うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

UMAJOとはなんぞや

アラシヲヨブオトコならぬ嵐を呼ぶワードだ。
この呼びかたへの拒絶反応、みんなすごい。
界隈のもめごと三分の一くらいこれ絡みじゃないのかとさえ感じる(適当)。
かくいう私も「べつに競馬ファンの女性でええやん」とは思うが、何年も前から本陣がこれでお客さんを増やしたい気持ちでいっぱいなので、そっか~と受け入れてはいる。
でも、たぶん競馬ファンの女性はUMAJOと呼ばれたら心に壁をつくる。
なにかにつけて○○女子と、趣味の場に性別を持ち出され見当違いなレッテルを貼られ区別されることにいい加減うんざりしているからだ。

UMAJOも、UMAJOを競馬場に呼ぶ施策も、決して悪いわけじゃない。
ご新規さんがやってこないとその界隈はいずれ衰退する。
女性はキラキラふわふわしてかわいらしくあれという型枠にはめること、みんなして型枠どおりの女性像を見下したり揶揄する風潮がよろしくないのだ。
ふ~んそういうのもあるのか~とスルーする選択肢もあるというのに。
何かに打ち込む人はみんなすごく真面目なのだ。良くも悪くも。
ガチでなければファンでないという良くいえばストイック、悪くいえば排他的な空気が、自分たちとは違う空気をまとった者を分け隔てる。
もちろんみんながみんなじゃないが、空気として。あるいは声の大きい人の主張によって。
そんな意図を常日頃から肌で感じているから、競馬を愛する女性はUMAJOとは自称しないし、呼ばれたくないとも思う。
たぶん心情としてはそんなところ。

胴元が提唱するUMAJOスタイルのように、楽しいことを追い求めてまずは浅く遊んでみるのが悪いとはちっとも思わない。
好きには無数のパターンがあるからだ。
ハマりかたもつきあいかたも人それぞれ。
にもかかわらず女子であれという提案がなされることに大半が違和感を覚える。
一方で、知識や経験を増やし道を極めることこそが嗜みとご新規さんを侮る空気が根強く残っている。
ぐちゃぐちゃにもつれあっているのだ。みんなの偏見と価値観が。
そりゃあ拒絶反応もあろうし、もめごとも起こるべくして起こる。
複雑なすれ違い。
みんなただ、好きなものが好きなだけなのに。

競馬場はいろんな人を受け入れてくれる自由な場所だ。
そうでなければならない。
わたしたちは自由を知り、責任を持てる大人なのだから。
性別を越えて、他者の価値観を許しあい、尊重しあえるはず。
そうしたらきっと、UMAJOは嵐を呼ぶワードではなくなるだろう。
まだもうちょっと時間がかかるかもしれないけれど。