うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

タチバナサトエ号は放牧中です

UMACAのニックネームはこの名前で登録してあります。
カタカナってちょっと馬名っぽくていいですね。

みなさんこんにちは、いかがお過ごしでしょうか。
私はリフレッシュ放牧に出ております。
期限は決めておりません。次走も未定です。
そうしてみると、いよいよ梅雨ですねとかアイスが美味しかったとか、サウンドバーニングとプレイリードリームとビルジキール(※レース結果を受けて追記)が勝ち上がってとてもとてもとても嬉しいとか、なにげない機微をさりげなくつぶやく場所はもうないんだと我に返るシーンがそこかしこにあります。この感覚こそがまさに依存なのかもしれませんね。

私の本名はまりえというんですけど(謎のカミングアウト)、名前がふたつある二重生活が日常と化した一方で、さとえでいるときにはちょっとした頑張りがいるようになってきました。
まあありていに言いますとリアルが大変で心身ともにヘトヘトになって、ちょっとオフラインに集中したくなりました。
この春に意を決して転職しまして、思いがけずうまくいったので、もっとお仕事を頑張りたくなりました。
もっともっと頑張らなければつとまりません。
それでいったんオンラインのきれいな自分を切り離してみて、毎日を丁寧に暮らしなおしてみたかったのです。
“誰にも見えない、見せない”普通の暮らしに戻ってみたかった。
思えば十年くらいツイッターに心を分けてきましたので、あちらの私もそれなりに大きくなっています。
もうひとりの私は、きれいな自分です。
たちばなさとえは、きれいでなければつとまりません。

さて、きれいでいるにはパワーがいります。余裕がなければなりません。
まあ別にきたないさとえでもいいんでしょうけど、私自身、きれいなほうが気分がいい。
きれいかどうかというのは、もちろん自分の信念だったり美意識だったりもあるんですけど、やはり他人が見て決めることです。
ひとに自分をどう見せるか。
どう見られたいか。
私は、元気で前向きで情熱的で、いいひとでありたかった。
それは余裕がない今の状態ではちょっと難しい。
疲れてるときにきれいをキープするのは存外、エネルギーがいります。
元気なときには受け流せた悪意や雑念なんかも、ちょっとした引っかかりになって、違和感として溜まっていきました。
悔しくて腹立たしくてはらわたが煮えくり返るような、あるいは気持ちが芯から冷えるような、真っ向から怒りたいことがたくさんありました。
でも怒りたくない、赦したいというのも紛れもない本心で、本音は胸の内にしまっておいて、ずっと口を噤んできました。
口を開くと、自分が一番なりたくない人間になりそうだったから。
もうひとりの私は、強くて優しくて寛大な、いいひとでいなければならなかった。
誰にも分け隔てなく、不平不満も言わず、感情的にもならず、ただ穏やかに好きな気持ちだけを分かち合っていきたかった。
そうでないと何か誰かを好きでいる資格がないと思ったから。

う~ん、でも資格ってなんなんでしょうね。
いいひとってなんなんでしょうね?
それらは私の信念や美意識が長年決めつけてきたことで、他人からすればとるに足らない価値観に過ぎないのかもしれません。
私は別にいいひとではないし、きれいな人間でもありませんし。この現実こそが真実です。
そういえば、よく競馬の話をするときに“ファンとして”って言い回しをしてきたんですけど、私自身どうも“こうあらねば”という気持ちが強すぎたように感じます。
同じように輝けないからこそ、せめて好きなものたちに恥ずかしくない自分でいたかった。
好きなのは馬だったり、馬に携わるひとたちだったり、フォロワーさんだったり、輝いている無数の存在です。
競馬の世界も、オンラインの世界も、大好きなひとたちばかりの大好きな場所です。
私は、大好きなひとたちに失望されるのがずっと怖かった。
あなたほんとはそんなひとなんですねと愛想を尽かされたり、つまらないやつと飽きられたりするのが怖かった。
だから、きれいな自分でいたかった。いいひとでいたかった。
今となっては、果たしてそれが本当にきれいだったのかな?いいひとって言えるのかな?そんな臆病な心こそが打算的で恥ずかしいんじゃないのかな?とも感じるので、もうよくわからないです。
よくわからないので、私がどんな人間かはこれまでにかかわってきた大好きなひとたちがなんとなく決めてくれたらいいかなって今は思ってます。

突然消えてみて初めて過ごす週末ですが、オンラインに心を分けない暮らしもそう悪くありません。
もう私の傍には競馬の話を深いところで分かち合えるひとは残っていませんから(ハメられた人間が一番ハマってしまったパターン)、ひとりでワクワクするのは物足りなくもありますが、なくてはならない!とそわそわしてしまうのはもはや依存なので。
なくてはならない!から、あったらよりよいものに自分の中では変わりつつあります。
もうちょっと空気みたいになってきたら、なんとなく戻ってみようという気持ちになるかもしれません。