うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

推しが50歳になった。

そうなのだ。
まさか、こんな境地があろうとは。
わたしのいわゆる推しは、1970年9月17日生まれ。
きょうは元ジョッキーで競馬評論家の佐藤哲三さんの誕生日だ。
出会ったとき、かれはまだ三十代だったのでそこそこのファン歴になる。
わたしはとにかくこのひとが好きだった。
だった、と表現するとまるで過去の話みたいになってしまうのだが、あの時間は永遠なので今もつづいていると付け加えておこう。
馬との接しかた、人とのかかわりかた、レースの作りかた、勝負のしかた、言葉の選びかた。
ひとつひとつが唯一無二で、なにもかもがかっこよかった。
わたしはかれに夢中だった。心酔していたといっていい。
かれの一挙手一投足に笑い、泣き、興奮し、酔いしれた。
それゆえ若気の至りのような言動もたくさんしてきた。
今思い返せばお恥ずかしい。これこそが情熱だったのだろう。

稀代の勝負師が引退を表明したとき、わたしの中のひとつの世界が終わった。
もう終わったのだ、でもまた何かがはじまるのだ、はじまらなきゃ嘘だ、と強く思った。
そう、かれに競馬を教えてもらったから今もこうして競馬を好きでいられるし、いろんな馬や人に出会わせてもらったし、この道はずっとつづいてきている。
大げさでもなんでもなく我が人生における恩人のひとりだ。
わたしがいま安達厩舎を推しているのは、エスポワールシチーと哲三さんが縁をつないでくれたから。
佐々木厩舎も応援している。
かれのお手馬アップトゥデイトが夢のつづきを見せてくれたから。
第二の馬生を歩んでいるあの馬とも、また再会しなければならない。
行く末はどこまでも広がっている。

競馬と、好きな馬たち、尊敬できるひとたちと出会えたことでわたしは生きる希望を得て、人生はあざやかに彩られた。
でもこれからはそれだけに頼ってちゃいけない。
いつまでも「これさえあれば」という愛しかたをしていると、依存になってしまうから。
ここで得た意欲をもって、興味と関心をいろんなひとや物事へ向けて、広い世界とかかわって、豊かに生きていけたら、そこからまた新しい何かがはじまるのだ。きっと。

競馬は面白い。大好きだ。
だけどあんな、たとえるならば心を焦がす大恋愛のような燃えかたをわたしはもうできないし、しないだろう。
いろんなことを見てきた、知ってきた。年もとった。
情熱は年月と経験を経ておだやかなものへと変わっていった。
それを淋しいと感じていた時期も、もはや通り過ぎようとしている。
愛は消えない。決して。
ただゆるやかに、心のままに、かたちが変わっていくだけだ。

生まれてきてくれてありがとう。わたしの敬愛してやまないひと。

 

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