うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

全身全霊のその先に。アップトゥデイト、美しき完敗

2016年中山大障害
二頭のグランプリホースが力と力でぶつかり合う名勝負だった。
マッチレース。
最後の生垣障害をクリアし満を持して先頭に立ったアップトゥデイトにすかさず並びかけるオジュウチョウサン
熾烈な追い比べは長く続かなかった。
直線を向くや否や一気に捩じ伏せたのだ。
時代が変わった。
暮れの中山に新たな春秋障害王者が誕生した瞬間だった。

完璧な競馬だった。勝って負けたどちらとも。
逃げるドリームセーリングを見ながら二番手を追走するアップトゥデイトを背後からぴったりとマークしていたのは、ほかならぬオジュウチョウサンだった。
既視感を覚えた。幾度となく目にした光景だったから。
これは、この勢いと位置取りは、昨年のアップトゥデイトの姿そのものだと。

何度でも言う。完璧な競馬だった。
スタートも道中も仕掛けのタイミングもあれ以上はない。
今できうる最善以上をもってしても勝ち馬には敵わなかったのだ。
二頭が並走しマッチレースにもつれ込もうとしたときは血沸き肉躍った。
しかし同時に、アップ!!と声にならぬ声で叫びながらも、私の心は徐々に凪いでいった。
馬なりだった。
持ったままスッと並ばれたのだから。
今のアップトゥデイトにはもう、今まさに絶頂を迎え力という力が心身ともにみなぎるオジュウチョウサンの猛追を振り切るだけの余力は残されていない。
心が気持ちよりも先に事実を受け入れた。
だが不思議と悲しいとは思わなかった。

アップのピークが昨年だったとすれば、オジュウのピークは間違いなく今年だ。
もしかしたらまだ底を見せていないのかも知れない。
ピークを過ぎることは決して悲しいことではない。
現実であり摂理だ。
その中で馬と人は知恵と力を絞って平等に競い合う。それが競馬だ。
限界に抗い、時計に抗い、ライバルに抗い、全身全霊で戦いつづけるアップトゥデイトを私は心の底からかっこいいと思った。
かっこよすぎて、こっそりと泣いた。
負けて悔しくて悲しかったからではない。
死力を尽くした美しい完敗に胸を打たれたのだ。
あの直線の、とてつもなく短くて長い永遠のような数秒の中で、私は応援する馬のゆるやかな衰えを悟り、すべてを受け入れ愛することができたのだろう。
競走馬の衰えは悲しくて寂しいものと心の片隅で薄々と思っていた私にとっておそらく初めての感情だった。

勝ちは価値であり、負けとは勝者を認め讃えること。
オジュウチョウサンのような強く賢く素晴らしい障害馬をリアルタイムで目耳に焼きつけられることもまた、競馬ファン障害ファンとしての喜びに他ならない。
二年にわたって春秋障害王者誕生の瞬間に立ち合えた。
このうえない幸せを感じながら王者の凱旋を見守り続けていた。

林さん!春にリベンジな!!
ファンの熱い声援を心地よい喧噪の中に聴きながら、次こそは返り咲けるだろうかと来年に想いを馳せた。
ジョッキーもまた、春にリベンジしたいと口を揃える。
鞍上の林満明騎手は悔しさを滲ませながらも納得の表情に見えた。
戦いおえて帰ってきた人馬を出迎えた佐々木晶三調教師と同助手は、ともに笑顔を浮かべていた。
きっと無事の帰還に心から安堵し、相棒の全身全霊の力走を何よりも喜んだのだろう。
彼らが歩むであろう、おそらく並大抵ではない、険しく困難な道のりを思う。
しかし私は彼らにまた会いたい。
こんな勝負が観たい。この中山で。何度でも。

 

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闘うからには全身全霊で。
その先にのみ切り拓ける道がある。
まだ見ぬ景色を彼らとともに見たい。見届けたい。
それがこれからの私の夢だ。
アップトゥデイトと陣営は私の夢だ。
私は夢をあきらめない。