うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

読むことは知ること

 

 

ずっと気になってはいたものの、なかなか手にとれなかった。
長いあいだ覚悟が決まらなかったが、ふとしたきっかけと思い切りでようやく手にとれた(わたしにはKindleというものがあったのだ)。
その夜は涙と思考が止まらなかった。
もう読む前の心と体には戻れなくて、こんなに苦しいのなら読まなきゃよかったのかしら、とさえ思いながら、知らなかったことを知るってこういうことなんだと布団をかぶって苦悶していた。
なにひとつ分かったつもりにはなれなかった。

戦争は人間がするもので、生きるうえで人間、女であることはやめられないから、予期せぬエラーだらけでぐちゃぐちゃになる。
ぐちゃぐちゃにされたのは人。人生。
この本はソ連の従軍女性たちが戦後ひた隠しにしなければならなかった真実、それらを彼女たちから聞き取って文字におこした現本をコミカライズしたもの。
本の中には聞き手と語り手がいる。
いちばん印象に残ったのは、書き送った原稿の大半が語り手によって否定され、ずたずたに削られて送り返されたところ。
当時をふりかえる自分と、それを語る自分と、訊いている他人から見える自分。
人間には複数の顔と姿があって、真実を浮きあがらせようとしたときにまたエラーが起こるのだ。
ふつうの生活の中にあってさえ、思い出って後から補正をかけがちだ。重くつらいものならなおのこと。
知ってほしい、話したいけれど、いざ形になって外へ出ると、それは違う!となかったことにしたくなる。あるいは体裁を整えて。
戦地へ赴いた女性は戦後白い目で見られつづけ、生きていくためには口を噤むよりほかなかったのだ…。
起こってしまったエラー。ぐちゃぐちゃにされてしまったたくさんの人とその人生。
文中の言葉を借りるならば、「人間は戦争より大きい」。

ふと、ランボー(戦後後遺症を抱えた、ベトナム戦争の帰還兵)を思い出した。
彼もまた世間からのいわれなき偏見と差別に傷つき、職にもあぶれ、心の傷を抱えながらひとりさまよい苦しんでいた。
でもランボーは創作だけどこの本の中の彼女たちは実在していて、書かれていることは実際に彼女たちが体験し生き抜いてきた事実だ。
物語じゃなくて現実だ。

受けとめるには重たすぎた。
コミックを読んでからすぐに原文(訳書)をダウンロードしたものの、途中まで読み進めたところでいったん本を閉じた。
夜眠れなくなったのだ。
あらためてこの本を開くときが必ずくるだろう。
読んでよかった。知れてよかった。
だから、きっと続きを読まなければならない。知らなければならない。