うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

第二の故郷

帰省とは便宜上言っているけれど、厳密には母方のおばあちゃんちだ。
いまはもう、健在なのは彼女のみ。
物心ついた頃から両親の田舎とはずっと行き来があって、わたしにとってはもはや第二の故郷。
父と母は高知の山あいの隣町同士の出身で、駆け落ち同然で大阪へ出てきて家庭を持った。
なのでわたしに大阪人の血は流れていない。
実はそれがずっとコンプレックスだった。

高知へ帰ってきたら、自分のしゃべる言葉にいつも強烈な違和感を覚える。
周りはみんな土佐弁をしゃべっているからだ。
こちらも慣れ親しんだ心地良い言葉ではあるけれど、わたしはこの言語を解することはできてもしゃべることはできない。
がんばったら話せるだろうけど敢えてやったことはない。
たぶんちょっとマシなお芝居みたいになる。あくまで演じたもので、生きた言葉にはならない。

でもわたしがしゃべっているのは大阪弁でもない。
どうやらネイティブにはそうは思われていないらしいとわかったとき、かなりショックだった。
初めて会う人には必ずといっていいほど「どこから来たん?」と訊かれるのだ。
いやいや大阪生まれの大阪人ですやん、というところまでがセットの持ちネタとなっている。
体感的に大阪人はよそから来た人には敏感な気がする。
べつに“はみご”にされるわけでないけれど、なんとはなしに「そうかぁ、ちがうのかぁ」と思い知る。いままでずっとその蓄積。

大阪で生まれ大阪で育っても大阪人になれず、かといって土佐人でもなく。
わたしは何者なんだろうと思うにつけ、異邦人というのはこういう心細さをもって生きているのかもなぁと感じたり。
けれど、ふたつの土地とたくさんの人に育ててもらったと思うと、とても稀有で幸せなことである。
今日び帰る田舎を持っていない人も少なくないし、あってもここまで親密ではなかったり。
もういない父方のおじいちゃんおばあちゃんとはそりが合わず素直になれなかったり、逆にかわいがられすぎていつまでも子ども扱いされることに辟易して、一時期は敢えて離れがちになっていたりもしたのだけれど。
覚悟を決めて、気合いを入れて帰ってくるとやっぱりここはわたしの第二の故郷だと思う。
いまでもちょっと気が重かったり、億劫だったりもするけれど、ホッと力が抜けて、自然と呼吸ができて。
帰ったら早く大阪に戻りたくなるくせに、戻ったらまた田舎のことを想う。
なかなかに複雑なのだ。でも、それでも。
他の誰でもないわたしは、大阪も高知も、どちらもとても愛している。

 

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