うまいこといえない。

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ツルゲーネフのはつ恋の行間を埋めてみる

はつ恋を読み終えてから「なぜ、なんで」が片時も頭から離れないので書き出して昇華してみる。
ツルゲーネフ自身が書かなかったことを推しはかろうなんて野暮天の極みではあるけれど、みなさん気になりますでしょう? わたしは気になって夢にまで見た。
ネタバレと考察と推察と感想と創作をまじえて、お話ししましょ。

ジナイーダはヴラジーミルの父(以下ピョートル)との関係をはじめは望んでいなかったのではないか、男の気まぐれと衝動による事故のようなはじまりだったのではないか。
さすがにそれはなかろうと打ち消しはしたが、肉体から落とされていった(と思われる)という点ではあながち間違いではないのかもしれない。
おそらくジナイーダは出会った瞬間から、成熟した大人であり、人の父であるピョートルに惹かれていた。
(ジナイーダの身内は母親と、離れて暮らす弟だけ。父親はとうに鬼籍に入っている。博打と投資で財産を溶かしたろくでもない男だったらしい)
ジナイーダの取り巻き(みんな独身の中年である)との遊びはほんとうにお遊びで、肉体を介するような、なまめかしいものでは全くなかった。
それはそうだ、嫁入り前の公爵令嬢なんだもの。
だから、すべての初めてはピョートルだった。
彼との「予期せぬ事故」が起きたとき、自らの意志で彼を受け入れた。
恋と性、愛と罪の扉が同時に開かれてしまったのだ。そりゃあ物憂げにもなる。

ではピョートルはなぜジナイーダに手を出したのか。
10歳も年上の伯爵令嬢と金目当ての結婚をした彼は、美男子で、恋多き男だった。
だからその場の雰囲気で、ということなのか。
息子が骨抜きになっている隣家の綺麗なお嬢さんを品定めしているうちに、うっかり手を出しちゃったのか。
うっかり手を出しちゃったが最後、だんだんのめり込んでしまった。彼にとっても「予期せぬ事故」だったのかもしれない。
しかし秘密の恋は暴かれてしまう。
名無しの密書によってすべてを知り、夫の不実と隣家の女をなじる妻。夫婦は激しい口論になるが(聞いていた使用人によれば、夫はたぶん「このババア!」的な応酬をしたのだろう。そりゃあ年上の妻は泣く)、結局は妻の希望どおり別荘を引き払うことになる。
不倫の密会が暴かれたその晩、夫が寝室で一晩中妻に寄り添ったというのが意外だった。冷え切った夫婦関係だったのに。
母は泣かなくなった、とあったので夫婦のあいだに何らかの話し合いがあり、納得と妥協の決着があったのだろう。
簡単に離縁などできない時代だったろうし。貴族だもの。
いくら地獄だろうと添い遂げるしかないのだ。

しかし離ればなれになったジナイーダとピョートルは、馬で乗りつけて密会を重ねていた。
後をつけたヴラジーミルが一部始終を見ていたその日、ふたりは静かに言い争っていた。
「あなたが思い切らなければ」と諭すピョートル、受け入れがたいジナイーダ。別れ話だ。
やがてジナイーダが差し出した白い腕に鞭を打つピョートル。
赤くなった痕に口づけをするジナイーダ。
自分の身勝手な暴力で与えた傷さえも受け入れるジナイーダを愛しく思い、離しがたいけれどやはり別れなければならない。
一緒になれる道はないのだから。彼女は若いのだから。
そういえば、はじまりもまた身勝手な暴力のようなものだった。あとづけでそれを恋と呼んだだけで。
さまざまな懊悩の末に、男は女を鞭と一緒に捨てた。

数ヶ月後、ジナイーダは彼の子を身ごもっていた。(※ここは推察)
そのことを手紙で知ったピョートルは恐れおののいたが、恐れの中には喜びもあったことだろう。
いろんな気持ちがないまぜになって、(ヴラジーミルいわく)たいへん興奮し涙さえ流して妻に真実を打ち明ける。
心労が祟ったのか、罪の意識からか、ピョートルは数日後に脳溢血で他界する。
残された妻は夫と、想い人を喪った若い女をあわれに思い、夫の最期の望みを叶えるべくモスクワに金を送った。
ピョートルはジナイーダにではなく、息子に手紙をしたためていた。
彼のはつ恋はとうに終わっていたのだ。鞭を捨てたあの日に。
「女の愛を恐れよ。かの幸を、かの毒を恐れよ。」
(わたしは彼の男のさがのほうが怖い。わたしが女だから、到底理解には及ばないからだろうか)
ピョートルは、子を産み育ててほしいと願っただろうか。
その権利をジナイーダに与えたかっただろうか。
おそらくは妻にそう伝えたが、結局彼は亡くなってしまったので、妻は彼の死だけを伝えて金を添えたと思われる。
ジナイーダは自らの意志で子どもをあきらめた。
あるいは心労と想い人を喪った悲しみで、流産したのかもしれない。
ピョートルの死によって彼女のはつ恋もまた終わってしまったのだ。

4年の月日が流れた。
はつ恋を喪い、大人の女性へと成長したジナイーダは家と母のために結婚を選んだ。
公爵令嬢のスキャンダルは多くの人の知るところとなったため嫁ぎ先を探すのには苦労をしたようだ。
しかし彼女は才知により成し遂げる。
よき夫に恵まれ、産み月を控え、平穏な日々を送っていたが……
いまわの際にジナイーダはピョートルを想っただろうか。
産めなかった彼の子と、彼の息子ヴラジーミルを想っただろうか。
それとも、彼女すら気づかぬうちに事切れてしまっただろうか。
あまりにもあっけなく逝ってしまったので、なにもわからないまま終わってしまった。人の気持ちなんて誰にもわからないものだ。

ヴラジーミルはジナイーダに会えずじまいでよかったと思う。
会えていたらおそらく立ち直れなかったと思われる。
別れの日に最後のキスをしたあと、ヴラジーミルはジナイーダと手に手を取り合えたらよかったのだろうけど、ジナイーダの心にはピョートルがまだいた。矛盾するけれど。
時は帝政時代、彼らは貴族。好きだから一緒になるなんて不可能だったろうし、はじめから別れという選択肢しかなかった。
だからこそ「生涯愛します」というヴラジーミルの告白が重くも尊い
なにもできないから、ただ言葉で誓うしかなかったのだ。
最後にかわした別れの抱擁とキスが彼の人生における幸福となったように、彼の誓いはジナイーダにとって生涯の心の支えとなっていただろうけれど。
それでもジナイーダはピョートルが好きだったのだ。
しかもその好きの正体は、とうにいない父の幻影だった。
「父からの愛と征服」という欠けたピースの補完、それがジナイーダのはつ恋だった。
父を畏れながらも敬愛していたヴラジーミルとは似たもの同士だったのかもしれない。
だからこそ惹かれあったのだろう。なにひとつ実りはしなかっただけで。

おわり。
ものすごい余談だけど、読み終えたあとにスピッツのチェリーがおもむろに頭の中に流れだした。
むなしくもさわやかな読後感だったのだ。
知ってるぞこの感覚。草野マサムネだ。
愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ。
気がしただけで、べつに強くはなってない。
そうなのだ。恋が人に与える万能感と無力感。
人の想いとはそうしたものなのかもしれない。
でも、だからこそいとおしい。