うまいこといえない。

うまいこといえない人がつたないなりに誰かになにかを伝えるための場所。

老いと向きあうお年頃

わたしの家は、家族の家族による家族のためのシェアハウスだ。
両親の離婚で足を踏み入れた貧困から、我々はついに抜け出すことができなかった。
母はもうじき年金暮らしだし、わたしは高校の斡旋で就職した会社が三年足らずで閉鎖になってからいろいろとドロップアウト、独り暮らしから出戻っていまも非正規労働者をやっている。
末弟は行く先々がことごとくブラック企業だったりして、世を人を恨み、すさんでいた期間が長らくあった。
各々ひとりの稼ぎでは健康で文化的な最低限度の生活というものが営めないので、金と生活力を捻出しあいながら寄りあって暮らしている。
生活保護を受けるまでもないが自活するにはかなり厳しい、絶妙な塩梅の貧困である。
母とわたしは家事をして、末弟は男手で用心棒。
ちなみに上の弟は逆玉のような形でほぼマスオさん状態になった。
うちの長男ではあるけれどほとんど婿にやったようなもの。
だから今の我が家は三人暮らしだ。
わたしは結婚を望んでいないので、よっぽど稼ぎがよくなって独り暮らしを再開するとかそういう転機でも起こらない限りは現状維持の生活を送るだろう。まあない。
すっかりと立ち直った末弟はいずれ結婚して出ていくかもしれないが。
もしそうなったら、わたしと母は二人きりで暮らしていくこととなる。

わたしと母は、馬があわない。
仲はいいけど基本的に噛みあわない。
母は思ったことを何でもすぐ口にするタイプで、わたしは身内にも気を遣うタイプ。
合わないのだ。性格が、波長が、価値観が。
だからたまにお互いイライラしてしまうときがある。
母はこのごろ物忘れやうっかりが多くなってきた。
晩酌をするからよけいにそう感じるのかもしれないが、たぶんいずれ認知症になる側の人間だ。
認知症になった亡き祖父に、母はよく似ている。医学的根拠や因果関係はないのかもしれないが。
物忘れやうっかりに腹を立てても詮ないことだけど、ゆうべあんなに真顔で語りあったことをまるで覚えていなかったり、約束を反故にされたりすると、あの時間返して…… とぐったりしてしまう。
なんとなく、ボケた親をシバいてしまう人の気持ちもわからなくはない気がする。
このままだと、わたしはボケたオカンをシバく側の人間になってしまうのかもしれない。おそろしい。

なので、このごろは心構えをしている。いよいよ母の老いと向きあうときがきたのだなぁと。
母は怖い人だった。厳しい人だった。なにより強い人だった。
女手ひとつで子を育て、父親役もしなければならなかったから、優しいお母さんではいられなかったのだ。
もっとも、気が強くて男勝りなのはもともとだったけれど。
わたしはそんな母をとても尊敬しているし、愛しているし、感謝している。
できるかぎりの孝行をしていきたい。
だから、いちいちイライラしている場合じゃないのだ。
わたしは、ライオンのように強かった母が老いはじめているのを信じられずにいた。
強い母は弱いわたしの悩みを理解してくれなかったが(うつになりかけたときも甘えるなと叱咤されたり、がんばれと激励されたりした。めちゃくちゃけんかした。結局うつにはならなかったというオチがついている)、わたしもそばにいながら母の苦しみをわかってあげられていなかったのだろう。
しかし加齢とともに人間は変わる。
愛する者の変化を、自分も受けとりかたを変えながら、受け入れて赦すのだ。
接しかたや話しかたも変えていく。
変わってしまったことを責めたり怒ったり嘆いたりするんじゃなくて、相手のプライドを傷つけないようにフォローしていけばいい。
わたしも歳をとる。老いていく。ともに変わっていけるはずだ。