うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

サイコロきっぷは、サイコーなのだ

新年早々に第三弾をやってくれるなんて、JR西日本のホスピタリティはサイコーなんだ。
今回は行き先が4ヶ所で、行ける期間もちょっと短くなってた。
だんだんネタも尽きてくるよね、うん。いつもありがとうございます。

というわけで、いざ加賀温泉へ。大寒波が来る前に!

 


たった5000円で大阪からサンダーバードに乗れるなんて破格すぎる。

 

歓迎ムードで嬉しい。

ちなみに加賀温泉郷の温泉地はどこも微妙に駅から離れている。
今回は内陸寄りの山代温泉にした。送迎バスで本日のお宿へ。
いちばん安い素泊まり洋室で予約してたんだけど、通されたのは展望つきの広い和室で感激。


嬉しいよね、予期せぬ客室グレードアップ。

 


ところどころに九谷焼があしらわれてて素敵なお宿だった。
源泉掛け流しのお湯も、露天風呂もよかった。


晩ごはんは地元のお寿司屋さんへ。
むしゃむしゃ食べたので写真はない。ネタが新鮮でおいしかった。

 

朝ごはんはおにぎりを加賀棒茶で。
旅先のスーパー、コンビニは地元の空気を感じられておもしろい。


チェックアウトして駅前でお昼。


加賀パフェ、ご当地パフェというコンセプトで、いろんなお店が提供してるらしい。
地元野菜のアイスクリームやポン菓子で加賀を感じられる。

 

お土産に地酒を買って帰路へ。
やっぱり旅っていいな。


さてここからは余談。
どうもわたしは冬がめっぽう苦手で、この時期から春にかけては毎年心がぐずぐずする。
年明けは帰省明けでもあるからよけいに。
田舎へ帰ったらいろいろと考えてしまう。いいこともあればそうでないこともあったりするのだ。
まあ家族とか親戚付き合いってそんなもんですよね。
そんなわけで案の定ぐずぐずしていた。
もう何しててもしんどくて、とにかくひとりになりたかったわたしにとってサイコロきっぷは渡りに船だった。
で、衝動的にサイコロ振って宿とってリュックに荷物つめて電車に乗ったのだった。
旅行支援の恩恵もあったから、ほとんどお金を使うことなく。
観光もせず、ただ温泉に入って、適度にお腹を満たして、行って帰ってきた。
そんな時って、楽しいっていうよりもリハビリみたいな感覚なんですよね。
湯あたりしたのかコンディションがいまいちだったのか、旅行中はなんとなく体調がよろしくなくて、入りたおそうと思ってた温泉にもあんまり入れなかった。
熱はなかったから、まあなんか疲れがたまってたのかもですね。心にも体にも。
リフレッシュはできたものの、あんまり楽しめなかったのだけが残念。
なので加賀へは万全の状態でもう一度行きたい。簡単に行けることがわかったので。

エンタメと性と暴力と

大奥は読んでたけど途中で脱落した。
性暴力の描写がしんどかったから。
これが続くならもう無理だ読めない、と思った。
たしか家光だったと思うけど、彼女を将軍と知らない小間使いの男たちから慰みものにされてしまう。
そして妊娠が発覚。「産みとうない」と涙する家光。
しんどい…
エンタメでしんどい思いをしたくない。女性が「弱きもの」として虐げられる姿を見たくない。
というかエンタメに性暴力を、あたりまえのように混ぜ込まないでほしい。
せめて「あるよ」って注意書きしといてほしい。
そしたら避けられるから。
最近はそういう描写がほんとうに無理になった。
「暴力」や「辱め」を見たくないと思うようになった。
歳とったからかもしれない。
でも昔の漫画ドラマ映画って「そういうの」多いんですよね。
問題提起なのかエンタメなのかどっちよ、みたいな。
あの頃からはだいぶ時代は変わったと思うから、見せ方も変わってくるのかな。きてるのかな。
ドラマ「恋せぬふたり」は、ベッドシーンがある回で注意書きが出されたんですよ。
大奥、まだぜんぶは読めてないけどいい漫画だと思うから、ショッキングな展開でショック受ける人が少ないといいな。つづき、そのうち読めたらいいな。

合わないものは、合わないままで

三谷幸喜の女性の書き方が苦手で、鎌倉殿の13人では見やすくなったなあと感じて、でも一年間観てきてこれが三谷ドラマの女性観のスタンダードになるのならやっぱり自分には合わないな…という結論が出てしまった。のえさんを通して。
いい悪いでなく合う合わないの問題だから、好きな人は好きだし、気にならない人は気にならないだろう。
何に重きを置くかで、のえさんは微妙に外されてしまったのだろうから。
昨年の初めに三谷ドラマと和解したいと言ってたけど、わからんもんはわからんままで別にいいのだと完走してみて思った。
気になったところを外せば面白い大河だった。一年間ありがとうございました。

赦しと受容とあきらめと、2022年

何事もなく生き延びたから花丸、としておこう。
家族がコロナになったり、いまだに面会できない人がいたり。
わたしは仕事をやめたり変わったり、趣味をつづけるのが難しくなったり、なかなかにしんどい一年だった。
やっぱり四十を過ぎると人は変わるよ。
なんというか、心のありようが。
あきらめられなかったことをあきらめられるようになった。
赦せなかったことを赦せるようになった。
そんなにがんばらなくてもいいよと笑えるようになった。
できてなくてもだいじょうぶと思えるようになった。
若さを失ったかわりに、歳をとったぶん、しなやかになる。したたかになる。
「変えられないものを受け入れる力」ってやつかもしれない。
宇多田ヒカルの楽曲は「Wait & See 〜リスク〜」って曲がすごく好きなんですけど、その中でいちばん好きな部分です。
ウェイトアンドシーって競走馬いましたね。懐かしい。
自分を変えるようには、人や世界は変えられない。
だって今はコロナ禍で、それはもうどうしようもないんだもの。
前みたいに旅行がしたいけど、競馬場へ行きたいけど、おばあちゃんに会いたいけど、今はできない。
決まりだったり、自分の心のありようによって。
受け入れられないなら自分が変わるしかない。
あきらめて、赦して、無理にがんばることをやめて、できなくってもだいじょうぶだと納得する。
旅行ができなくても、かわりに近場へは出かける。
競馬場へ行けなくても、好きなものたちへの愛は変わらない。
おばあちゃんには会えないけど、田舎へは帰れる。
そうやって2022年をなんとかやってきた。
なるようになる。要はそれを心が受け入れられるかどうか。
今年、わたしの心はだいぶすり減ったけれど、余分なものがすり減ったぶんさっぱりしたとも思う。

今年こそ、わたしは筆を折ろうとしていた。
どうしても、わたしが傷つけた人のことを忘れられなかった。
縁は切れても記憶が消えるわけじゃない。
わたしがもう少し若くて自分を赦せなかったころ、わたしが持っていないものを持っている人をうらやんだ。それをつづった文章が人を傷つけた。
その人は今も心の奥底に傷を抱えているだろう。
もう無理だ。と思った。
恨まれるのがじゃない。自分が人を傷つけたということと、それを忘れられないのが。
ツイッターにせよブログにせよ、書くというのはそういうことだ。
その人でなくても、今まで書いてきたこと、これから書くことが、きっとまた誰かを傷つける。
なんだかひどくつらくなってしまった。
どうして書くんだろう。
自分で自分をどうにかしたいから。
わたしは書かないと何もできない。
他の人が信頼する誰かと話したりして昇華することを、わたしはひとりで書くことでやってきた。
書かないと生きていけない。だから筆は折れない。
ただ書くだけならべつにブログじゃなくてもいいじゃないか。
ブログでなければならないのは、どこかの誰かに自分の話を訊いてほしいからだ。
ひとりで書くけど、記事を公開したあとはどこかに誰がいる。それを自ら望んでいる。
はじめからひとりじゃなかったのだ。

人と人が予期せず傷つけあうのは、文章であろうと会話であろうと、どこにだってありふれていること。つまりは人間が生きることだ。
誰も傷つけず、誰にも傷つけられず、きれいにおだやかに暮らすなんて不可能だ。
それはただ生きてるだけ、死んでないだけじゃないのか。
心があるから分かりあえるし、すれ違う。
わたしが傷つけたあの人とは、ただ心のありかたが合わなかったのだ。なんならタイミングも最悪だったろう。
でも人生ってたぶんそういうものだ。そういうものはどうにもならない。
これまで罪のように抱えてきたものを、もう今年限りで降ろしてやろうと思う。
わたしはどうやっても書くことはやめられない。ならもう、ここらであきらめなければならないだろう。
これから出会うであろう「その人」たちに赦されることも。完全な理解も和解も。傷つけないことも。傷つけられないことも。
できないものはできない。それでもいい。誠実であれば。向きあう気持ちがあれば。
だからあきらめて、赦して、受け入れて生きていく。
来年も、これからも。

弱虫ペダルとわたしと2022年

仕事と私生活があかんなってた時期はアプリで漫画読んでました。
主にLINEコミックスで。2022年はエンタメに救われた。
なかでも弱虫ペダルにハマりました。
ハマるといっても、自転車買うとか推しができたとかグッズ集めるとか、二次創作するとか、そういうんではないです。
なんというか、心の支えのひとつになったというか。
何度もアニメ化されてる有名なタイトルだし、弟がロードバイクに乗ってるから、前々から知ってはいたんですよ。
でもあまりにメジャーすぎて避けてた。
正直なところ「お嬢さんがたが熱をあげてるジャンル」っていう偏見があって、たぶん合わないな〜と思い込んでた。
LINEコミックスの中で読みたいものがどんどんなくなっていって、しばらく読み続けられる長編を読みたいなってなって。
それで「ついにこれか、これ、いっとくか」って意を決して。「いっぺん読んでみなきゃわからんよな」って。
あっという間に引き摺り込まれた。
クセが強いなと思ってた絵柄は、味のあるアツい画だった。
なんか、すべてにおいて、想像してたんと違ってた。
メガネの主人公、小野田坂道ははじめからぜんぜん弱虫じゃなかった。むしろ心の強い人だ。(タイトルの由来は他にあるみたいだけど)
ただのスポ根漫画じゃないのがいい。
変に色恋が絡んでこないのも心地よい。
説教くさくないところも気に入っている。
なにより弱虫ペダルは「人間は誰でも間違う。でも誰だっていつだってやり直せる」ことを、人を変え話を変えて、何度も繰り返し描写する。だから心に刻み込まれる。
弱ペダは「失敗と更生」の物語だ。
金城のジャージを掴んで落車させてしまった福富。
故障で野球ができなくなってグレてしまった荒北。
パニックになってコースを逆走してしまった葦木場。
他にもっともっと…枚挙にいとまがないんだけど、印象深いエピソードを挙げてったらハコガクサイドが多いな。人間くさくて魅力的なライバルたち。
総北サイドは失敗や過ちというよりも、挫折とか頓挫とか停滞みたいなののほうが多い。
でもそういうのを、みんな悩み苦しみもがきながら乗り越えていく。
みんな自転車が大好きなのだ。
その乗り越えるかたちのひとつにもちろん勝利があるんだけど、必ずしもすべての努力が報われて、根性で願いが叶うわけではないところもしっかりと描かれる。
想いの強さがすべてを決するわけじゃないのはスポーツの常識。それが完膚なきまでに描かれている。
勝って欲しいキャラほど打ちのめされて負ける。負けっぷりに泣かされるのだ。
だからある程度年齢を重ねてきた人間にはなおさらササる。
弱ペダで今のところいちばん感動したのは何を隠そう、杉元の「一年生」レースだ。読みながら泣いた。
この二年目のインターハイ選考、杉元を落として手嶋を拾わせたのはものすごい絶妙な塩梅だったと思う。
たぶん作者は「凡人」の手嶋を通して描きたいことを描きたかったのだろう。
そのせいで二年目のインターハイ栃木大会はちょっとストレスのたまる展開になってしまった感はある。チームに軋轢が生まれるところとか。
なんせコメント欄でも鏑木か手嶋の代わりに古賀が入ったほうがよかったのでは?なんて言われてる。
わたしは無課金勢だから実はこのインターハイ、二日目で泉田と岸神小鞠がスプリントしてるところで話は止まってるんだけど、最終的に坂道が連覇して総北が勝つという結果だけは知っている。大事なのは、知りたいのはその過程だ。
きっとここからまだまだいろんなことが起こるんだろう。もうすでにいろいろ起こってるんだけど。
これからもなんとか、ママチャリでのんびりと彼らの行方を追いかけていきたい。