うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

「書く」と「つぶやく」

自転車のチェーンがゆるくなったので見てもらったら、いろんなところにガタがきてたみたい。
チェーンにタイヤにチューブ、おまけにライトも交換。
結局ひと晩あずけて、同じ自転車もう一台買えるくらいの大改造になった。
おまえ…もう別人じゃん…
通勤時間も鑑みてそろそろクロスバイクに乗り換えようと思ってたけど、このひとにここまで手間とお金かけたんならもうちょっと大事に乗ってみましょうかね。
なんならカゴも替えたい。もう別人じゃん。

こういう他愛もない話をちょっとするのに、ブログは重たくて向いてない。
書くのも読むのも身構える。
ブログがみんなの日記帳だった出はじめのブームのころみたいには、もう戻らないだろう。
わたしはもっとみんなの日記みたいなブログを読みたい。
そう願って待ってる自分だってちょっと身構えてしまうんだから、そりゃあ無理ってものよ。

ちょっとずつ、またツイッターを見るようになった。
競馬や野球の今を知りたいのはもちろん、仲良くしていたひとたちのことも忘れがたくて。
でも前みたいに気兼ねなくつぶやけないでいる。書いたものをシェアするくらい。
感情をストレートにあらわすのがへたくそだから、言葉に頼る。
すごいとか感動したとか好きとかシンプルでいいのに、みんなと同じタイミングで言えなくて、でも言わずにはいられなくて、後出しジャンケンみたいにふりかえって書く。遅れてきた気持ちをつめこむ。
感情が降りてくる、自分が物事をどう思ったか把握する、言語化するスピードが人より遅いみたい。
そりゃツイッター合わないわけだ。シェアがへたくそなんだから。

また他愛もない話をしたい、と思えてきた。
だれにとはいわず、なにげないことをひとりごとのようにつぶやけたら。
そしたらまたしんどくなるだろうか。
やってみないとわからない気もするし、今度は大丈夫な気もする。しんどくなる理由がわかっているから。
「やめて戻るの何回目よ、そろそろどっちかに腹くくりなさい!」である。われながら恥ずかしい。
だからこそ、「書く」と「つぶやく」を両立できたら素敵だなぁと思えてきた。