うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

馬と理解と覚悟のこと

好きだけど、嬉しさや幸せばかりじゃない。
悲しいことも、受け入れがたい現実もある。
さよならのあとはもうどうでもいいってわけじゃない。
忘れてるわけじゃない。
心が痛まないわけじゃない。
でも当事者たる関係者をさしおいて語れるほどの言葉を私はきっと持ってない。
想いの強さもかなわない。
厳しい現実と向き合いつづける彼らの労力と覚悟に比べれば、私のそれは甘っちょろい気持ちでしかないだろう。
気持ちですべては救えないし、私が肩代わりできるわけでもない。
苦楽を共にもできない。

何もできないから、ただ受け入れようと決めた。
誰も何も責めずに、いたずらに憤ったりせずに。
きっと誰もが悩んで苦しんだうえでこの結果に辿り着いたんだろうと。
これが事実だから否定してはいけないと。
受け入れて、感謝する。
走ってくれたことに。輝いてくれたことに。
彼らと向き合い育んでくれたことに。ともに歩んでくれたことに。

きっと綺麗事だ。
私のいる柵の外からは、美しい部分しか見られないから。
見えないようになっている。
見せないようにしてくれている。
それを覗いてもいいのか。暴いてもいいのか。踏み込んでもいいのか。
悩んだときもあった。
決めるのは当事者たちだ。
だから受け入れて尊重する。
せめて感謝して、忘れない。ずっと覚えている。
彼ら競走馬が確かにこの世に生まれて生きたことを。
果たしてこれに意味はあるのと問うのは、一番やってはいけないことだと思っている。
彼らの存在を否定する言葉になってしまうから。
競走馬は、望まれて、生まれてきたこと自体に意味があるのだから。

だから、会えるうちに会いに行く。
好きだと言って、精一杯応援する。
撮って、書いて残す。
想いは伝える。
正しいかどうかはわからないけれど、それしかできないから。
そういう関わりかた、引き受けかたしかできないから。
せめて私は私の立場と居場所で、できることをやっていく。

さよならのあともずっと、無数の彼らは心の中で生きている。
喪失の痛みとともに愛の記憶は残りつづける。彼らが生きた証として。

 

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