うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

サウンドキアラに連れ帰ってもらって

やっと競馬場に脚を踏み入れることができた。
感覚としてはまさにそういう感じ。
しぬほど行きたかったけど行けなかったヴィクトリアマイル以来の復帰戦、スワンステークスを観戦しないわけにはいかなかった。
彼女に会いたい気持ちがついに勝ったのだった。

わたしは怖かった。
自分の楽しみのために外へ出るのが。
買い物へは行けるのに、ひとりでささっと外食はできるのに、競馬場はもう二度と手が届かないと思うくらいに遠かった。
ずっと自分を赦せなかった。
自分の楽しみを追い求めることによって誰かを苦しめる加害者になるかもしれないのが。
病に被害者も加害者もないというのに。
出てはいけない理由を並べては、これで誰も傷つけずに済むと胸をなでおろしていたのかもしれない。
でも、いつまでも自分の殻の中では生きてはいけない。

さわやかな秋晴れの空だった。
コートでは汗ばむくらいの陽気。
いや違う、日の照ったパドックは年中まぶしくて暑いのだ。
すっかり忘れていた。
太陽の光を浴びつづける一日を。
風に運ばれてくる草の香りを。
いななきと、ひづめの音を。
競馬のやりかたを。
ひとつひとつ思い出しながら夢中でシャッターを切った。
帰って見返してみたら、ほとんどが“萌えブレ”だった。
止まっていた時間がまた少しずつ動きはじめた。
この日がなければ、外へ出られない理由を探しつづけながら、いつまでも競馬場へ帰れなかっただろう。

時季が来たら、コロナ禍以前の元の自分に戻らねばと思っていた。
そして、それは無理だとも思っていた。
歳をとった。心も体も衰えた。情熱がおちついて愛だけが残った。
だからいずれ自分には何もなくなるとも思っていた。
でも、べつにぜんぶ元に戻らなくてもいいし、たぶん一度変わったものは二度と同じかたちには戻らない。
変わった自分も世界も受け入れて、今とこれからを楽しんで生きていければいい。
競走馬だって、距離や条件を何度も変えながら生きる道を模索するじゃないか。

「もしかして、もう終わったのかもしれないね」という競馬ファンの内心を、オッズが顕著にあらわしていた。
最終的には5番人気。
1400のG2で、ずいぶんとあなどられた数字だと思った。悔しかった。
彼女もまた変わったのかもしれない。
しかしそんな評価を一蹴するように、ゴール前で全盛期のような力強い末脚で飛び込んできたのだった。
サウンドキアラの輝きは変わらない。
いまも、なんてあざやかなんだろう。
「よかった、強かった、すごい、えらい、かわいい」うまく言葉にならなくて、わたしはしばし片言しか話せない人と化した。


涙はまだとっておこうと思う。

 

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