うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

宴は終わらない

行こう、東京へ。
意を決して始発に飛び乗った。
齢8歳にして中央G1初挑戦。
待ち焦がれたその瞬間にどうしても立ち合いたい理由があった。
フェブラリーステークスは、昨年も登録はしたものの出走がかなわなかった夢のレースだった。
思い出されるのは9年前、佐藤哲三騎手を背に圧巻の逃げ切り勝ちを決めたエスポワールシチーのこと。
エスポくん”の後輩にあたる馬が同じ舞台を踏む喜びと昂揚を感じながら、いまはもういない寮馬たちに想いを馳せた。

メイショウウタゲには僚友ともいえる近しい存在がいた。
みやこステークスを好走するなどダート短距離路線で活躍し、入障後も勝ち上がりを期待されたメイショウヒコボシ。
3歳夏から障害一筋、歴戦のオープン馬として幾多の名馬たちとともにハードルを跳びつづけたメイショウアラワシ。
同じオーナー、同期で寮馬で看板馬。
厩舎を長らく盛り立ててきたメイショウの三騎はルックスも性格もそれぞれに個性派で、在厩のタイミングも似ており、切磋琢磨しあう同志、親友、ライバルのような関係を思わせた。
しかし昨年秋、新天地で着々と経験を積んでいたヒコボシが突然の抹消。
平成最後の年が明け、中山グランドジャンプ以来の復帰戦と予定していた牛若丸ジャンプステークスを目前にアラワシは天に召された。
いつも共にあった三本の矢は、あっという間にウタゲ一頭きりとなってしまった。
競走馬が走る背景に物語を描き、想いを背負わすのは柵の外の人間で、見たい夢の型枠にあてはめた幻想にすぎないのかもしれない。
それでも私は彼らの闘いの行く末を見届けたかった。

好きな馬を待ち、見つめ、見送る。
パドックで過ごす時間に勝る幸せはないとさえ思う。
このときばかりは一頭と一人きりの世界に浸りきって、無心に目で追い、何度も何度もシャッターを切る。
概ねおとなしく周回し、ファーストコンタクトとなる北村宏司騎手に黙って鼻面を撫でさせる彼の様子に、8歳という年齢と流れた月日の重みを感じた。
激しすぎる気性を抱えながら、己との闘いの日々を乗り越えてここまでやってきた。
出走が決まれば待たされない偶数番を願い、ゲートに入れば出遅れないよう祈り、芝スタートならダートとの境目で物見をしたり飛び跳ねたりしないよう案じる。
発馬をクリアしたら、最後まで集中力を切らさぬよう馬込みに入れて走らせることが勝利の条件だ。
ポテンシャルは重賞級。
しかし人が気負っても、すべては気分屋の彼次第。
注文のつく馬が鞍上と折り合い、展開さえも向き、何もかもが噛み合うことは奇跡に近い。
それゆえに時折成し遂げられる魔法めいた激走にファンは未来の栄光を夢見ずにはいられなかった。
この日もいつものように願っていた。
彼の闘争心に火がつき、持てる力のすべてを発揮するという奇跡を。

憧れつづけたファンファーレが鳴り、ゲートが開く。
やや出遅れ気味に周りに馬を置いたところまではうまく事が運んだが、最後の直前で馬群がバラけて集中力を欠いてしまったか。
懸命に追うジョッキーの動きとは裏腹に栗毛の馬体はもがきながらズルズルと退いていく。
やがて大歓声のなか新たな若き王者が君臨し、それから2秒以上遅れてウタゲはゴール板を駆け抜けた。
夢は破れた。
やりきった。悔いはない。
それは私が思うことではないと戒めながらも、他にしっくりくる言葉は思い浮かばなかった。
研鑽を積んでチャンスを掴み、最善を尽くしたら、あとは祈り願うのみ。
彼らはすべてをクリアして勝負に挑み、無事にレースを終えて帰ってきた。
これ以上望むことは何もなかった。
G1に連れてきてくれてありがとう。
ここまで来る勇気をくれてありがとうと、何度も何度も心の中で語りかけた。

アラワシをうしなってから約ひと月のあいだ、私は競馬場へ足を運べなくなった。
心も体も芯から折れてしまい、淡々と流れていく競馬という日常の中の非日常に何も感じられなくなった。
大好きな馬がこの世からいなくなってしまったのに、何事もなかったかのようにただただ日々が過ぎていくのがつらかった。
そうしていつか暮らしにまぎれて忘れてしまうのが怖かった。
忘れるくらいなら思い出の中でずっと悲しんでいたかった。
忘れられなくて、そうすることを拒んで、苦しい執着から彼を手放してあげられなかったのだとようやく気づかされた。
何より、一番つらくて悔しくて悲しい思いをした、彼の傍にいる人たちの気持ちを何ひとつ思いやれていないことにも気づいた。
忘れることは、過去から赦されて生きるための力だ。
いつまでも悲しみを背負い嘆きつづけていては、いつまでたっても前へ進めなくなる。
悲しみばかりにとらわれていては、これからやってくる新たな喜びさえも見失ってしまう。
そうなる前に受け入れたくなった。
悲しむことに疲れて、何もかもが嫌になって、心も体も競馬から離れてしまう前に。
ずっと彼と同じ気持ちで応援してきたウタゲが大舞台に挑むという、何ものにもかえがたい喜びと昂揚を。
私はまだ、これからも、好きな馬を応援できるのだから。

忘れてしまうのではない。
事実を受け止めて、喜びも悲しみも愛おしさも、ともに駆け抜けてきた月日もすべて、宝物のようにしまっておく。
ずっと覚えていられるように、いつでも思い出せるように、思い出のページには栞をつけて、傷んでしまわないよう丁寧に綴じておく。
そうやって毎日を生きていく。
好きとは、今とこれからを豊かに生きていくための力だ。
恐れずにまっすぐ想えば、愛ゆえにうちのめされても、いつかきっと愛によって救われるときが必ず来る。
そう教えてくれたのは、ほかならぬ好きな馬たちだった。

 

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