うまいこといえない。

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夢追う王者の帰還

生ける伝説だ。
彼はきっと、なによりも障害が好きなんだ。
浮かんできたのはそんなシンプルな気持ちだった。
現・最優秀障害馬シングンマイケルに9馬身もの差をつけての、圧巻のレコード勝ちだった。
わたしたちはすごいものを見ている。
稀代の名馬と同じ時代に生きられる奇跡を、ただかみしめていた。
彼を倒す馬の台頭を待ち焦がれていたはずなのに。
昨年の中山大障害をみて、時は来たと思った。今日こそがその日だと。
しかし蓋をあけてみれば誰も敵わない。影すらも踏ませなかったのだ。
オジュウチョウサン。彼こそ絶対王者と呼ぶにふさわしい。

ハードル界の絶対王者は、2019年の中山グランドジャンプを最後にフラットレースにふたたび競走の舞台を移していた。
最後の直線での驚異的なスパートを幾度も目の当たりにしていると、まだみぬ景色に想いを馳せる気持ちはよくわかろうというもの。
何が正しいとか間違っているとかこうあるべきとか、夢を追うというのはたぶん、理性や理屈だけで説明できるものではないのだ。
たとえ障害馬としての全盛期を犠牲にしてでも、リスクを背負ってでも勝ちとるビジョンが陣営には見えていたのだろう。
挑まなければ答えは出ない。
闘わなければ勝利も栄光もつかめない。
果敢に壁にぶつかりつづける彼を通して、皆が同じ光景を見て一喜一憂した。
夢を与えるというのは、きっとこういうことだ。
競走馬が人々に与える最も美しく尊いものだ。

馬は背負って走る。あまりにもたくさんのものを。
お金、期待、声援、時間、想い。
しかし馬自身はそのことを知らずに走る。
いや、賢い彼らは察しているのかもしれないけれど。
ただひたむきに、前だけを見て、ゴールを目指して走るのみ。
競馬とはなんだろう。
ただ走って勝敗を決するだけではない何かがある。あまりにもたくさんの何かが。
夢というものは誰かのエゴなのかもしれない。
それゆえに夢追う過程で、悩み、迷い、ぶつかり、試行錯誤を繰り返し、考えをあらためねばならない時もあるだろう。
理想を実現するには現実を見ながら常に考え、実践しつづけなければならないから。
ときには違うかたちで夢見る誰かがそれを否定することもあるのかもしれない。
人それぞれに信ずるものがあり、好きだからといってすべてを受け入れ肯定できるわけではないから。
しかし。
陣営が、オーナーが無我夢中で道を切り拓こうとしていたのと時を同じくして、わたしたちもまた酔いしれていたはずだ。
彼の型破りな挑戦に。
勝ちとった勝利に。
挑みつづける姿に。
誰もが彼に魅せられていた。そのことはまぎれもない真実。
だから、愛さずにはいられない。讃えずにはいられないのだ。

最初から最後まで抜群の手応えだった。
もしかしてレース前半からそのまま飛び出して突き抜けていってしまうのでは、と思ったくらいに。
まるでハードルを飛越するのを待ちかねていたかのように、彼は躍動した。
逸ることは決してなく、長年コンビを組む石神騎手との信頼関係で、いつもの競馬に徹した。
獣が獲物を狙うかのような、前のめりにぐっと沈み込む独特のフォームは健在だった。
あとは並びかけるものもいない。
ただ自分たちの走りをするだけ。
わたしたちは、圧倒されるだけ。
純粋な強さの前に、ただじっと見惚れて感嘆するのみ。
幸せな時間だった。

オジュウチョウサンは王者の座に君臨しつづけるだろう。
彼は自らのキャリアを犠牲にしたのではなく、リスクを賭して、時間と経験のすべてを糧として戻ってきたのだから。
そんな彼をいつの日か打ち負かさんと切磋琢磨するライバルたちの歩みが止まることはない。
現王者として真っ向から挑んだシングンマイケル、己の競馬に徹したトラストにシンキングダンサー、決死の逃げを打ったブライトクォーツ。
そして今はもうターフを去った数々のいとおしい名馬たち。
彼らに全力をもって胸を貸すことで絶対王者は最大の敬意を払いつづけている。
長丁場となる障害レースでは、各々の意図がより強く見てとれる。
だからこそ強く惹かれるのかもしれない。
馬と人、人と人、馬と馬とが織りなす夢のかたちに。
彼らが夢追うひたむきな姿に。

きたる中山グランドジャンプ
彼らとわたしたちの夢の舞台があたたかな歓声と拍手に包まれることを、心より祈る。

 

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