うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

愛と情熱と執着のおわり

4年経った。
ついこの間のような、遠い昔の出来事のような。
憧れのひとが鞭を置いた無念は、ともに競馬を観る喜びへと変わった。
予想に、ラジオに、トークショーに、SNSにと大忙しの日々。
かつての勝負師は引っぱりだことなった。
優しくおだやかに笑うようになったそのひとに、半ばすがりつくように、私もまた競馬への熱をたやさず燃やしつづけた。
あの頃よりもほんの少し近くなった背中を追う時間は濃密で、幸せで、そして苦しくて、淋しかった。
穴のあいた器に絶えず水を注ぎつづけるような感覚。
心の器が満たされることは決してなかった。
それでも注ぎつづけたのは、心に穴があいたことを認めたくなかったから。
認めれば足元から崩れ落ちてしまうことも、もう立ちあがれなくなることもわかっていたからだ。
大丈夫、嬉しい、幸せ、と念じるようにつぶやきつづけた。
しかし心を偽ることはできない。
情熱を絶やすまいと意欲を燃やせば燃やすほどに焦げついて、芯からすり減っていくような喪失感に襲われた。
あれほど純粋だった想いは、苦しくまとわりつく依存と執着へと変わりつつあった。

『あなたのことを』と言いながら、自らの心を壊さぬように必死だった。
なぜもっと無心に願うことができなかったのか。
邪魔をしたくない、重荷になりたくない、多くを願うことも、勝手な想いを押しつけることもしたくはない。
現実のすべてを受け入れると言いながら、本当は何ひとつあきらめられなかった。
愛に依存して、愛が執着となって、やがて情熱の火が消えたらあとには何が残るのだろうと、自問自答をくり返しながら。

プロヴィナージュの子どもに乗ってほしかった。
アーネストリーエスポワールシチーが引退するまでその背にいてほしかった。
キズナとともにダービーを勝ってほしかった。
そして凱旋門賞へ行ってほしかった。
一番の夢だと語った有馬記念を勝ってほしかった。
10場目の新潟で重賞を勝ってほしかった。
1000勝を達成するところを見たかった。
夢はついに叶わなかった。
永久に叶わなくなった。
叶わなかったけれど、今はある。今とこれからがあるのだ。

私は、願い望んでばかりだった。
いいファンにはなれなかった。
それでも私は今も競馬を愛している。
あの頃の私には想像もつかなかった今を生きている。
あなたがいたから。
あなたなくして今の私はなかった。
あなたには感謝しかない。
愛と情熱と執着ととも歩んできた道の果てには、終わりではなく続きがあった。
苦しみと淋しさの果てに、この想いが残った。
感謝の気持ちと、変わらぬ敬愛の念と、忘れられぬ思い出を胸に、これからも私は私の道を生く。