うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

黙って、ひとりで、食べたり暮らしたり

むぎゅっとドーナツを食べた。
写真も撮らずに、なんにも言わずに。
むしゃむしゃ食べた。家で。
家族にもおすそわけした。
うーん、普通だ。

食べたものをSNSでシェアする。
新発売のあれ食べたよ、おいしかったよ、きょうのおやつだよ。
たしかに、そういうことが楽しい時期もあった。
見えない誰かとつながることが実生活に浸透していた。
それが活力にもなっていた。
どこへ行った、何を食べた、誰と会った、何をした、何を買った。
自分の足跡を残すみたいに。
好きなこと、楽しいことを誰かと分かち合うために。
あるいは答え合わせするみたいに。

そういうのから降りてみる。
あの分かち合う楽しさと、常に誰かと隣り合わせにある息苦しさを知らなかったころにはもう戻れないけれど、楽しさよりも息苦しさのほうが上回ってしまったのだから、離れるよりほかない。
自分が思ってたよりずっとずっと疲れてたみたい。
なんせ十数年分の蓄積だ。染み抜きできるかわからないけれど、やってみる。

いまは家族や職場の人と話すくらい。
むぎゅっとドーナツ、チーズ味がおいしかった。
食感は好き。お腹にたまるのもいい。
時間を置いたらどうしても脂っこくなるみたい。
揚げたてならもっとおいしいだろうなぁ。
そういう他愛もないことを、相手の顔を見ながら話すあたりまえの感覚を取り戻していっている。
まあ言うてまだまだコロナ禍なんだけどね。
普通に話せるのは家族くらいで、職場は私語禁止で最低限だし、友だちとはもうずっと会えていない。
それでも、つぶやきは声に。
実体ある暮らしの中で、肉声で生きていく。

みんなとつぶやくのは、いったんおしまい。