うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

ほしいのは平均点じゃなくって

リアルでもツイッターでもブログでも、どこで誰に何を求められてるのかよくわからなくなってきた。
ツイッターで、趣味で知り合ってくれたひとたちに後ろめたさを感じてるところは正直あった。

わたしはたぶん、前のわたしとは変わってきている。
好きなものの中でもちょっとずつ、好きな対象だったり、情熱の注ぎかたも変わってきた。
推し変とかジャンル移動に近いものがあるかもしれない。
あと運営方針のマイナーチェンジ。
前にすごく熱中していたことでつながってくれたひとたちにとって、前ほどその話をしていないわたしはたぶんあんまり面白くなくって、違う話題も増えていってるし、それがちょっと後ろめたかったりする。裏切ってるみたいだなぁと。
…なんてこと言い出すと、自分をコンテンツたらしめてるのは勝手にプレッシャー感じてる自分自身じゃないか!って、すごく独りよがりというか取り越し苦労というか、恥ずかしくもなってくる。

あとツイッターとブログとでは、同じことを言っても反応が違ったりするのも不思議だったり。
どこで誰に何がウケてスベるのか。
どれがほんとうのわたしなのか。
ああ、こんなこと言ったらまるで平均点を取りたいみたい。いいひとになりたいみたい。ちがうちがう。
人間はコンテンツじゃないし、みんなただ自由にあるだけでいい。
逆の立場で考えたら、推し変ジャンル移動した同志には元気でやっててほしいし、楽しそうにやってたら「よかったねえ」って顔がほころぶ。
いいじゃないか。たぶんそういうものだから。

好きなものを好きに。
好きという自分だけのフィールドに、他人の目や評価を持ち込んだってしょうがない。
それだって自分勝手な想像でしかないのだし。
誰のため何のためでもなく、自分自身の好きのために、心のパワーは使っていきたい。

旅がしたい旅がしたい旅がしたい

使えるものは何でも使うキャンペーン第二段です。
なんとかしてGO TOトラベルで帰省ができないものか?
乗り物だけの往復には適用されない…
高速バスはダメ…
宿泊しなければ割引対象にならない…
そうだ!新幹線に乗ってあいだにホテル泊をはさめばイケるのではないか!?
…ということで、二泊三日の初日に宿をとり、二日目を帰省に当てるパワープレイでこのキャンペーンの恩恵にあずかりました。
赤い風船で予約して、移動と宿泊コミコミで35%オフ。
ふつうに往復するより安い。まさに破格です。

 

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ひとりの時間と空間を贅沢にすごせるホテルステイ大好き。
晩ご飯は岡山駅で買った栗おこわ。
いつも経由するだけになっちゃうけど岡山県さんにはほんと感謝してます…
そのうち岡山観光の旅もしたいです。

 

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高知駅近くに宿泊しました。
高知駅はだいぶ前、龍馬伝の時くらいかな?にリニューアルして駅舎がピカピカになったのですが、駅周辺はまだ昭和の香りが残っている気がします。
なんだか懐かしい雰囲気なのです。

 

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ちょっと足を伸ばして、小一時間ほどバスに乗って桂浜へも行ってみました。
小学生のとき以来なのでじつに約三十年ぶりです。えらく年をとったものだ。
そういえば子どものころはいろんなところへ連れてってもらったなぁ、大事にされてたんだなぁとあらためて実感しました。

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水はいい。波の音はいい。海はいい。
心にわだかまったモヤモヤをすすいできれいに洗い流してくれる。

 

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川もいいよね。童心にかえってまた川遊びしたい。
自然とともに、ふたつの土地とたくさんの人に育ててもらって今のわたしがあります。
感謝の気持ちを思い出す旅となりました。

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旅は日常からの脱出、非日常への浮遊。
あわただしい日々からほんの少し離れて自由な旅人となれる時間があるからこそ、わたしはなんとかシャキッと立っていられてます。
べつに日常パートがたまらんほど嫌だとか息苦しいとかでは全くないのですが、特に今は大好きな競馬場へも行けず、毎日同じルーティーンの中でやはりちょっとずつ退屈してくるので、たまには胸の空気をスッキリ入れ替えたい!というかんじ。
ちょっとそこまででも、ちょっと遠くでも。
行く先も目的もなんだっていい。
ほんの時たま、ここではないどこかへ飛んでいきたい。
そのためにぼちぼちがんばる。
そういう日常と非日常の行き来があってもいい!と思うのでした。

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第二の故郷

帰省とは便宜上言っているけれど、厳密には母方のおばあちゃんちだ。
いまはもう、健在なのは彼女のみ。
物心ついた頃から両親の田舎とはずっと行き来があって、わたしにとってはもはや第二の故郷。
父と母は高知の山あいの隣町同士の出身で、駆け落ち同然で大阪へ出てきて家庭を持った。
なのでわたしに大阪人の血は流れていない。
実はそれがずっとコンプレックスだった。

高知へ帰ってきたら、自分のしゃべる言葉にいつも強烈な違和感を覚える。
周りはみんな土佐弁をしゃべっているからだ。
こちらも慣れ親しんだ心地良い言葉ではあるけれど、わたしはこの言語を解することはできてもしゃべることはできない。
がんばったら話せるだろうけど敢えてやったことはない。
たぶんちょっとマシなお芝居みたいになる。あくまで演じたもので、生きた言葉にはならない。

でもわたしがしゃべっているのは大阪弁でもない。
どうやらネイティブにはそうは思われていないらしいとわかったとき、かなりショックだった。
初めて会う人には必ずといっていいほど「どこから来たん?」と訊かれるのだ。
いやいや大阪生まれの大阪人ですやん、というところまでがセットの持ちネタとなっている。
体感的に大阪人はよそから来た人には敏感な気がする。
べつに“はみご”にされるわけでないけれど、なんとはなしに「そうかぁ、ちがうのかぁ」と思い知る。いままでずっとその蓄積。

大阪で生まれ大阪で育っても大阪人になれず、かといって土佐人でもなく。
わたしは何者なんだろうと思うにつけ、異邦人というのはこういう心細さをもって生きているのかもなぁと感じたり。
けれど、ふたつの土地とたくさんの人に育ててもらったと思うと、とても稀有で幸せなことである。
今日び帰る田舎を持っていない人も少なくないし、あってもここまで親密ではなかったり。
もういない父方のおじいちゃんおばあちゃんとはそりが合わず素直になれなかったり、逆にかわいがられすぎていつまでも子ども扱いされることに辟易して、一時期は敢えて離れがちになっていたりもしたのだけれど。
覚悟を決めて、気合いを入れて帰ってくるとやっぱりここはわたしの第二の故郷だと思う。
いまでもちょっと気が重かったり、億劫だったりもするけれど、ホッと力が抜けて、自然と呼吸ができて。
帰ったら早く大阪に戻りたくなるくせに、戻ったらまた田舎のことを想う。
なかなかに複雑なのだ。でも、それでも。
他の誰でもないわたしは、大阪も高知も、どちらもとても愛している。

 

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今一度、恋愛アレルギーを紐解いてみる

帰省中は家族のこと、親族のこと、自分の人生のことを考えざるを得ない。
良縁に恵まれず孝行できず普通に生きられず…なんて後ろめたい気持ちは常にあるけれど、そもそもわたし自身がわたしの人生に深く他人を求めてないんだろう。これまでといまは。
傷ついて、自信がなくて、信じるのが怖くて、逃げてきたのだから当然か。

なんとはなしに後ろめたい。
家族愛や好きなものへの愛ではこんなにも満たされてるのに。
でも異性(とは限らんけど)との恋愛、パートナーとの愛を得られない未熟さへの後ろめたい気持ちっていうのは家族や世間、常識に対するものでしかなく。
「それって絶対必要なんですか?恋愛と結婚しなきゃダメなんですか?それがまともな人間の基準みたいになってるの、なんなん?」
ってわたし自身はずっと思っているので、やっぱり求めてないんだろう。そういうのは。

男性不信が根深い。
両親の離婚と、わたし自身も父親との関係をきちんと築けなかったことによる。
まだ子どもだったからうまくやれなかった。
父は母以外の女性を選んで家庭を持った。
家はぐちゃぐちゃになって、捨てられたわたしたちはたいへん苦労した。
なのにあのひとはわたしを愛しているといい、つながりを持とうとしてきた。
なんなんそのいいとこどりみたいなの。どうしても赦せなかった。
父に執着されるのが嫌で、もう構ってくれるなと拒絶してわたしは逃げた。
こんなんで結婚や家庭に希望を見いだせるわけがないのだ。父の愛を拒んだわたしにはその資格もない。
なにより、わたしにとってのそれらは不確かなものでしかない。
ひとの心は変わるのだ。それを契約で縛るなんて、どだい無理なことじゃない?
恋愛も同じ。
いつでも破れる約束でひとを縛るなんて。
縛るのも縛られるのもわたしは嫌だ。
縛りあったら終わりがグダグダになるんだから。

友達にはなれる。なりたい。男性とは。
性別のことは考えたくなくって、人間として付き合いたくって。
けど向こうはそうじゃないってなったときにすごいしんどくなる。
なぜかひどく裏切られた気持ちにさえなる。
(こちとらいっぱいいっぱいで生きてるのに、勝手に期待して求めてくるやん…いろいろと…)
ってなって結局逃げることになる。
それで向こうも勝手に幻滅して、失望して、去っていく。
えぇ~っ、友達やったんちゃうんかい!わがの手に入らんかったら関係性すらいらんのかい!
その繰り返しだったかもしれない。
自分も相手を心から求めて愛してたら受け入れられたんだろうか?
いや、たぶんキャパオーバーで無理だった。
これがわたし自身の拙さなんだろう。欠落した部分ともいう。

そんなわたしも趣味の中、同好の志の中では自由でいられる。
やっと安息の地を得られた感ある。
人と人って必ずしも深く長く付き合わねばならないとは限らなくて、浅かろうが短かろうがお互い目の前の相手に誠実でいられて、楽しい時間を共有できればいい。
それで関係が深まる人とは深まるだろうし…
っていう考えにまとまりつつある。暫定的に。
趣味の中ではそれが赦される。赦されてる気がするのだ。
だからいましばらくこの調子でいく。
もちろん、ひとの心は変わるから、わたし自身もずっと先のことはわからないけれど。

推しが50歳になった。

そうなのだ。
まさか、こんな境地があろうとは。
わたしのいわゆる推しは、1970年9月17日生まれ。
きょうは元ジョッキーで競馬評論家の佐藤哲三さんの誕生日だ。
出会ったとき、かれはまだ三十代だったのでそこそこのファン歴になる。
わたしはとにかくこのひとが好きだった。
だった、と表現するとまるで過去の話みたいになってしまうのだが、あの時間は永遠なので今もつづいていると付け加えておこう。
馬との接しかた、人とのかかわりかた、レースの作りかた、勝負のしかた、言葉の選びかた。
ひとつひとつが唯一無二で、なにもかもがかっこよかった。
わたしはかれに夢中だった。心酔していたといっていい。
かれの一挙手一投足に笑い、泣き、興奮し、酔いしれた。
それゆえ若気の至りのような言動もたくさんしてきた。
今思い返せばお恥ずかしい。これこそが情熱だったのだろう。

稀代の勝負師が引退を表明したとき、わたしの中のひとつの世界が終わった。
もう終わったのだ、でもまた何かがはじまるのだ、はじまらなきゃ嘘だ、と強く思った。
そう、かれに競馬を教えてもらったから今もこうして競馬を好きでいられるし、いろんな馬や人に出会わせてもらったし、この道はずっとつづいてきている。
大げさでもなんでもなく我が人生における恩人のひとりだ。
わたしがいま安達厩舎を推しているのは、エスポワールシチーと哲三さんが縁をつないでくれたから。
佐々木厩舎も応援している。
かれのお手馬アップトゥデイトが夢のつづきを見せてくれたから。
第二の馬生を歩んでいるあの馬とも、また再会しなければならない。
行く末はどこまでも広がっている。

競馬と、好きな馬たち、尊敬できるひとたちと出会えたことでわたしは生きる希望を得て、人生はあざやかに彩られた。
でもこれからはそれだけに頼ってちゃいけない。
いつまでも「これさえあれば」という愛しかたをしていると、依存になってしまうから。
ここで得た意欲をもって、興味と関心をいろんなひとや物事へ向けて、広い世界とかかわって、豊かに生きていけたら、そこからまた新しい何かがはじまるのだ。きっと。

競馬は面白い。大好きだ。
だけどあんな、たとえるならば心を焦がす大恋愛のような燃えかたをわたしはもうできないし、しないだろう。
いろんなことを見てきた、知ってきた。年もとった。
情熱は年月と経験を経ておだやかなものへと変わっていった。
それを淋しいと感じていた時期も、もはや通り過ぎようとしている。
愛は消えない。決して。
ただゆるやかに、心のままに、かたちが変わっていくだけだ。

生まれてきてくれてありがとう。わたしの敬愛してやまないひと。

 

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