うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

Going My Way

「こんなことって、またあるんだ。」
競馬に絶対はないといいながら、無意識のうちに願っていた。
ずっと見てきたのに、想像もつかない結末がまだまだたくさんある。

アップトゥデイトは三度目の小倉サマージャンプを二着で入線した。
懸念材料はいつだって終わってからようやく敗因として鮮明に浮きあがってくる。
スタートの課題と、より瞬発力勝負となる距離短縮と。
そのどちらともがうまくいかず、他馬との駆け引きに苦慮している間に抜群の立ち回りを見せたヨカグラがすべてにおいて圧倒した。
くしくも昨年の優勝馬ソロルと同じく、西谷誠騎手と中竹和也厩舎のコンビ。
先月の騎乗をもって現役を退いた林満明騎手が最後に勝ちあがらせた障害オープン馬。
清々しいまでの完敗だった。

「悔しいな。でもアップ、ときどきこういうことがあるから。」
阪神スプリングジャンプサナシオンに逃げ切られたときのことを思い出していた。
落馬負傷した主戦にかわり、白浜雄造騎手がはじめてアップトゥデイトの手綱をとったレースだった。
そのときも今回も、敗因のひとつに鞍上を挙げなければならなかったのだろうかと。
そもそもファンが抱く『悔しい』という感情とはいったいなんなのだろう。
彼らのために悔しいのか、それとも自分のために悔しいのか。
思い描いた結果とかけ離れてしまったから悔しいのだとしたら、後者なのだろう。
しかしわたしたちは、誰もが負けたくて負けているのではない、勝つために最善を尽くしても必ずしも報われるわけではないということを知っている。
だから前者でもあるのだ。

アップトゥデイトは障害レースにおいては最高の結果を求めてもいい、いや求められる立場にある馬だ。
でもそれだけが彼の生き様ではない。
たとえばライバル打倒のためだけに走っているのではないし、勝ち負けとは結果で、数えきれないほどのベターとベストを積み重ねたうえに成り立っている。
その中にはもちろん新たな主戦を抜擢した陣営の決断も含まれている。
目下の結果としてまずは黒星がついた。
これを今後どう活かすかを彼らはまた考え、実行する。競馬とはそのくり返しだ。

戦い終えて馬場から引きあげてきた勝者たちを、白浜騎手は悔しさをにじませながらも終始笑顔でたたえていた。
見るからに気持ちのさっぱりした潔いジョッキーだ。
実は私は彼のことをあまり知らない。
だからこれからアップトゥデイトとともに知っていきたい。
応援とは相手を、かかわる他者や世界を深く知ることでもある。
ずっと見ていてさえ初めて知ること、まだまだ知らないことがたくさんある。
そういう機微をできるかぎり、余すことなく見ていきたいのだ。

たぐいまれなる強者として、彼らは多くのひとに多くを願い望まれている。
しかし競馬とは自分たちの戦い、自分自身との闘いだ。
わたしたちもまた、オジュウチョウサンの、林騎手の存在をいつまでも見出し、比べつづけるのではなく。
勝利を当たり前のように求めるのでもなく。
あんまり結果に固執し過去にとらわれすぎると、まるで今とこれからの未来を減点方式で見てしまうようだ。
大切なことにあらためて気づかされた一戦だった。

名コンビになっていってほしい。
自分自身のために。自分たちの道を行きながら。
彼らにはそれができるはずだ。

 

f:id:satoe1981:20180729182833j:plain