うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

彼は、大好きな遠くの友だち

メイショウウタゲ号が中央競馬を抹消となった。
三宮ステークスを最後に、通算47戦8勝という立派な戦績を残した砂の古豪は静かに役目を終えた。
9歳だった。

彼自身のタフさは言わずもがな、未完の器を磨きつづけた陣営のあきらめない粘り強さも賞賛されるべきだろう。
若駒のころの彼は競走馬になれるかどうかさえ危ぶまれたほどの荒くれ者だったというのだから。
なんとかデビューにこぎつけた新馬戦では二本脚で立ちあがり、あわやジョッキーを振り落とすところ。
誰もがあっと驚く勝利の宴だった。
それからさまざまな試行錯誤とたくさんのパートナーとともに彼の闘いはつづいていくこととなる。
長い道のりの果てに、ついにダートの最高峰、フェブラリーステークスへの出走を掴みとるまでに成長したのだった。
あの日、彼の勇姿をひと目見届けようと上京したことは忘れられない。
明け8歳での挑戦だった。

激しい気性ゆえパドックで常にイレ込んでいた彼が、年齢を重ねるごとに落ち着きを見せ、やがて行儀よく周回するようになっていった。
精神の成熟であり、戦意の衰えでもあったのだろう。
やんちゃな少年はいつしか穏やかな大人の男へと変貌を遂げていた。
でも、これは競馬だ。競走であり競争だ。
尖った性質が丸く研かれるにつれて、やはり往年の力はレースで発揮されなくなっていった。
それでも競馬だから、必ず馬券を買った。
奇跡を願いながら。無事を祈りながら。
ときに競走中のアクシデントに見舞われながらも彼は毎回帰ってきた。
レースを終えるたびに胸をなでおろし、はたして次はあるのだろうかと残された時間を惜しむようになった。
無事にまわってこられてよかった、今のあなたなりに一生懸命がんばったねなんて、勝利と栄光を望まれて研鑽を積む競走馬への感情としては間違っているのかもしれない。
私の競馬の見方はいまや偏愛ゆえにずいぶんと本質からかけ離れてしまっているように思う。
競馬って、馬って、応援って、なんだろう。
ピークを過ぎた9歳の競走馬と向き合いながら、ずっとそんなことを考えてつづけていた。

私は、競馬場でのウタゲしか知らない。
プロの競走馬として極限まで磨きあげられた、猛々しく荒ぶる姿。
とっておきの美しい場面だけを見せてもらっていた。柵の外のファンとして。
彼のレースを観に行くときは、大好きな遠くの友だちに会えるようでいつも嬉しかった。
いいときもそうでないときも、たとえ結果が伴わずとも、再会にときめき、目の前を歩き走る姿に胸躍らせ、無事を喜び、私は確かにすべてをみていた。
彼を通して競馬を観ていたし、競馬を通じて彼を見ていた。
好きな馬が駆けている。
人馬とも悩み苦しみながら最善を尽くしている。
そんな彼らが大好きだ。
彼らがあきらめないかぎり、目の前のレースに挑むかぎり、私も決してあきらめはしない。
これが私にとっての競馬で、競走馬で、応援ならば、すべてを受け入れるだけ。

競走馬との別れは、ほぼ例外なく永遠の別れだ。
いくら夢見がちでもずっと競馬から離れられなかったのだ。だからわかる。わかっている。
決して忘れない。いつまでも覚えている。
たとえ距離や現実に遮られ、二度と会うことがかなわなくなったとしても。
ときに思い出して懐かしむ。
磨かれて輝いていた、たくさんのあなたの姿を。
ひとに語られ、ひとの記憶に名を刻まれることはきっと、競走馬として確かに生き抜いた証となる。
私にはそれくらいのことしかできない。
ときどき途方に暮れる。
馬を好きになることは、現実と向き合うことだ。
たとえ失意の中にあっても、脈々とつづく環の中でまた新たな出会いがあって、月日を重ね、また誰かを好きになる。そのくりかえし。
ウタゲとの出会いと別れはひときわ特別なものとなって今ここに完結したのだ。
私はこれからもたくさんの彼らを愛していくだろう。
大いに悩み、苦しみ、喜び、彼らが存在する意味を考え感じながら。

記録だけを見れば、悲願の重賞タイトルには惜しくも数完歩届かなかったメイショウウタゲ号。
ゆえにひっそりと中央競馬から去ることとなったが、長いスパンでオープン戦をじつに3つも勝ち抜いた。
いずれも強烈すぎるインパクトを残して。
最後の勝ち星となったエニフステークスが行われるたびに、私は彼を想うだろう。
鮮やかで魔法のようだった、人馬のあくなき情熱が手繰り寄せたあの珠玉の勝利を。

ウタゲは門別へと旅立つ。
きっと立派に新たな役目を果たすことだろう。現役の競走馬として。
厩舎の管理馬一覧から名前が消えてから永遠の別れを覚悟していた私にとって、第二の道が用意されていたことは思いもよらぬサプライズだった。
まだこれからも、大好きな遠くの友だちを想うことができるのだから。
彼の無事を祈り、成功を願う日々がふたたびはじまる。

 

f:id:satoe1981:20200627011159j:plain