うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

“キズナのダービー”を、いま喜ぶ

「僕は帰ってきました!」
ヒーローたちの凱旋を、喜びの声を、そのとき私は他人事のように見聞きしていた。
ああエピファネイアがしのいでいれば、と思いながら。
表立ってはキズナの勝利を願いながら、心の片隅ではエピファネイアの勝利を祈っていた。
そんな結末もありだと思っていた。
しかしキズナは勝った。
願ったとおり、あざやかに。
これこそが望んでいた結末だった。しかし。
「解ってるけど、悔しい。」
レース後初めて洩れた率直な気持ちだった。
言葉が口をついて出ると、堰を切ったように涙が止まらなくなった。
なぜなら、ここに一番いてほしかったひとがいない。
「この勝利を佐藤哲三騎手に伝えたい」という佐々木晶三調教師のコメントだけが救いだった。
そしてその言葉が長らく心の支えとなった。

あれから年月が経ち、産駒が次々と勝ち上がる今、競走馬としてのキズナを語るときに哲三騎手の名が挙がること自体が稀になった。
語ることもなんとなくはばかられる。
キズナにはユタカさんだ。
もはやレジェンドの域にまで達した名手への遠慮がそうさせるのかもしれない。
それでも私にとって哲三騎手がキズナの主戦のひとりであることにかわりはなかった。
隙あらば語ってやろうといつでも機会をうかがっていた。

 

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私がキズナとの対面を果たせたのは、現役最後の年の京都記念
会ってみるとなんとも無邪気でかわいらしく、いっぺんに彼が好きになった。
これでようやくすべてのわだかまりは解ける。
心底安堵したものの、彼へのいとおしさが生まれても、あのときの淋しさと悔しさが消えることはなかった。
淋しさと悔しさを押し殺して、笑いながら“ユタカさんのキズナ”を褒め称え、認めなければならない世間の空気がつらかった。
私の敬愛するひとはこうしてゆっくりと忘れられていくのに、と思うと、表舞台に返り咲き輝きに満ちているひとを直視できなかったのだ。
何よりも、そんな狭量な自分の心が一番醜く感じられて苦しかった。
あのころは何もかもがあまりにもまぶしすぎて、どこにも逃げ場のない競馬がつらかった。
それでも一度愛した世界から離れることはできず、また月日が経った。

そしてきょう、リメンバーメモリーが未勝利戦を勝ち上がった。
チーム・キズナでの勝利。
待ちに待った瞬間だと心の底から喜んでいる自分に気がついた。
あのときのような取り繕った喜びではない。
心から祈り願った瞬間がそこにはあった。
もういいだろう。いつまでも淋しさと悔しさにとらわれつづけるのは。
つらいのは私だけじゃなかった。
あのころも、これまでも、これからも。
今ならわかる。
負傷で騎手を諦めざるを得なかった名手の底知れぬ葛藤も、苦境にあえぎつつも邁進しつづけた名手の孤独な苦しみも。
月日は私に現実を受け入れ、納得し、淋しさと悔しさにとらわれていた過去の自分自身をも赦せるよう少しは成長させたようだ。

みんな誰もが輝く何かを掴むために自分自身と闘っている。
だからこそ勝利は尊く、そこにいたる過程のすべてを応援せずにはいられない。
私にとっての競馬は、はじまったときから今の今までずっとそうだった。
だからこそ離れられなかった。
離れられなかったからこそ、こうして喜びを分かちあえている。
今ならわかる。
あのダービーはみんなにとっての悲願だった。

絆。
心に残る記憶。
想いも思い出も、決して消えることはない。
夢と信念は受け継がれ、縁も道もつづいていくのだ。
愛すべき彼らに、今ようやく、心の底からおめでとう。