うまいこといえない。

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8歳最後の挑戦。競走馬を愛するということ

私には好きな馬がいる。
彼らの無事と最善を願ってやまない。
好きな馬は無条件にかわいい。
一目会えるだけでも嬉しい。
しかし彼らが競走馬として生を受けたのならば、競馬場で走る姿を応援しなければウソだと私は思う。
彼らは柵の向こうの憧れの存在。
レースへ向けて日々鍛錬するアスリートでスーパースターなのだから。

2019年の締めくくりを、私は阪神競馬場で迎えた。
ベテルギウスステークスに出走するメイショウウタゲの応援に来たのだ。
前走のみやこステークスでは展開の向いた勝負どころで不利を受けての落馬。
人馬とも大事にはいたらなかったのが不幸中の幸いだった。
短期放牧を挟み、慎重に慎重を期したうえでの再スタートとなった。

新馬の頃から激しい気性で陣営の手を焼かせていたやんちゃな少年は、いつしか落ち着いた大人の男へと成長を遂げていた。
どっしりとパドックを周回する姿には貫禄さえただよう。
喜びと同時に一抹の淋しさを感じていた。
そして、昨年秋のエニフステークスを思い出していた。
あわやの出遅れから腹を括って脚をため、最内を突いての鮮やかな勝利。
あのときはいよいよ彼の強さが完成の域に達した、どれだけ重賞戦線で活躍するだろうかと目の前に夢が広がっていた。
実力はあるけれど気まぐれ。相手よりも自分自身との闘い。
そんな個性派の彼が一躍スターダムに乗り、大舞台でたくさんの声援を受けて走ることが嬉しかった。
後に彼は南部杯で3着に食い込み、ついには中央G1、フェブラリーステークスにまで連れていってくれた。
決戦に臨む彼に私が望んだのは、無事と最善だった。

無事と最善を願いながら、いつしか奇跡を祈るようになっていた。
勝利や好走よりも奇跡を祈るようになったとき、競走馬は競走馬として全盛期を通り過ぎてしまったのだろうなと思う。
淋しさはいつもそこからやってくる。
無事、最善、健闘、好きな馬はかわいい。
すべて本音で本心ではあるけれど。
心地のよい言葉を並べて、真意に触れないようにしながらも、隠しきれない淋しさを抱きつづけていた。
競走馬はいつの日か必ず、競走馬ではなくなる。
何度も何度も繰り返してきたことだ。
加齢と衰えはいつだってその前ぶれだった。
サラブレッドの生きる年月は、一瞬の光のようにまぶしく儚い。

どうしてこんな想いをしているのだろう。
こんな想いまでしてなぜ私は競馬を見ているのだろう。
分かっているのにどうしてこんなにも馬を好きになってしまうんだろう。
ふと我に返るときもある。
もっとその時どきで気持ちを切り換えて、気軽に楽しむべきなんじゃないかと。
愛さなければこんなにも苦しむことはないのにと。
私にとって愛することはきっと、ともに苦しむことだ。
思い入れるあまり深刻になりすぎてしまう。
我ながら競馬には向いていない。
しかし彼らとともに分かち合ったのは苦しみや淋しさだけではない。
何ものにもかえがたい大きな喜びや幸せがあるからこそ、現実を受け入れるべきときは必ずおとずれるのだ。
いいときもそうでないときも、傍に寄り添えないからこそ、心ばかりは彼らとともに。
若くても歳をとっても、彼らが競走馬として競馬場で走る限りは、競走馬として見つめつづける。
奇跡でもいい。
いや、たとえ祈ったような奇跡が起こらなくても、泥臭くても、うまくいかなくても、前へ前へと駆けていく姿は美しい。
だから、愛さずにはいられないのだ。

私はメイショウウタゲの単勝複勝を奮発して買った。
馬券を買わなくても声援は送れる。
でも、買いたかった。
たとえ外れ馬券になってしまったとしても、ただの紙屑ではない、私にとっては価値ある一枚となる。
この日、この競馬場で、たしかに彼を応援したという証だ。
陣営のコメントによると落馬の後遺症はなく、体調も良いという。
しかし本来ならば前に壁を作りながら脚をためなければ集中力を欠いてしまうはずのウタゲは、大きく外を回った。
指揮官の指示だったのか、騎手の判断だったのか、馬自身の気持ちによるものなのか。
それともレースの流れの中で内を突けないわけがあったのか。
柵の外から見ている私には見て推し量ることしかできない。
推し量ってどうこう言いたいわけでもない。
ただ何かを感じとって、自分なりに何かを思うだけだ。
どうにもならないことなんて、競馬だけでなく、人生にだっていくらでもある。
そのたびに嘆き悲しみ、自分や他人を責めたり、起こったことを悔やみながら、いつまでも時を止めたままではいられない。
人生でも競馬でも、どうにもならないことに気持ちの折り合いをつけながら、前へ進みながら生きていくしかないのだ。
4角の手前からポジションをあげていく場面も見られたが、後方侭で入線した。13着だった。

ねぎらわれながらウタゲが帰っていく後ろ姿を遠くから見届けた。
誰もが安堵の笑顔を浮かべていた。
ジョッキーも、トレーナーも、担当助手も、みんな。
私が一番望んでいた光景がそこにはあった。
何も言うことはない。うまく言葉にならない感謝と、ねぎらいと、愛の言葉以外は何も。
私が好きな馬の、8歳最後の挑戦は無事に終わった。

 

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