うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

電子の海が、陸地になっても

居心地が悪くなったなぁ。
おかしいなぁ、最初はこんな場所じゃなかったのに。
ふわふわと電子の海をただようみたいな、あの不思議な心地よさはもう帰らないんだろう。

ツイッターの、自分が構築したタイムラインを眺めてるだけでもいろんなノイズに出くわす。
べつに求めてない広告。
特にリアルな漫画のたぐいがきつい。
女の幸せ観やジェンダーを論じる記事。
ままならない世の中を嘆く声。
コロナ禍のこと。
“自分”に無理解で不寛容な人間や社会のこと。
言っちゃ悪いけど、誰か何かを悪者にしたいがためにあげつらって怒ってるみたいな話題もある。
誰か何か燃えることを望んでる、得体の知れないなにかがいつもどこかにいるみたい。
ああ疲れる。
ここには、つかの間の浮遊をしにきてるはずなのに。

眺めてるだけじゃなくて、何かを言おうとすることもひと仕事になった。
たとえば「バナナ嫌い」ってなにげなく言ったら「ふざけんな!バナナおいしいだろ!栄養あるし!」ってぶん殴りにくる人がいる。
無意味にぶん殴られたくないから、「好きな人もいるし栄養あるけどわたしはバナナちょっと苦手かな~あくまでわたしはね~」みたいなまわりくどい言い方しかできなくなっている。
そんな場所で表現を続けるのは、正直疲れる。
好きなものだけ見て言いたいことだけ言ってればいいとは思うけど、人間そんなに強くない。
そんなにまで無駄をはぶいて、誰か何かを叩いて、あるいは被害者になって、大急ぎでエンタメを消費して、みんなどこへいくの。
ちょっと今の世の中、繊細で傷つきやすくなってやしませんか。
ツイッターが変わったのか、わたしが変わったのか。

いいもの好きなものと同じくらい嫌なもの苦手なものであふれかえってる。
ふとふりかえればリアルと同じ。
更地の楽園だって人が集まれば地続きのリアルになるのだ。
おだやかだった電子の海は、いまや人間と欲求であふれかえっている。
あるいはお金や承認欲求や、そういういろんなものが。
そうしているうちに陸地とほとんど変わらなくなってしまった。
だから生きづらい。ここでさえ。
ツイッターに疲れて、似たような“”やさしいSNS”を使ってみたりもするのだけど、いずれそういう場所もツイッター化するんだろう。
人が集まれば行き着くところは同じ。

好きな人たちと出会った場所だ。
いろんな経験をさせてもらったし、ひとりだけだった世界が広がって、いままで胸の内に秘めているしかなかった感情を分かち合うことができた。
ここはいい場所。ときどき嫌になるけれど。
ツイッターも変わったし、わたしも変わった。
ときどき疲れる。でも去りがたい。
「人生と同じだなぁ」と思いながら、今日も明日もやっぱりタイムラインを眺めるんだろう。