うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

三度目の春に想う

アップトゥデイトを超える馬はいない。
そうやすやすとあらわれはしない自信があった。
私にとってはこの世の春だった。
しかしそのときはやってきた。
幾多の死闘とともに。いまだかつてない衝撃とともに。
あっという間に彼を飛び越していった絶対王者は、逃げてもあらがっても食らいついても未だ届かない、高くそびえ立つ壁となった。
絶望に限りなく近い畏怖と敬意。
驚きとときめきと同時に、嫉妬にも似た感情が奥底にしまい込まれた。

永遠につづくかと思われた春が終わりを告げ、四季はめぐった。
闘いに明け暮れるその間に、やがて彼らはゆく道を分かつ。
ハードル界を極めた現王者は、すべての人馬の夢ともいえる有馬記念への挑戦に。
そして、復権をはかった前王者は。
いつのときも競馬とは、レースとは、誰にとっても等しく厳しい。
勝手知ったる中山で初の落馬を喫した彼は、やむなく休養期間に入ることとなる。
もっとも声援を送りたい相手をただただ案じる日々のはじまり。
私にとっての長い長い冬がやってきた。

戴冠から三度目の春とともに絶対王者が帰還した。
新天地でも多くの競馬ファンをわかせた彼は四度目、いや史上初の栄光を掴む道を選んだ。
その初戦の阪神スプリングジャンプ、彼の最後の飛越にはいつにない乱れがあった。
最愛の存在を見つめられぬ苦しみを押しつぶすように多馬の勝利を渇望していた私の心に、根拠のない熱と自信がほんの少しだけ舞い戻ってきた。
それは予想、馬券面といった打算的なものもあったし、あるいは注意深く覆い隠してきた嫉妬に似た感情が見せた幻想だったのかもしれない。

今年の中山グランドジャンプは、現地観戦を見送った。
史上初の四連覇を阻む宿敵としてここに来ることが叶わなかった前王者にならいたかったのだ。
それは建て前で、偉業達成の瞬間、この嫉妬に似た感情がほんものになってしまう予感があった。
直視するのが怖かったのだ。
私は闘わずに逃げた。自らの葛藤から。

しかしどれだけ目を逸らそうとしても、求めずにはいられない瞬間がある。
全ての人馬が何とか彼を負かそうと切磋琢磨しあう。
息もつかせぬ駆け引きのすべてに受けて立ち、ついにはまとめてねじ伏せた。
夢も幻想も嫉妬もあらゆる感情を越えた頂点に彼はたどり着いた。
時代は作られ、ここに完成した。
まさにこの今こそが、稀代の名馬、オジュウチョウサンの時代。

くしくも三年前の今日の日も、中山の大障害コースにアップトゥデイトはいなかった。
その事実が突然に淋しいと感じられた。
道を分かつ口惜しさ。心許なさ。
新たな伝説がはじまった瞬間、一番いてほしかった彼がいない。
タラレバを心の中で何度も繰り返し、それでもいつかはと祈り願い信じつづけてきた。
嫉妬の正体は、なんということもない、愛をもてあました淋しさだった。
口にすることのはばかられる、誰にもどうすることもできない、嘘偽りのない感情。
讃えるべき者を讃えながら、すべてを超越した強さに酔いしれながらも、同時に思い浮かべたのはやはり躍動する白い馬体の彼だった。

祈り願うのは無事と最善。
だから急かすようなことも、押しつけがましいことも、言えないし言わない。
今は幻想として胸にとどめておく。
アップトゥデイトとともにふたたび一喜一憂したい』、とだけつぶやいて。
幻想は貫き通せば、打ち砕かれようとも、たとえ形は違えども、夢となって叶う日もこよう。
その時まで情熱を絶やさぬように。
愛すべきものを愛し、讃えるべき者を讃え、すべきことをして、日々を慈しんでいこう。

季節はめぐり、少し遅れて春を運んできた。
私の心にようやくおとずれた雪解けだった。

 

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