うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

拝啓、きょうも生きてるあなたとわたしへ

いつも優しいみなさん、生きてますか。
おいしいものを食べられていますか。
よく眠れていますか。
こんなときに元気ですかなんて問えません。
生活が変わって、仕事のかたちもかわって、どこへも行けなくなって、好きなことができなくなって。
みんな大変で疲れているのは、もうわかりすぎるくらいわかりきっているから。
わかりきったうえで、きょうはお話しさせてください。
ちょっと落ち込んでしまったので。
ふと誰かに、訊くとはなしに訊いてほしくなったのです。

日本ダービーまでの無観客開催が決まりました。
たぶんみんながうすうすわかっていたことです。
わかっていたけれどあらためて、残念で悲しくて悔しい。
ダービーまでということは当然、ヴィクトリアマイルもアウトです。
夢に見るほど心待ちにしているレースです。なぜなら大好きなサウンドキアラが出走するから。
新馬のときから、いいえ極端なはなし生まれる前から応援している女の子です。
重賞を勝ってついに花開き、人気を背負って臨む晴れの舞台です。
だからこそ、あの割れんばかりの歓声を浴びてほしかった。
大好きな馬にはたくさんの声援のなか走ってほしいし、尊敬するひとたちの仕事は賞賛されてほしいと思う。
長年夢に見て待ちつづけてきた願いが叶うかもしれない舞台でした。
自分自身が彼女に会いたかったからというよりも、たとえ自分はどうあっても、彼女と彼女を大事に育み慈しんできたひとたちにあたたかい光が当たってくれさえすればそれでよかったのです。
競馬がなくなったわけでもないのに、残念で悲しくて悔しいのは、心の底から大好きで大切で敬愛しているから。

競馬があるだけで奇跡のようにありがたい。
好きな人馬が元気に走ってくれるだけで嬉しい。
生きててくれるだけでいい。
それはまぎれもない本心。
でも同時に、自らに言い聞かせてきたところもありました。
事実だから。本当だから。正しいから。
納得しなければ前へ進めないから。
でも、無理やりに本音を押し込めてまでしぼりだすポジティブは、時に自分や他人を追いつめてしまうこともあるかもしれないのです。たぶん。
あなたが苦しむと、一緒に悲しんでくれるひとがいる。
言葉はすごい前向きだけどきっと落ち込んでるよね、大丈夫かなぁって、心配してくれる人がいる。
オフラインでも、オンラインでも、どんなかたちでも。
きっとそういうひとたちは赦してくれます。ひとが本音で語る言葉を。
何を言っても現実は変わらないしどうにもならないけれど、自分の気持ちがどうにかなるのなら、言ってもいいことはあるんじゃないかな。
わかっているけど思うこと、感じること、言いたいことってあるじゃないですか。やっぱり。
それを言葉にして昇華するのは別にわがままではないと私は思うのです。
でないと誰も誰かを赦せません。他人も、自分も。
あなたの気持ちを、あなたが好きで大切に想っているひとは、決して無碍にはしないんじゃないかな。
お互いに、もうちょっと信じてもいいのかもしれません。ひとの優しさを。自分自身の気持ちを。

なんだか長くなりましたが、いつだって言いたいことはただひとつです。
みなさん、もっと自分自身を赦してあげませんか。
他人にするように気づかって、優しくしてあげませんか。
あなたの優しさに救われてるひとがきっとたくさんいるのだから、ほかならぬあなたとわたしもおんなじように救われなくちゃ、私は悲しくなっちゃう。

きょうは花冷えで肌寒い一日でしたね。
あったかいお茶と甘いものでホッとして、またゆっくりと歩いてみることにします。
夢も人生もどうやらまだまだつづきそうなので。
自分の場所で、できることをして、及ばないことは祈りながら、今を受け入れて楽しんで。
だからときどきは訊かせてくれたら、訊いてくれたら嬉しいです。
あなたの、わたしの、いろんなお話しを。

 

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