うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

情熱は、花の種

春のおとずれと中山グランドジャンプの開催が待ちどおしい今日このごろ、今か今かと待ち焦がれながら思い出されるのはやはりあのレース。
あの時あの場所にいた誰もが熱狂し、感極まり、惜しみない賞賛の声を贈った名勝負はいまだ記憶に新しい。
2017年度、中山大障害
新旧王者、オジュウチョウサンアップトゥデイトの競演はたくさんのひとの心の中に種をまいた。
ありったけの情熱と興味の種を、わたしたちは彼らから贈られて競馬場から帰ってきた。

種は土に埋まり、芽を出し、苗となる。
苗は葉をつけ、茎を伸ばし、花を咲かせる。
まかれた種がどんな土に根を張り、どんな水と栄養を与えられ、どんな草花になるかはたどり着いた環境による。
すくすくと成長するのかもしれない。
ゆっくりと大きくなるのかもしれない。
小さくともたくましいのかもしれない。
それとも種のまま生涯を終えるのかもしれないし、いったんは芽吹いたもののぴたりと成長が止まるかもしれない。
長い月日を経てある日突然思い出したかのように命を吹き返すことだってありうる。
受けとった種をどのように育てるか。
ひとりひとりが心の中に異なる土と水をたたえている。
価値観という名の土壌だ。
それぞれが、とりどりに違う。

ふってわいた新しい物事とどう向き合うのか。
性格だったり、タイミングだったり、心身の準備の有無だったり、さまざまな事情や考えかたが深くかかわってくる。
きっかけが、勇気が、思い切りが必要な場合だってある。
あるひとは、真っ白な芦毛の馬を見て「そういえば」と思い出すのかもしれない。
またあるひとは、厩舎トレードマークの水色メンコの馬を見かけて野趣あふれる走りを連想するのかもしれない。
いつもはお昼ご飯を食べる時間だけど、このあいだ観たジャンプG1の、これから発走する未勝利戦もちょっと観てみようかな。
中にはそんなひともきっといるだろう。
いつ思い立つのか。いつ動くのか。
いつ種に水をやるのか。
決める自由はいつだって自分の心の中にある。

新しい花を育てることは、きっとなかなか難しい。
誰だってはじめは勝手が分からずに、ひとりきりで、これでいいのかなと戸惑いながら、おそるおそる水をやる。
そんな時、もしも周りに誰かがいたならば。
ふかふかに肥えた土を分けてもらえるかもしれない。
育て方の助言をちょっともらえるかもしれない。
そうすれば初めての挑戦がもっと楽しいものとなる。
まだみぬ新しい世界がより輝いて見えるはず。
もしもわたしたちがちょっとした先駆者ならば。
知っていることは惜しみなく、請われたら手助けし、問われたら答え、相手の気持ちとペースを一番に尊重して。
芽を摘むのではなく、無理やり間引くのでもなく、育ちが遅いねと指摘するのでもなく。
こうしたらちゃんと早く育つんだ!と横やりを入れることもせず。
さりげなく寄り添って、あるいはつかず離れずでもかまわない。
目の前にいるこれからのひとが自分と同じものを見て、何を思い感じ考え、どんな花を育てていくのかを心待ちにできたならば。
これまで見えていた世界がより明るく感じられるはず。

知ってもらえる嬉しさ。
好きなものを共有できる喜び。
想いや知識をとともに育んでゆく楽しさ。
ひとりきりでは味わいがたい感動を、あの時あの場所でわたしたちは贈られたはずだ。
だから、あの熱狂と興奮を分かち合っていた誰かと、いつかもう一度同じ道で再会できると気長に信じてもいいと思うのだ。
種はみんなに等しくまかれているのだから。