うまいこといえない。

うまいこといえないひとがつたないなりに何かを残し誰かに伝えたいブログ。

服を着る。自分のために。

40になってみて、装いや外見に対する考え方がガラッと変わった。
こういう今の、おしゃれして外へ出かけられない状況がそうさせたのもあるかもしれない。 

若い頃はかわいくなりたかった。
社会人になってからは垢抜けたかった。
30前後はとにかく痩せたかった。
さらに年齢を重ねて、ここ数年間はかっこよくなりたかった。
いつだって、そのときそのときのコンプレックスと戦ってきた。
イメージコンサルタントをかじったり、ストレッチをはじめたり。
大きな学びにも発見にもなったけど、心から満足はできなかった。ずっとさまよっていた。
でも「何かになりたい」っていうのはもうや~めた。
自分自身がこうありたいというよりも、好きな人だったり友達だったり職場の人だったり、周りの誰かにどう思われるべきか。
だったらこうあるべき、とばかり考えていたから。
いつだって誰かの顔色をうかがっていた。浮かないように、はみ出さないように。

ふつうになりたかった。どうやらふつうにはなれなかった。だからといって特別でもない。
何者かになれないのは自分が美しくないからと、なぜか思い込みつづけてきた。
でも、ふつうってなんなんでしょうね。
そう考えてみると、何にどこに自分を合わせたらいいのかよくわからなくなって。
そもそも合わせなくてもいいのか。自ら作り出した思い込みのふつうになんて。

そうこうしてるうちにコロナ禍になって、装う必要性が薄れて。
自分も歳をとって。
ままならない暮らしがつづく中で、だったらせめて自然体で心地よくいたいよなぁという想いが強くなった。
ドゥクラッセのTシャツを着たときに「あっ、これだ!」と思えた。
がんばりすぎない、でも背筋がスッと伸びる、着ていて気持ちのいい服。
今の自分によりそってくれる服だなぁと。

今の職場はTシャツとパンツとスニーカーで自転車通勤して、その上からエプロンをして仕事をするようなところ。
いわゆるエッセンシャルワーカーには含まれないものの、現場へ行かなければ何もはじまらないので変わりなく会社に出勤している。
平日はほぼ家と職場とを往復するだけ。休日はほぼ家にいる。
友達とも長らく会えていない。趣味の場にも行けない。着飾って会う人も場所も機会もない。
そういう楽しいことみんな、今はことごとく禁じられている。
だから毎日、わたしは自分のために服を着ている。
Tシャツを着て、パンツとスニーカーをはいて、日焼け止めを塗ったついでにうっすらとメイクをする。
マスクで隠れるけど唇と頬には色を乗せて、まぶたもほんのちょっとツヤツヤさせる。
この分断された世界がだんだん元の状態にもどっていったとしても変わらないだろう。
誰かのためじゃなく自分のために、気持ちよく生きていくために。