うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

追憶、シャローム

忘れられない馬の話を少し。

障害レースに触れるとき、今も私の目の前をシャロームが横切っていきます。
全兄はチャクラ、といえばピンとくる人もいるかもしれません。
現地で会えたのは二度くらい。
これから好きになることを予感させる出会いをした馬でした。
彼の最後のレースは連闘で臨んだ京都ハイジャンプだっだので、一部の掲示板などでかなり批判の声があがりました(見なきゃいいと今ではわかるのですが、そのときは少しでも状況を把握したくて覗いてしまった)。
私もまるで陣営と一緒に叩かれているような気持ちになりました。
違う、そんなんじゃない、なんで私の信じてる人たちがこんなこと言われなきゃならないの、と声をあげたかった。
でも当然のことながら、私には知識も権利もありません。

競走馬がレースに出走するまでの間、放牧場や厩舎で何が起こっているのか。
バックヤードでどのような話し合いや取り決めが行われているのか。
わたしたちは想像し、委ね、信じるしかありません。
馬を応援するということは、馬の傍にいる人を信じるということ。
競馬ファンとして自分はそうありたいと思いつづけています。
あのときもきっと出走へ向けて最善を尽くされてきたことでしょう。
だから結果をうけて何かをとやかく言う気持ちは微塵もありませんでした。
あるはずもなかった。
ただつらくて悔しくて悲しかった。
できることなら、ただそっと寄り添いたかった。
一番つらくて悔しくて悲しい思いをしたのは、彼を送り出し、ともに戦い、帰りを待っていた人たちなんですから。

こうしてシャロームは忘れられない存在となりました。
決して多くはない思い出と、ずっとありつづけるであろう後悔が残りました。
もっとたくさん会いに行くべきだった。そうして時間をかけて好きになっていきたかった。
その願いが叶わなかったかわりに、今は彼とともに障害レースを観ているのかもしれません。
勝手に私がそう思っているだけなんですけど。
勝手に想われる側は重たいのかもしれないですけど、彼にはいましばらくそう思うことを許していてほしいのです。