うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

愛や熱意を燃やす場所

こんなにも好きなのに、こんなにも行きたいのに、なんで行けないんだ。
納得がいかず泣きそうなくらい落ち込んでいる自分がいた。

どうしても現地で観たかったマイルチャンピオンシップ
喉から手が出るほど欲しかった11月22日の阪神競馬場の指定席。
結論から申しますと落選していました。
とはいえ日ごろ応援する人馬が挑む晴れがましいレースにかわりない。
せいいっぱい応援しようと思う。
できることをできる場所でやるのが、ファンのせめてものつとめ。

抽選というやつは愛や熱意でどうにかなる問題じゃない。
あなたの競馬への想いを400字以内にまとめて送ってね!とかだったらまだなんとかできる余地はあるかもしれないが、このとおりみんな公平な席ガチャである。
当たっても外れてもうらみっこなしよ、すべては運次第なのだ。
でなければ外れるたびに「愛が足りなかった…」とか「日頃の行いが悪かった…」などと反省しなければならない。
そんなのはいかにもしんどい。真面目なひとほど自分を責めてしまいそう。
わかってはいるものの、まさかスワンステークスにひきつづき今回も応援に行けないなんて、という無力感には駆られるのであった。
べつに誰かのために何かができるだなんて思いあがっていたわけではないのだが、行って写真のひとつも撮りたかったし、なにより居たかったよなぁとしょんぼりつつつ、「応援とは、ファンが現地へ行くとはどういうことか?」などと考えたりしていた。

これは試練で、機会だ。  
自分の中の好きや応援について今一度よく考えなおす時間を与えられたのかもしれない。
わたしは、行けない現実に折り合いをつけているうちに熱意が諦めへと変わって、いつしか気持ちは冷めていくんじゃないかと恐れていた。
情熱って焚き火みたいなもので、燃料がないと同じペースで燃やし続けるのは難しい。
いまは消えないようにとろ火でそろそろと温存している状態。
だからわたしは、また燃やしたかった。盛大に。だってG1だもの。
競馬場へ行きたかった。好きな人馬に会いたかった。
でもいくら愛をとなえても、熱意をたぎらせても、想いだけで願いが叶うほど現実は甘くない。
好きを持つひとは、みんな同じようにこの状況と戦っているのだ。
うらみたくない、落ち込みたくない、自分や誰かや世の中を責めたくはない。

できていたことができなくなったからこそ立ち止まって考えられる。
ずーっと好きにぶらさがってくっついて全力で走り続けてきたけれど、ちょっと離れて歩いてみることで見えてくる景色もあるのかもしれない。
コロナ禍の競馬にも、現地へ行けないことにも、意味と意義はきっとある。
しょげないで、めげないで、受け入れて、愛していきたい。
また燃えあがれる日まで、想いをつないでいくために。

 

f:id:satoe1981:20201118125731j:plain