うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

愛する人から心が離れそうなときは

「ごめんね、行けなくて」
どうしてわたしが謝らなきゃいけないんだろう。
なぜ、何に、誰に謝っているんだろう。
べつにわたしは悪くない。相手だって悪くない。
だからこういうのをやめたいのに。
我が身かわいさで不義理をしているみたい。自己嫌悪がとまらない。
なんて心が狭いんだろう。でも行くわけにはいかない。
大事だからこそ今は会えないのだ。
言い訳がましいと思われているだろうか。いや、そんなことを思う人たちじゃない。
わたしの同居人たちは、帰省もするし、離れて暮らす弟の家族たちにも会いに行く。
わたしが信念に基づいていったんあきらめたことだ。
ワクチンを二回打ちおえたから大丈夫、ある程度なら事を起こしてもかまわないだろうとはどうしても思えなかった。
わたしはずっと自粛をしている。
家族もずっと自粛をしている。でも、自粛に対する考え方が違う。

離れどきなのかもしれないな。
ふとそう思う。
ともに暮らす家族が感染したら、わたしは家族を責めてしまうかもしれない。「だからあれほど言ったのに」と。
そして、そんな自分自身を責める。
わたしだって罹るかもしれない。
そうしたらわたしは自分を責める。家族もわたしを責めるかもしれない。
こういうことの積み重ねで大事な人とすれちがったり、お互いに疑念を抱いたり、仲違いをしたりする関係がいっぱいあるんだろうな。
わかりあえない。いや、わかりあっているけれどゆずれない。
だったらお互いのために距離を置くべきなのかもしれない。
こういうときだからこそ傍で支えあいたいのに、離れるだなんて。
矛盾している。それがとてもやるせない。

誰もが後悔しないため今を懸命に生きている。
わたしの同居人たちは後悔しないために離れて暮らす家族と会うのだろうし、わたしは後悔しないために離れて暮らす誰とも会わない。
責めることはできない。責められるいわれもない。強いることもできない。
わたしが間違っているのかもしれない。
わからない。何が正しくて、何が間違っていて、何が赦されるのか。
何を選んでもなにかしら後悔はするだろう。
誰もが痛み、たくさんのものを失っているのだから。
だから離れどきなのかもしれない。
選択肢はあるにこしたことはない。
お金、ためておこう。準備をはじめよう。離れるためじゃなくっても、万が一のために。
いつでもどこからでも支えあえるように。
愛する人から心が離れてしまわないように。