐れぬ心が必要。
だがアップトゥデイトとともに夢を叶えた彼は落馬負傷によって恐れを抱くようになった。
己との闘いが多くを占めるようになったのだろう。
すべては、全身全霊で戦うからこその葛藤に違いなかった。

自らの退き際を悟ったジョッキーは、残された闘志を燃やし尽くすかのごとく戦いつづけた。
文字どおり、勇気を振り絞りながらの鬼気迫る闘いぶりだった。
そして今日、障害リーディングジョッキーとして、胸を張って引退する。
肩で息をしながら、満身創痍で、最後の瞬間まで全力で戦い抜いて、ターフを去っていく。そのさまも、いかにも彼らしい。
2000回もの葛藤を乗り越えたさきにある世界は、彼の目にどう映っただろうか。
「ホッとした。」
きっと、この一言にすべてが集約されている。

わたしたちは幸せ者だ。
このうえない有終の美を、決して短くはない月日をかけて、興奮や熱狂ともに見守ることができたのだから。
これからも障害レースを応援してほしいと、たくさんの相棒や仲間たちとともに障害レースを盛り上げつづけてきた稀代の立役者は微笑む。
飛ぶ馬の美しさに魅せられたジョッキーは、いまようやく戦いの日々を終えて、次の世代に夢と希望を託して鞭を置く。
さらば、レジェンド。

 

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