うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

いずれどうでもよくなあれ

わたしの書いた文章が、というよりわたし自身がそのとき抱えていた悩みが、誰かの心を刺したことがあった。
そのことをだいぶあとになって知った。
わたしとそのひとはずいぶん前に縁が切れてて、だから傷つけたと知ったのはほんとうに偶然だったのだけど。
そのひとはたぶん傷ついて、怒って、反論というか、わたしに対してリプライのような文章をつづっていた。
わたしも傷ついた。怒りも感じた。
なんでそんなこといわれなきゃならないの、と思うようなことを言われていたからだ。
べつにそのひとのことを指して言ったのではない。
もう縁の切れたひとがどこで何をしてるのかなんて知る由もないし、何とも思わないし、どうこう言うつもりもない。興味もない。
ただ自分自身の悩みを昇華するために書いただけ。
でもそのひとは、わたしの書いたものを読んで、わたしに傷つけられたと言って、目の届かないところでわたしを傷つける言葉を選んだ。
まるで空中リプライだ。ずるい。赦せない。言いたいことがあるのなら言いにきてくれたらいいのに。
なんかもうめんどくさ、となってツイッターのアカウントを消した。
どこかでつながってしまうから、断ち切ったものさえ事故のように目に飛び込んでくるのだ。元フォロワーはフォロワーのフォロワー。よくあるはなし。
そういうどうでもいいことのために自分のやってきたことを消してなかったことにしてしまうのは馬鹿らしいと思いなおして、結局やめるのをやめたけど。
今はほぼ、ブログを書いたらシェアするだけのアカウントとして置いている。でもそのうちまたぽつりぽつりとつぶやきはじめるだろう。
言われたことはたぶんしばらく赦せない。今も思い出す。向こうもたぶんそうだろう。知らんけど。
縁は切れても、記憶は消せないし、あったことはなかったことにはできないもんね。
ちなみにそのとき抱えていた悩みは不惑を迎えてからわりとどうでもよくなった。
もう考えなくてもよくなった。自然と考えなくなった。恋愛や結婚のことは。
パートナーを得ることも他人と家族になることも誰かと家庭を築くことも望んでいないし、わたしにとって必要ではないとようやく認められたのだった。歳を重ねることによって。
だから、いま赦せないこともいずれどうでもよくなるだろう。たぶん。