うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

平成の終わりと令和のはじまりと、中山と私

暮れも押し迫る大障害コースから新星が誕生した。
中団でじっくりと脚をため、最後の生垣を飛越したところで先頭に立ってそのまま力強く押し切り。
シングンマイケルと金子光希騎手、気迫のロングスパートだった。

前王者のアップトゥデイトも現王者のオジュウチョウサンも、昨年の覇者ニホンピロバロンもいない。
王者不在となった年の瀬のグランプリレースはまさに群雄割拠の様相を呈していた。
出走馬ボールペンもない。大障害コースをまわるツアーもない。
しかし、夢はある。
どの馬が勝っても悲願達成。
そんな時にこそドラマは生まれる。
男泣きの寮長。みんなに祝福される寮長。
この勝利はジョッキーの悲願でもあったのだ。
初制覇というのは、いつ見てもいい。

平成最後のグランドジャンプも、令和最初の大障害も、私は中山競馬場へは行けなかった。行かなかった。
きのうは自宅でツイッターのタイムラインを追いながら祭典を迎えた。
好きな馬を失ってからというもの、障害レースを観るのが淋しかった。
彼らはもうそこにはいないのだと思い知らされるから。
メイショウアラワシは年明けに突然逝き、猛暑のさなかアップトゥデイト引退の報をうけた。
愛する馬との再会かなわず、気力も失せて、体も動かなくなって、文章を書く力も衰えて。
なにもできなくなった、なんて不甲斐ないんだと自責の念に駆られるばかりの一年だった。
こんなにも自分で自分を苦しめてしまうのは愛というよりも執着だろう。
それでも離れることができなかった。
何とか競馬の中で立ち直りたくて、競馬場へ通い、馬を見つめて、割り切れない気持ちを昇華しようともがきつづけた。
思い悩むうちに、競馬場で人と会って話をするのが怖くなった。
前向きで意欲的だった以前とは変わり果てた今の私をさらけだすのが怖かった。
それ以上に、心から障害レースを愛し、純粋に今を楽しんでいる人たちに申し訳なくて、恥ずかしくて、とても顔向けできなかったのだ。
私は心身の不調を理由に大好きな中山から逃げた。

現地へは行かないと決めていた暮れの大一番を目前にして、沈みきっていた心がふたたび弾みだしていた。
タイムライン越しに、障害レースを愛する人たちの熱い想いに触れてるうちに、もうこのへんで区切りにしようと思えたのだ。
SNSのつながる力というのはまことに強い。
頼りなくおぼつかないようでいて、どこかで通じあえるものがある。
同じ趣味をわかちあった間柄というのは、友達ではないのかもしれないけれどどこか特別で、言葉を当てはめるのなら同志といえるのだけど、もうちょっと堅苦しくない適当なゆるさがあって、熱いけれど優しい。
私は長らく自分で自分を赦せなかったが、たくさんの馬と人に赦される思いがした。
だから、障害馬としてやりきって逝った彼を、もう執着から手放して自由にしてあげようと決めた。
そして彼に報いるためにも私は前を見ていこう、過去ではなく目の前の現実と向き合っていこう、これからを楽しんでいこうと。
新天地で奮闘するアップトゥデイトといつかどこかで再会する夢もある。
救いはやはり競馬の中にあったのだ。

すべての人馬を讃えたい。無事を喜びあいたい。
いい競馬を観たあとは自然と感情があふれてくる。言葉がこぼれてくる。
ジャンプレースにはそんな力がある。何ものにもかえがたい魅力がある。
私を苦しめていたのは、私自身だ。
書く力が衰えてしまったのは、義務感と焦りにとらわれて、他人の顔色をうかがって、無理矢理に前向きな言葉を絞り出そうとしていたから。
体が動かなくなってしまったのは、少しのあいだ休むことが必要だったから。
好きなものとどう関わりどう楽しむかはその都度かわるし、自分で決めていいのだ。
だからどうか、愛するものがある人は何かを数えて悩んだり、誰かと比べて落ち込んだり、思い通りにいかない自分を責めないでほしい。
どこにいても応援は応援。
場数や行動で認められるためのものじゃない。本当に大切なのは好きな気持ちなのだから。

でもやっぱり中山へは行きたい。
これが今の偽らざる気持ちだ。
こんなにも家でツイッターしてるのが口惜しく感じた日はなかった。自分で決めたことなのに。
中山でJ・G1を観たい。
飛越を終えて帰ってくる人馬をみんなと拍手で出迎えたい。
そのためにはまず自分の心と体が元気でなければならない。
馬に元気をもらうというけれど、元気をもらいに行くのにも基礎体力がいるのだ。
応援にはパワーを使う。
時間も体力もお金もいる。
だから元気で働いて稼いで自分の生きている場所でやるべきことをやってから、さあ!と腰をあげるのだ。
そんなふうにこれからも生きていきたい。生きていかなければ。
懸命に生き抜く人馬に、少しでも近づけるように。

アップもオジュウも私の好きな馬もいなくなってもジャンプレースはつづくし、新星は生まれるし、歴史は作られていく。歴史の中に名馬はたえず生まれ、生きつづける。
そんな頼もしさと行く末の明るさを感じた中山大障害だった。
競馬が、障害レースが好きでよかった。
来年はきっと中山へ。