うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

けいばがとうとすぎてつらい、をやりなおす

日曜日にとてもいいレースを観てきて、気持ちがたかぶっていました。
そのちょっと後のつぶやきです。
『競馬が尊すぎてつらい。』
自分の中では表題のような状態がここ数年の間で加速していってるのかもしれません。
このままではそれがちょっといきすぎてしまいそうで、自戒とブレーキのためにいま筆をとってます。

『馬はすごい!携わってる人たちもすごい!
でも私は何もわかっていないし何もできない。』
ただ好いてるだけの、ただのファンにすぎないから、ひとりで想ってるだけで何も言いません言えません言えるはずがありません。
思い感じていることを表現するときも、彼らに畏れ多くて、おそるおそる言葉を選んで、ひどく遠まわしになってしまいます。
ツイッターをしていても、ブログを書いていても、手紙をしたためていても、ああこれはもう神格化というやつかもしれないな、なんてこのごろは感じるのです。
たぶん私はもう、馬かわいい、ジョッキーかっこいい、ホースマンすごいと何の遠慮もなく無邪気に言えてたころには戻れないんでしょう。尊すぎて。

でも自分、ちょっと待ってほしい。
彼らは私にとって生きがいや楽しみをたくさん与えてくれる神様のような存在ではあるけれど、決して全知全能の神じゃない。
神を頼りあがめるのは宗教です。
私は、大好きな競馬を宗教にはしたくない。
ひとりの自立した大人として彼らに敬意を表するために、依存も執着もしてはならないと強く思ってきました。
皮肉にもそうなろうとしてたのは、一体どうしてだろう?

『何も知らない。何もできない。勇気がなくて柵の中へは入っていけなかった。』
私はずっとそう思いながら自分を戒めてきました。
こんな自分が何かを知っていて、何かできるかのように思いふるまうのは恥ずかしくて許されないことだと。
そうやって謙虚に、バランスをとって、うまいことやってきたつもりでした。
でも、謙虚を通り越した卑屈は人をすごく疲れさせます。
周りのひとも、自分自身のことも。
にもかかわらず卑屈に徹しながら安心していました。
これなら誰も傷つけることはないと。
でもむしろ逆だったかもしれません。
へりくだって遠慮するあまり、本心でぶつかれなかったために、ひどく傷つけてしまったひとがたぶんいる。
そのひとにはおそらくもう一生会えないし償えません。
私の手元には、一生消えない後悔だけが残ってしまいました。

まあちょっとばかり脱線してしまったのですが、
『推しは神じゃないし、卑屈は誰にとっても楽しくない』
とはここ数ヶ月のあいだでひしひしと感じていることで、真面目なひとほどそういうつらさにハマってしまうんだと身に覚えがありましたので、老婆心のような感じで。
自分も含めて、ファン歴が込んで難しくかしこまって考えすぎてるひとは一緒に『嬉しい!楽しい!大好き!』と無邪気に言えてたころに、ほんのちょっとでも戻れたらいいですよね…。
なんてことを切に思いながら、ひとまず筆を置きます。
なんといっても、競馬はずっとつづいていくし、ずっと好きで楽しんでいたいのですから。