うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

予期せぬ春休みに想う

ついにきた。
中央競馬の無観客開催がはじまりました。
淋しい。
好きな馬に会いたかった。
そばで応援したかった。
彼らのがんばる姿を写真におさめたかった。
この目に焼きつけたかった。
残念です。でも世界の一大事なので仕方がありません。

いつもなら競馬場へ行っていた時間がまるごと空になってしまいました。
暇だとついいろいろと考えてしまいますね。
SNSを覗く時間がむやみに増えて、よけい憂鬱な気持ちになってしまったり。
一日中ぼんやりと過ごしてしまって結局何もできなかったり。
そんな自分に罪悪感を覚えてしまったり。
何もしないをする、というのは案外難しいものです。
好きにまみれて暮らしているわたしたちはきっと、やりなれていないから。

ちょっと休みなさいってことなのかもしれないなぁ。
行こうなぁ、どうしようかなぁ。
悩める贅沢な幸せに慣れきっていたのかもしれません。
一方的に絶たれてはじめて、自分がほんのちょっと疲れていたことに気づきました。
好きという感情と行動でもひとは消耗するんです。
しんどいことからは逃げられるけど、楽しいことってどんどん向かってくるし嬉しい気持ちもわきあがってくるから、無制限に受け入れがち。追い求めがち。
貪欲に幸せを取り込み、与えて与えられて、エネルギーを放出しているうちに、いつの間にかものすごくクタクタになっていた。そんな経験ありませんか。
でも気づけない。認めたくない。だって楽しいから。幸せだから。
しんどいわけがない。疲れてるわけがない。だってこんなにも好きなんだから。
確かに、若いうちは、それで大丈夫だった。

喜びも嬉しさも幸せも、元気があってこそ。
当たり前に競馬があって、当たり前に競馬場へ行く。
好きでやってることだけど、そこに見えない疲れは確かにあったのかもしれない。
それを認めてしまうと、自分で自分を根性のないファンだと言ってしまうみたいで、負けてしまうようで悔しかった。
誰に対して?がんばれない自分自身に対して。
恥ずかしかったし申し訳なかった。がんばっている好きなもの、好きなひとたちに対して。
でも、ひとは自分にできることしかできないんですね。どうあがいても。
それぞれのペースとキャパシティがあって、限界を超えてがんばりつづけられないようにできている。
一時的にパワーを発揮できる瞬間はあっても、ずっとずっとだと、体と心のバランスをとれなくなってくる。
体力がないと好きを楽しめないし、気力がないと幸せを受け入れられないですよね。
自分の中が空になってしまうと、もう何もしたくなくなってしまう。
だから、好きに疲れきってしまうその前に。

ちょっとゆっくりしてみませんか。春休みだと思って。
当たり前すぎて気づけないこともある。忘れてしまうこともある。
そういうのをいったんリセットするために。
近所の公園に梅を見に行きました。
少しのあいだカメラを手放しました。
家であったかいお茶を淹れて、お菓子を食べながら、写真の整理をしました。
心を込めて手紙を書きました。
さぼっていた筋トレをまた再開しました。
好きにかまけて忘れていたあれこれをやりなおしながら、今すごくつらい時期のはずなんですが、自分自身がゆっくりと立ち直っていくのを感じました。
きっとそうしてまた、新鮮な気持ちで好きに向かえるんだろうなと自然に思えました。

一番好きなものがひとつだけ、という限定された世界の中に生きていると、こういうときに思いつめるしかなくなるんですね。ものすごく実感しました。
私のいいところでもありよくないところ。
立ち止まらないと気づけないというのも考えものなので、お馬さんでいうところの“息を入れながら”やっていきたいものです。
どんなに強い競走馬でもずっと全力で走りつづけることはできないものだと、わたしたちは知っているのだから。

もうそろそろコートの季節はおしまい。
桜が春を連れてくる頃には、少しずつでもみんなの愛すべき日常が戻ってきますように。

 

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