うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

応援ってなんなんでしょうね

自己満足だと思っています。
ただ自分の中に好きだという気持ちがあるだけ。
あなたのためにとか、何かの役に立てるだなんて、思ってもみません。
応援させてもらっている。
明日を生きる力を分けてもらっている。
そんな気持ちで見つめつづけている馬やひとたちが、私にはいます。

好きな馬に、正確には彼に携わる方々に手紙を書きました。
まさにその直後、彼は旅立ってしまいました。
想いを伝えてしまった責任を感じずにはいられませんでした。
もしかして、何もなかったほうが日々を切実に生きる彼らにとってはよかったのではないか。
余計なもの思いだけを残してしまったのではないか。
以来、どうしても自分を責めずにはいられないのです。
今も葛藤はつづいています。

想いは重い。
伝えようという強い意思をもったとき、想いは相手に伝わります。
気持ちがあふれるあまり、抱いた想いが持ってしまう力の強さに、私はあまりにも無頓着でした。
彼の頑張る姿に惹かれます、皆さんのお仕事が大好きです、応援していますと伝えて気持ちがいいのは、私ひとりだけなんじゃないのか。
その自己満足を独りよがりにぶつけているだけなのだとしたら。
得体の知れない人間にどこからともなく監視されているような息苦しさを、与えてしまっているのだとすれば。
私が抱いた憧れと敬意で、追いつめたり傷つけたりしてしまったひとさえいるのかもしれない。
その悩みと迷いも、しばらくツイッターを離れようと決意した理由のひとつでした。

大好きな競馬の中で、誰か何かを応援したいと思うこの気持ち。
私の心の中の最も崇高な感情。
下心もありませんし、見返りも何も求めません。
私という存在を知ってほしいだとか、感謝をされたいだとか、そういうことは夢にも思いません。
ただ元気で、無事にいてくれるだけでいい。
何も求めないけれど、こうして遠くから見つめていることだけはどうか許していてほしい。
私の望みはそれだけなのです。
邪魔になりたくない。重荷になりたくない。
しかし想いを伝えるということは、ときにひとを傷つけたり、思いもよらぬ居心地の悪さを与えてしまうことになりえるのかもしれない。
そのことが、とても怖いのです。
自信を持てない、自分を肯定できないからなのでしょう。

この想いは、あのとき、伝えるべきではなかったのかもしれません。
まだ自分で自分を赦せずにいるのだから。
だからもう筆を折ってしまえたらいいのに。
もの言わずとも、この想いはこの胸にだけ秘めておいて、黙って眺める幸せもあるのだから。
それなのに、好きだな、素敵だな、応援したいな、この気持ちをお伝えしたいなと思う気持ちを、私はどうしても止められずにいるのです。
まるで自己満足のように。