うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

麒麟はあとから遅れてきます

信長は十兵衛に止めて欲しかったんじゃないかな。

毎週、感想書きたい書きたい書きたい!と思いつつ、結局何も書けず。
言葉にしたら冒頭よろしく何かもうこっぱずかしい感じになっちゃうしやめとくかぁ、とも思ったんですが、せっかく最高のドラマと出会えたのだから書き出してみる。

麒麟がくる』は十兵衛こと明智光秀がキレるべきところでちゃんとキレてくれてたからノンストレスで痛快だった。これに尽きる。
わたしも「どちらかといえば嫌いでございます!」「帰りまする!」「御免!」って言ってみたい。言えないから魅力的なんだけど。
大河ドラマを通年で完走するってけっこう気力いるのですよ。
特に戦国ものってあらかじめわかってる山場があったり、見てて力入っちゃうところが多い。逆に中だるみ期もあったり。
なのでストレスたまらない、というのは大事なのです。
世を平らかにし、おだやかな時代にのみあらわれる聖獣・麒麟がくる世をつくるという信念のもと活動する十兵衛には一切のブレがなく、愚直なまでにまっすぐ。誰と対峙しても公平で公正。有言実行の男。
優しくて賢いんだけども、言うべきことをはっきり言うし、現代人の感覚に合わせて描かれがちな戦嫌いのナイーブな主人公像とも一線を画しており、見ていてもどかしさや憂鬱なしんどさがなかった。
主君である織田信長と最後の最後までよき同志でありつづけたことも大きい。

その織田信長
だいたい二枚目俳優が演じることになっていて、ドラマそのものの評価にかかわらず「今回の信長はかっこよかったし本能寺の変もよかったよね」って話題になるのがお約束みたいなところがある。
評価にかかわらず毎回燃える信長。かっこよく燃えることを期待される信長。信長炎上が戦国もののハイライト。
滅びの美学っていうんでしょうか。信長の一生、あまりにドラマチックだもの。
それゆえ強くて恐ろしい、どこか浮き世離れした超人のように描かれるのだから、そりゃあかっこよくて当たり前なのだ。
2020年の信長はどうか。
さあ蓋を開けてみれば、父上、母上、帰蝶、帝、十兵衛!
泣いてわめいてキレて愛を求める、めちゃくちゃ人間くさい信長だった。
誰かに褒めて欲しい信長。愛に飢えた永遠の子ども信長。
そうなんだ、わたしはこんな生々しい信長が見たかったんだ!

愛も承認も権力も得てなお満たされず、疑心暗鬼にとらわれ、狂っていく過程で帰蝶からも捨てられる信長。
あれもけっこう効いたと思うのです。あからさまに傷ついてたし。
承認欲求のお化けとなった信長を作ったひとりである帰蝶は表舞台から降りて、後始末を十兵衛に託す。
ええ~あなたがそれを言う?と釈然としない気持ちはあったが、もう手に負えん!と思ったからこそちゃんと退いたのだろう。
帰蝶と十兵衛は、理解者で共犯者で同志としてずっとつながってきたのだ。
彼女とのやりとりでおおむね腹が決まった十兵衛。
あと松永久秀の平蜘蛛が起爆装置になったのもよかった。新解釈。
みんなが十兵衛を追いつめ……いや、駆り立て、導いたのです。本能寺へと。

結末ははじめからわかっている。
終わりへと向かっていく訣別の物語だ。
信長と十兵衛の愛憎劇の行き着いた先、それが麒麟本能寺の変
お互いへの想いは初めて出会った時と何も変わらない。
大きい国を作る。世を平らかにする。その志も変わらない。ただ手段が変わってしまった。
大好きだけど、大好きだから、もう一緒にいられない。
これ見たことある。勇者よ私を殺して止めてくれって願う魔王の構図だ。
魔王と化した信長が、同じ志を分かち合った十兵衛に討たれることを受け入れて、ひとり静かに、眠るように死ぬ。
舞も舞わずに、歌も歌わずに。
大河ドラマ至上いちばんしっくりくる「是非もなし」だった。
いい信長だった。

麒麟を呼んだのは足利義輝でも、義昭でも、信長でもなかった。さらにいうと秀吉でもなかった。
麒麟はこなかった。しかしその道筋を十兵衛は繋いだ。命を賭して。
歴史の結末の延長線上に生きている者としては「結局、麒麟を呼んだのって家康?」ってことになるのだが、ストンと腑に落ちるように物語は完結している。
家康と十兵衛との信頼関係もまた唯一無二のものだったのだから。
そういえば次の次の次のタイトル、『どうする家康』と発表ありましたね。
というわけで麒麟はきます。2023年に。たぶん。