うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

愛は食卓にある。『八雲さんは餌づけがしたい』

いまから漫画の感想文なるものを書くんですけど、いきなり何のこっちゃだと思うので1巻のあらすじを引用しますね。

 
「おかわりください」って、言ってください。
アパートにひとり暮らしする未亡人・八雲柊子(やくもしゅうこ)の趣味。
それは隣り部屋に住む高校球児を、密かに“餌づけ”する事だった――。
旦那を亡くし、大好きだった料理をする気力も失われていた日々。
そんな色あせた日常の中で、ひょんな事から隣りに住むひとり暮らしの男子高校生・大和翔平(やまとしょうへい)に毎晩ご飯を振る舞う約束をしてしまった。
「ご飯が4合じゃ足りない!?」「もっとご飯のおかずになるものを…!」凄まじい食欲を誇る男子高校生の胃袋を相手に、戸惑いながらも充実した毎日が幕を開ける――☆
ナイショの幸せ特盛りでお届けする、“餌づけ”ハートフルストーリー!


タイトルと表紙で若干釣ってる感あるんですけど(巻がすすむごとに…)、至極まっとうな漫画ですよこれは。
そんなわかりやすいあざとさで釣らなくたっていいのに。
でも最初この設定がおもしろそうで手にとったんだよなぁ、うーん。
だいぶ前にネットカフェで半分くらい読んだっきり何年か忘れてて。
ふとした縁で完結と知って、いてもたってもいられなくなってKindleで全巻買いました。
しあわせなごはんがつむぐ二人のその後の人生をどうしても垣間見たかった。

これはただの萌え漫画でもごはん漫画でもない。恋愛漫画でもない。
八雲さんと大和クンは恋愛とかそういう男女の諸々に含まれるやましさや下心なんかをはるかに飛び越えたところでつながっていて、お互いが想いあい優しくなれる素敵な関係だった。
二人は毎日一緒にごはんを食べる。とにかく食べる。それだけといえばそれだけ。
でもその中には日常があって暮らしがあって、お互いに言葉を交わし、時間を共有しあいながら、生活をつむいでいく。生きていく。
どっちかに他意か遠慮があったら気まずくなって破綻してるか、読者が当初心配してた(?)ようないかがわしい関係になって全然ちがう漫画になってただろう。食がからんでるんだからそりゃあ生々しくもなってたろう。
でも八雲さんは旦那さんの思い出とともに生きているし、大和クンは踏み込まずに関わり寄り添い続けている。
毎日一緒にごはん食べる。それはもう、家族だ。
おいしいごはんを作ってあげたい、一緒にごはんを食べたい。
喜ぶ顔がみたい、心と体を気づかって料理を作る。淋しい思いをさせたくない、いつも笑っていてほしい。
それは愛です。人間の愛です。

これは萌えもグルメも恋愛をも飛び越えた、究極の夢の物語だ。
こんなことリアルではまずありえない。
でもわたしは、物語の中でくらい夢をみたい。だから漫画を読むのだ。
現実にはこんなピュアな既婚女性も高校生男子もいないだろう。
八雲さんと大和クンはまさにありえない夢の世界の住人なんだけど、こんな関係がどこかにあってほしい、この二人がこの世界のどこかにいててほしいと切に思わせてくれた。
ありえないを形にしてくれるのが漫画の幸せだとわたしは思う。

というわけで毎日一、二話くらいずつちまちま読んでました。
好物を最後までとっておくみたいに、幸せで、いつまでも読み終わるのが惜しかった。
はじめての角煮に感激して「明日も食べたいから残していいですか」って照れながらちびちび食べる大和クンみたいに。
おいしいおかずは、食べ終わるのが淋しくて惜しい。でも心と体をあったかく満たしてくれる。
ごはんを食べるっていうのは、前向きに生きること。

いい漫画を読んだ。
すんごい癒された。
とても幸せで、お腹がいっぱい。