うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

「これさえあれば他には何も」じゃなくって。

ツイッターのアカウント、もうずーっと競馬の話をしてきた場所なんで、ぽつぽつとファッションの話なんかもするようになったもののまだ気恥ずかしさが残っている。
ジャンル外の話なんか別に求められてないんだろうなぁ、という謎の遠慮とともに。
でも好きなものは好きだし、(私の人生は、私っていう人間は、“競馬が好き”だけじゃあダメなんだわ)とこの頃は思いはじめている。
それを生業にしてるのなら、そこまで突き抜ける覚悟があるのなら、それでいいんだろう。
たえず情熱を燃やしつづけてきても、干支ひとまわりの年月好きでいつづけても、私はそうじゃなかった。残念なことに。淋しいことに。
突き抜けることも越えることも、歩み寄ることもできなかった。
正確にはそうしなかった。
私は“ただのファン”だった。嬉しいことに。光栄なことに。
だから柵の外の私は「これさえあれば他には何もいらない」という好き方をちょっとずつ変えていかなきゃならないと気づきはじめた。
好きなものを依存や執着でぐちゃぐちゃにしてしまわないように。
追いつめられて落ち込んで、依存や執着でぐちゃぐちゃになりながら、ここ数ヶ月の間ずっと考え感じていた。
もう潮時かなぁなんて実はよぎったりしてたんですが、本当に離れたいわけじゃなかった。
好きすぎて、好きしかなくって、うしなったときに苦しくなった。
もう喪失の痛みにたえられなくなっていた。あまりにもそれしかなかったから。
十年以上こんなかんじできたから、競馬を抜いたらすっからかんになるんです。私の中。
きっとそれじゃあだめなんです。大人として。
こんな切羽つまった気持ちで四六時中想われても、たぶん想われるほうだって重たい。
そういう想いを断片的に聴かされるひとたちにとっても、決して楽しいことではない。
せめて“好き”でかかわるひとたちや想う相手を重たくしたくない。
ファッションの話をツイッターのアカウントでぽつぽつしてるのは、その訓練の一環です。
「競馬しかないんです、私にはこれだけです」じゃなくって。
地に足をつけて、自分というものをしっかり築いて、遊びや余裕を持って、豊かに生きていく。
その中で大切なものは競馬ですと言えるようになりたい。ならなければ。