うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

私の敬愛する人たちのお話

数年前から、騎手から厩舎応援に競馬ファン活動の形態が変わった。
いわゆるハコ推しだ。
すべては敬愛するジョッキーによりもたらされた縁だった。

佐々木晶三調教師はいわずとしれた佐藤哲三元騎手のよき理解者であり、信念を分かち合った同志の一人だった。
大胆にして繊細な気質をあわせもつ、明朗快活な人。
私が競馬を見始めたのが2007年秋からなので、このコンビだとぎりぎりでインティライミの晩年を認識しているくらい。
だから残念ながらタップダンスシチーは見られていない。
アーネストリーが青春ど真ん中。そしてキズナで志半ばの終焉をみる。
哲三騎手の落馬負傷による鞍上降板があったからだ。
以降も彼らの関係にこだわって厩舎応援をつづけてきたのだが、佐々木師についてはキズナがダービーを勝ったときに「もう大丈夫」と心から思えた。
自らの喜びよりもまず「この勝利を佐藤哲三騎手に伝えたい」としたコメントは戦線離脱した彼を待つうえでの大きな心の支えとなったし、一生忘れはしない。
唯一無二の相棒を欠いても、師の強さは何ら変わることはなかったのだ。
“哲ちゃんと晶ちゃん先生”の物語は推しの現役引退をもっていったんは終わったかに思えたが、夢にはもう少しだけ続きがあった。
アップトゥデイトだ。
キズナの同郷で寮馬だったアップトゥデイトは新たな相棒を得て障害王者となり、歴史に名を残すジャンパーとして競走生活を全うし、惜しまれながらも新天地へと巣立っていった。
彼らの信念の物語は、アップとともに見た夢の完結をもってついに大団円を迎えたのだった。
以降はつかず離れず、厩舎の動向を穏やかに見守っている。

“哲ちゃん”のよき理解者で信念をわかちあった同志がもう一人いる。安達昭夫調教師だ。
見るからに温厚かつ理知的な紳士で、「この人となら哲ちゃんは大丈夫」と勝手に安堵したものだ。
それくらい当時の推しはヒリヒリとして尖っていた。勝負師として。それがたまらなくかっこよかった。
エスポワールシチーという稀代のダートホースを管理するうえで厩舎に様々な困難があったのはまだ記憶に新しい。
「勝っても負けてもネットで叩かれる」と安達師ものちに回顧しているが、ほんとうに当時の熱狂の毒たるや、すさまじいものがあった。
当時はまだ今ほどネットリテラシーみたいなものは確立してなかったから余計にだろう。
私自身も無責任に夢ばかり見ていたなぁと反省しきりで、過去に遡って自分をお説教漬けにしたいくらい。
それでもエスポくんを送り出してから「人間関係も含めて、こういう馬がいないと出来ない体験ができた」「お手柔らかにお願いいたします」と笑ってインタビューを締めくくっている。
芯も強ければ、気も心も強い。
なんせあの哲三騎手とがっつり組んでいちから馬を作るような人だ。強くないわけがない。

ちなみに安達師と佐々木師は仲がいい。
受ける印象はまるで正反対。
一見すると静と動、陰と陽、月と太陽みたいな関係。
でも根っこの部分には御しがたい激しさを秘めていて、ときどきそれが垣間見える。
たぶん二人ともほんとうは情の強い人で、とても似たもの同士なのだ。
普段は優しい顔して笑ってるだけで実はめちゃくちゃ厳しい人だぞと、初めて存在を認知した時から直感がそう訴える。
そんな二人が哲ちゃんを間にはさんで笑っていた年月があった。まさに怖いものなしだったろう。
あの頃が今でもまぶしくて懐かしい。
戻りたいかと問われると、いつだって今が一番幸せだから、それも違うような気がするけれど。

そんなわけで今、実働をもって応援しているのは安達厩舎。
敢えて苦労をしてでも、したいことをしたいようにしている。そこに惹かれる。
素人目にも、信念あってとても難しいことをとても難しい方法で成そうとしているようにしか見えないのだ。
簡単に言えば、いわゆる(ほぼ)非社台厩舎。
サウンドさんが社台ファームの生産馬を買ってちょっと預託するくらい。サウンドバリアーの子どもたちとか。
あとはほぼ日高の個人牧場の馬たちが馬房を占め、もと管理馬の親子きょうだいが多い。
これまで培ってきた縁によるところが大きいのだろう。
なんでそこまでと言いたいくらいに変わらない。
自分でこうと思う仕事をしたいのだろう。
今の時代、良血馬を確保しながらホースマンとしての信念すべてを貫いていくのは難しい。
いい馬を預かるかわりに信念を曲げることになるのならば、一切やりませんというところか。
実はそれを貫くのが一番難しいのだけれど。
別に私は逆張り主義でも判官贔屓でもないが、かつて自分の好いた人の縁に深くつながる人が気持ちの見える仕事をしていることが嬉しい。
なんせ、高い馬はお嫌いかと問われて「そうじゃない馬も走ってこなければ困る」と笑って答えた調教師だ。
強い。強すぎる。なんという高潔。

だから私は、先生には報われてほしいし、成功を掴んでほしいのだ。
でも何をもって報われた、成功したといえるのでしょうね。
芝のG1を勝ったら?
ダービー、クラシック制覇したら?
ドバイ?それとも凱旋門賞
今の時代、山も頂点も分岐して、あまりにもたくさんの道がありすぎるから。
そしてそれはあくまでファン目線の話に過ぎないから。
何をもってよしとするかは先生が決めることだ。
先生が、これと思った馬で、勝ちたいレースを勝ったら、それが何より。
サウンドキアラのヴィクトリアマイルかもしれないし、もっと先の、ビルジキールチャンピオンズカップだったりするかもしれない。
目の前の未勝利戦、条件戦、全てともいえる。
でも何かを成し得てもきっと満足はせずに、ずっと前へ進み続けていくのだろう。
職人とはそういうものだから。

私はただその夢と信念に乗っかって、追っていくだけ。
決して長くはないあと十年の軌跡をしっかりと胸に刻みながら。

 

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